「恋人夫婦」に育てられ

うちの両親は学生結婚だった。大学で知り合い、20代のうちに留学先で挙式して、帰国後に3人の子供を育てた。幼い頃から贈答品や慶弔にまつわるやりとりなどで、彼らはよく「すみません、学生気分が抜けないもので……」と己が非礼を詫びていた。とっくに還暦を過ぎ、初孫が生まれた今も、母親はまだそんなふうに振る舞う。恥ずかしいからやめろと言っても「あら、だって私たち、いつまでも学生気分で新婚気分なんだものー!」とまったく取り合わない。

お互いをずっと名前で呼び合い、子供の前でも平気でイチャつき、この数十年、家庭内でいかなる齟齬が生じようとも「愛こそはすべて」と言わんばかりの豪腕で解決してきた2人。2歳下の妹は「私もパパとママみたいに愛のある家庭を築きたい、将来の夢はお嫁さん!」と言い続け、宿願果たして現在は子育てに邁進する専業主婦である。姉の私はというと、「あんなふうになるのは到底無理だ……」と早々に結婚を諦め、生涯独身の人生設計を立てて進路を選択してきた。

まったくそんなつもりのなかった自分が、結婚してみて初めてわかったこと。それは「還暦過ぎても学生気分でべたべたイチャつきながらずっと家庭内デートを続けているうちの両親のように、熱烈に過剰にラブラブな、生涯ただ一度だけ巡り会ったこの世に2つといない運命の恋人同士でなくたって、とくにさしたる理由もなく、誰かと結婚してみてもいいんだ、よかったんだ!」……ということ。恋愛の段階を踏まずに結婚しても、十分に愛のある夫婦になれるということだった。

薪割りと婚活

恋愛と結婚を一緒くたにして考えると本当にろくなことがない。今まで付き合ってきた恋人たちとは一度も結婚に至らなかった。毎日のこの激しい感情の応酬を「日常」や「生活」として持続していかねばならんのかと思うと途方に暮れてしまう。あるいは男女の関係性にメリハリをつけすぎた結果、人生に影響を及ぼす手前で自然消滅してしまうことも多かった。

手も足も出ないこの煮えたぎる熱湯風呂を少し薄めて適温にしたら、人生かけてゆっくりとそのぬくもりに浸かろう……と思いながら少しずつ水を足していたはずが、いつの間にか風呂桶からあふれだすのは取り返しがつかないほど冷えきった水で、もはや栓を抜いてまるごと排水し、別の水を沸かしなおすしかない。いつになったらゆっくり風呂に浸かれるんだろう。こんな真夜中にいったい何やってるんだろう私、全裸で。アツアツの恋愛をしながら適温の結婚を目指すなんて、あまりに難しすぎる。

ましてや、将来の伴侶を見つけるために? まずは合コンで出会いのきっかけを掴み? そこから「婚活」を? 一度も手順を間違えずに遂行できる人間だけが結婚できる時代? などと聞けば、水汲みと薪割りから始める風呂支度とも思われた。皆さんすごいですね、本当に偉いですね、全自動ボタンでのお湯張りを期待する私は怠け者ですかね……もういいわ銭湯行くわ、むしろ温泉旅に出るわ、おひとりさまで! と心底驚嘆しながら友人の披露宴にご祝儀を包み続けていたのである。

しかし、引き菓子を貪り食らいながら考えてみれば、私の両親がしたようなアツアツの恋愛結婚なんて、ここ数十年の戦後日本社会でいきなり流行りだした風潮に過ぎない。一万年と二千年前からずっと続いてきた伝統文化の正統継承者みたいな顔したアノ結婚情報誌だって、まだ創刊20年しか経っていない。

長い長い人類の歴史をひもといてみれば、家同士が決めた相手との結婚、互いの提示条件ありきで進める結婚が主流である。ロミオとジュリエットが勢いに任せて駆け落ちに成功したとして、あの生活能力の無さでは共白髪まで添い遂げられるかは疑わしい。一方で 、敵国に嫁がされた政略結婚からうっかりおしどり夫婦が生まれ、いつの間にか平和な治世が続いて子だくさん、といった例は珍しくない。

恋愛が得意でないことはいいかげん自覚したけど、結婚だけなら、わからないぞ。なにせまだしたことないんだからな。私がご祝儀を包んできた友人夫婦たちだって、変わらず円満だったり、さっさと離別したり、さまざまだ。いっそ何でもない相手といきなり結婚してみるのもいいかもしれない。と思いはじめたところに求婚されたので、受けてみた。←New! というのが現状である。

バンドやろうぜ!

交際0日婚だと言うと、「ええっ、恋人じゃない相手と結婚したの!? 好きでもないのに!?」と驚かれる。大きな誤解である。お互いのことを以前からよく知っており、お互いに相手のことがそこそこに好きで、嫌いなところがほとんどなかったからこそ、助走期間なしに結婚できた。大切なのはたぶん「嫌いなところがない」のほうで、「好き」の多寡ではない。夫婦として育む愛ならば、恋情以外の、別の素材からだって生成できると信じている。

うちの両親みたいにラブラブになれる相手が見つけられなかったら、私には結婚する資格なんてないんじゃないか。私はまだ「結婚に足る恋愛」ができていないんじゃないか。愛がなければ結婚できない、というのは、長く独身で恋人もいなかった私にとって、非常に都合のいい「結婚しない理由」だった。けれど本当は、結婚しない人生を選択することにいちいち言い訳なんか必要ないのだし、逆に、結婚するという選択にだって、大した理由なんか要らないのだ。

では、なぜ結婚することにしたのか? と訊かれたら、「ソロとして世の中にデビューしたミュージシャンが、後から誘われてバンドやユニットを結成するようなもの」と答えている。組んだ理由は「面白そうだから」かな……。

デビュー当時から一心同体、一度もメンバーチェンジせずに往年の名曲を引っさげて初心を忘れず現役バリバリの巡業を続ける、我が両親のようなご長寿バンドへのリスペクトは尽きないが、我々の場合、もしうまくいかなければ、さっさと解散してそれぞれの人生ソロ活動に戻ればいいだけのこと。難しく考えないほうがきっと、お互いに自由な音楽性をもって柔軟にバンド活動を存続させていける。

次回は、この「バンドやろうぜ!」というお誘いについて。夫のオットー氏(仮名)は私と違って、この結婚を、すっかり恋愛結婚だと思い込んでいる。あちらの風呂には「恋人気分」の追い炊き機能まで付いているらしい。この両者の感覚を分けるのが、プロポーズしたほう、されたほう、の違いだと思う。

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連載第1回がネット上で話題になったことを受け、親しい友人から「ネガティブな反響を見た旦那様が傷つきませんように」と心配された。300超ついたはてなブックマークのコメント欄を私より早くすべて読んでいたオットー氏は嬉々として、「傷つく? どうして? だってこれは君の文章で、俺には関係のないことじゃない!」……人生ソロ活動夫婦というのは、つまりはこんな距離感です。

<著者プロフィール>
岡田育
1980年東京生まれ。編集者、文筆家。主な生息地はTwitter。2012年まで老舗出版社に勤務、婦人雑誌や文芸書の編集に携わる。同人サークル「久谷女子」メンバーでもあり、紙媒体とインターネットをこよなく愛する文化系WEB女子。「cakes」にて『ハジの多い人生』連載中。CX系『とくダネ!』コメンテーターとして出演中。2013年春に結婚。

イラスト: 安海