君の部屋で暮らせない

私の大好きなミュージシャン・宮沢和史が本田美奈子に提供した「僕の部屋で暮らそう」という曲がある。タイトル通り恋人に同棲を提案する愛らしい歌である。いつか自分もこんなふうに誘い誘われる日が来るのかしら……と昔から愛聴してきたものの、結婚を決めた相手・オットー氏(仮名)から「早く一緒に暮らそうよ!」と言われたとき、私は硬直してしまった。

はいそうですね、と簡単に応じるわけにはいかない。何を隠そう、私はオタクである。オタクは荷物が多い。書籍や紙類や各種オモチャを中心に三十年余の人生でたくわえた多種多様なアイテムがあふれかえる自宅は、玄関先からベランダから台所から枕元に至るまで、足の踏み場もない状態だ。

親愛なるマイナビニュース読者の皆様は「ジャンプタワー」をご存じだろうか。『週刊少年ジャンプ』を積み上げて築き上げられる天突く巨塔である。合間に適宜『月刊アフタヌーン』を挟むとより安定する。「えっ、三十路OLの部屋になぜそんなものが?」「読み終えた雑誌は資源ゴミの日に捨てればよいのでは?」と疑問に思ったそこのあなた、さてはオタクではないですね。……私は捨てられないんだよ! 資料なんだよ! カラー扉も読切も付録も巻末コメントも手元に残しておきたいんだよ!

衣食住のための日用品とは別に蓄積されたこうした自称「資料」は段ボール数十箱分に及ぶ。収納に収納しきれず、床から積み上げてある。「いつか彼氏ができたら、こんな部屋にはとても上げられないわ。いつか彼氏ができたら、幻滅されないように片付けなくちゃ。いつか彼氏ができたら、断捨離、断捨離ッ!」と思いつつ、ついぞそんな機会には恵まれなかった。

「君の部屋へ遊びに行きたいな~」と言い寄る男たちはみな、最寄駅までで討ち取る水際作戦でしのいできた。中には夜陰に乗じて強引に我が陣営へ攻め込んだ猛者もいるが、いずれも玄関上陸と同時に撤退し、次の夜明けを待たずに交信が途絶えた。崩れてきたジャンプタワーで圧死したか、または瘴気にやられたんでしょうな。

腐海に降り立つ救世主

自宅に広大な腐海をたたえる、そんな私がうっかりプロポーズに応じてしまった。クシャナ殿下のお言葉を借りれば「我が夫となる者は(元彼より)さらにおぞましきものを見るであろう」である。どうにか同棲の開始を引き延ばし、この「資料」をせめて半分以下に減らしてから嫁入りせねば……どうする、今からいくら断捨離しても間に合わないぞ、いっそ火を点けてすべて灰にするか……? と懐から巨神兵を取り出しかけた私に、オットー氏は、こう言った。 「あのさ、簡単なことだよ。トランクルームを借りればいいよ」

最初は何を言われたのかわからなかった。 「すぐ引越ができない理由って、要は、荷物が多いんでしょ? どうせ趣味の漫画とか同人誌とかがすごい量なんでしょ? そのくらい日頃のTwitterを読んでたらわかるよー。当面は僕がトランクルームを借りてあげるからさ、今の部屋にある荷物はひとまず全部そこにしまって、早くお嫁においでよ」

惚れた。求婚された時点では正直なんとも思ってなかった男に、このとき惚れた。オットー氏、オタクをオタクのまま嫁に迎えるということの意味をきちんと理解して、その覚悟も据わっておられる。大した御仁である。

というわけで、我が夫となる者がぐぐって見つけてきたサービスは、一箱単位で月額200円から預かる寺田倉庫株式会社の「minikura」だった。月数千円の出費はけっして安いとは言えないが、「東京の住宅事情を考慮すれば、家賃より倉庫代に使うべき金額だ」と彼は言う。

たしかに都心部では、毎月の賃料を数千円上乗せしたところで、そこまで豪奢な物件に住み替えられるわけではない。加えて「広い家って掃除も大変なんだよね……二人暮らしなら荷物はよそに預けて、必要最小限で暮らすのがいいよ」とのこと。実家も含めてウサギ小屋にしか住んだことがない私には、想像も及ばぬ説得力だ。

「捨てずにおいで」と言ってくれ

しかし、そうは言っても、婚前に断捨離を済ませておかなかったのは、完全に私の自業自得である。せめて費用は自己負担したい。そう申し出たところ、「どうせつけない婚約指輪なんか買うことを思えば、安いもんだよ。指輪の代わりに倉庫をプレゼントしますよ」とやんわり却下された。

「だって君、自腹だとランニングコストを惜しんで早く解約しようと焦るでしょ。結婚後もずっと側に置いておきたいモノがどれだけあるのか、ゆっくり時間をかけて考えてみるといいよ。ちょっとでも悩んでいる間は、ケチケチしないで全部保管しておけばいいんだよ」

言い換えればこれは「時間」の贈り物である。自由気侭な独身生活から二人三脚の共同生活へと移行するために必要不可欠な、有限で無形の贈り物。私にとっては、どうせつけないダイヤモンドの指輪より美しく輝いて見える。

前述の宮沢和史率いるTHE BOOMには「月さえも眠る夜」という名曲もある。「この胸においで、なにもかも捨てておいで、あなただけ連れておいで」と歌うこの甘いラブソングが、昔から私は大好き、と同時に恐ろしくもあった。

その身一つでこの胸へ飛び込んでこい。愛する男が、私に向かってそう歌う。所持品はすべて手放してこいと。部屋の四隅のジャンプタワー、コツコツ集めた雑誌の切り抜き、ラジオ番組を録音してツメを折ったカセットテープ、何もかも「捨てておいで」と歌うのだ。だけどMIYA、アルバム未収録曲入りの8cmシングルCDと、ファンクラブ会報「エセコミ」一揃いと、ツアーロゴ入りグッズ各種と、直筆サインをもらった古い手帳、あれだけは捨てられないわ!! こんな私は誰の胸へも飛び込む資格がないの!?

しかし、今にして思えば、この曲の真骨頂は、二番のサビにある。「誰かと愛し合った、過ぎ去った季節まで、好きになってあげたい」。

現在も私は、約30箱の出庫と入庫を繰り返し、独身時代の荷物整理を続けている。傍目にはただの紙束やガラクタにすぎない「過ぎ去った季節」たちを、すっぽり収納可能なトランクルーム。その累積使用料金がオットー氏の「給料三ヵ月分」に到達する前になんとか、要るものと要らないものを選別して片付けるつもりだ。新婚生活を一歩ずつ、未来のほうへと進めるために。とりあえず、未開封で死蔵されていたTHE BOOMのツアーTシャツは、箱から出して新居で使っている。

<著者プロフィール>
岡田育
1980年東京生まれ。編集者、文筆家。主な生息地はTwitter。2012年まで老舗出版社に勤務、婦人雑誌や文芸書の編集に携わる。同人サークル「久谷女子」メンバーでもあり、紙媒体とインターネットをこよなく愛する文化系WEB女子。「cakes」にて『ハジの多い人生』連載中。CX系『とくダネ!』コメンテーターとして出演中。2013年春に結婚。

イラスト: 安海