いまから37年前の1975(昭和50)年12月、いまにも雪が降り出しそうな寒空の下、関東鉄道常総線の撮影に出かけました。当時の常総線は、1960~1970年代にかけての沿線の急激な宅地開発による都市化の影響を受け、輸送力増強を進めている最中でしたが、それでも線路の周辺にのどかな風景が残っていました。

上り取手行。先頭車はキハ800形

写真1の列車の後追い

やぶから顔を出したようなキハ805ほか3連の下り列車

写真1~3は、いずれも取手~寺原間(当時)で撮影したもの。取手駅を少し離れただけで、こんな荒野のような風景が広がっていました。しかも当時は単線。写真2の2両目の奇妙な車両は、もともと2ドアだった車両を3ドア化改造したもので、増設された中央のドアのみ両開きという、関東鉄道独特のスタイルでした。

関東鉄道常総線は、常磐線取手駅と水戸線下館駅を結ぶ約51㎞の非電化路線。現在のディーゼルカーの保有車両数は、JR以外の非電化路線として最大だそうです。常総線の前身である常総鉄道は、1913(大正2)年11月に取手駅~下館駅間で開業。今年で100周年を迎えます。

いまの常総線は、水海道駅を境に2つの顔を持っています。北側の水海道~下館間は単線でローカル線の雰囲気。一方、南側の取手~水海道間は複線化され、通期路線のイメージがあります。全国でも珍しい非電化複線は、1977年の取手~寺原間の完成から始まり、徐々に延伸されて1984年、取手~水海道間17.5㎞の複線区間が完成しました。

複線化が始まる前の関東鉄道では、輸送力不足を補うため、自社発注車両以外に全国各地の鉄道からディーゼルカーを買い集め、改造して使用していました。買付け先は国鉄をはじめ、加越能鉄道や小田急など数社におよんだため、さまざまなスタイルのディーゼルカーが活躍することになりました。写真4のキハ721は、加越能鉄道キハ187を譲受後、片運転台化改造された車両です。

取手駅に到着するキハ721ほか3連

下館行の列車。先頭車はキハ704

キハ611ほか2連

中でもとくに印象的だったのが、半流線型両運転台車、国鉄キハ07をベースにした改造車です。写真5の先頭車キハ704は、国鉄キハ07を譲受後、片運転台化され、独特の「湘南電車顔」になりました。ちなみにこの写真は、中央のドアを両開きに改造した直後のものです。写真6のキハ611も、もともと国鉄キハ07だった車両で、加越能鉄道で活躍した後、関東鉄道へ譲受され、片運転台化・中央ドア両開き化改造が行われました。

どちらも狭い窓が並ぶ古くさい側面に、近代的な2枚窓の前面(キハ704)、貫通扉の上にシールドビームを2灯のせた前面(キハ611)と、アンバランスさが目立っていました。

現在の西取手駅付近。いまでは関鉄ニュータウンとして開発され、住宅が建ち並ぶという

砂利敷きのホームの寺原駅に進入する上り取手行

取手行の先頭車キハ804。側面がバス窓の自社発注車

当時の寺原駅前。未舗装の駅前広場の先にたい焼き屋が

筆者が撮影した当時の常総線は全線単線で、取手~寺原間の西取手駅(1979年開業)も開業前。ニュータウンとして開発される前はこんなにのどかな風景が残っていたなんて、いまでは想像もつかないかもしれません。

「鉄道懐古写真」撮影時期と撮影場所

  撮影時期 撮影場所
写真1 1975年12月 取手~寺原間
写真2
写真3
写真4 取手駅
写真5
写真6 取手~寺原間
写真7
写真8 寺原駅
写真9
写真10
※写真は当時の許可を取って撮影されたものです
松尾かずと
1962年東京都生まれ。
1985年大学卒業後、映像関連の仕事に就き現在に至る。東急目蒲線(現在の目黒線)沿線で生まれ育つ。当時走っていた緑色の旧型電車に興味を持ったのが、鉄道趣味の始まり。その後、旧型つながりで、旧型国電や旧型電機を追う"撮り鉄"に。とくに73形が大好きで、南武線や鶴見線の撮影に足しげく通った