19歳の春、ひとり暮らしを始めた2時間後にカツアゲされかけた。
大阪の大学へ進学するため、十代の終わりに天王寺で部屋を借りて生まれて初めての単身生活。住所はよく見たら西成区だったが、その混乱と狂熱の無国籍な雰囲気も含めて気に入っていた。荷物を部屋に置いて、あべのアポロビル2階の電気屋でまずテレビを注文し、帰りにハンバーガーを買ってそこらへんの道端に座って食べようとしたら、見知らぬ長髪のおっちゃんにこう声をかけられたのだ。
「兄ちゃん、カネくれや」と。ええっ…俺だって浪人生活終わったばかりでカネなんかないですよと答えると、「優雅にそんなもん食ってるやんけぇぇぇ!」なんつってハンバーガーを指さしながらおっちゃんはジョン・ライドンのように絶叫した。酔っているのだろうか? 呂律は回ってないし目も充血してる。まあ、ハンバーガーのピクルスだけならあげてもいいかな……ってそういうことじゃないだろう。地方出身の幼気な少年だった俺は怖くなり、ハンバーガーとコーラを両手に握りしめてその場から走って逃げた。
■渋谷すばる&二階堂ふみら出演の『味園ユニバース』
大阪が舞台の映画『味園ユニバース』を見たとき、ふと当時のことを思い出した。作品から裏大阪の濃さと暴力とその土地での生活の匂いを感じられたからだ。主演の大森茂雄役には元関ジャニ∞の渋谷すばる。刑務所を出所した直後に襲撃され、記憶喪失になった茂雄の歌声に惚れ込み、“ポチ男”と名付け面倒を見るのは二階堂ふみ演じる佐藤カスミだ。
父親を交通事故で亡くし、サウンドスタジオSATOの経営を継ぎ、バンド“赤犬”のマネジャーを務めるカスミは、怪我をしたボーカルの代役をポチ男の才能に託す。だが、日々歌いながら徐々に記憶の断片が戻ってくる茂雄。味園ユニバースでの赤犬ワンマンライブも決まったが、どうやら以前の俺はとんでもないクズのようやった……。
■アーティスト・渋谷すばるが前面に出た映画
これはアイドル・渋谷すばるではなく、アーティスト渋谷すばるが前面に出た映画だ。なぜなら茂雄の歌唱力に説得力がなければ、物語は成立しない。冒頭の浪速公園における赤犬のライブでマイクを奪い、唐突に和田アキ子の『古い日記』を熱唱するが、その歌声は映画館の音響設備で聴くと強烈だった。
公式パンフレットでも山下敦弘監督が「茂雄が最初に公園で歌うシーンは凄いけどね……。茂雄は、この声を持っているんだ……と思えたから」と絶賛。記憶もカネもすべてを失ったが、音楽だけが残ったロクデナシ。そんな明日なき男と渋谷すばるの歌声は違和感なく同化していた。
違和感がないと言えば、個人的に、本作に本人役で出演しているオシリペンペンズのボーカル・石井モタコ氏は大学の同級生である。特別仲が良かったわけではないが、1度だけ梅田ヒートビートでのザ・ハイロウズのライブへ一緒に行ったことがある。最後に偶然会ったのは天王寺の路上だった。
卒業後10数年ぶりにその姿を確認できたのが、この映画というわけだ。スクリーン上の飲み屋のカウンターでくつろぐモタコは、確かにカスミや茂雄と同じ世界にいた。自分にとってそれは学生時代を過ごした大阪の日常の風景そのものだ。アホらしく腹立たしくも懐かしい過去。誰にでもそういう記憶はあると思う。笑って傷ついて、ときに裏切り過ちを犯し、大人になるための踏み台となった時間だ。
さて、茂雄やカスミは“自分の過去”といかにケリをつけるか? それはこれからの人生で、どこに自分の居場所を見つけるかということでもある。
つまり、この映画で大森茂雄は、己の“歌”から未来の自分の居場所を見つけていくのだ。まるで現在、ソロアーティストとして生きる渋谷すばるのように。
■【ソロシネマイレージ 77点】
カスミの着る絶妙な日本中のバンドTシャツセレクトはスタイリスト伊賀大介氏の仕事だ。鈴木紗理奈の女医マキコから漂う“大阪のおネエちゃん”感もたまらなく心地いい。
『味園ユニバース』
『味園ユニバース』は、『リンダ リンダ リンダ』(2005年)や『もらとりあむタマ子』(2013年)など、オリジナリティあふれる青春映画を手がけてきた山下敦弘の監督作。大阪を舞台に、歌うこと以外すべての記憶を失った男・茂雄(渋谷すばる)と、彼を取り巻く人々の交流が描かれる。二階堂ふみは、茂雄をポチ男と名付け、彼と共に暮らしていくヒロイン、カスミ役に扮する。