当連載第45回「"パンダ顔"105系、品川駅に現る!」でも紹介した1M式電車105系は、山口県の宇部・小野田線で最後の活躍を見せた戦前型旧型国電をいっせいに置き換えていきました。

今回は引退寸前の戦前型旧型国電が走っていた頃の宇部・小野田線を紹介します。最後の旧型国電として活躍し、車齢70年という高齢で引退したクモハ42001も走っていました。

宇部線は山陽本線の小郡駅(現在の新山口駅)から、宇部新川駅を経由して山陽本線宇部駅までを結ぶ路線。小野田線は宇部線居能駅から山陽本線小野田駅まで結ぶ路線と、途中雀田駅から分岐し、長門本山駅へ向かう本山支線からなる路線です。

これらの路線を「宇部・小野田線」と一緒にして呼ぶのは理由があります。2つの線区の車両基地は宇部電車区(現在は廃止)のみで、所属する車両が共用されていたからです。

宇部電車区の戦前型旧型国電は、関東や関西地区で活躍後に転属してきた片運転台車、クモハ41・51・クハ55と、両運転台車のクモハ40・42で構成されていました。

旧型国電ならではの元祖・1M式電車の特性を生かし、各線区の輸送量に合わせて両運転台車のみの1両、基本編成の2両、その基本編成に両運転台車を連結した3両、基本編成を2本連結した4両と、フレキシブルに編成を組んで運用されていました。

宇部電車区には、両運転台車のクモハ40とクモハ42が計5両配属されていました。両運転台車は使い勝手がよく、基本的に本山支線の単行の他、2連の基本編成に連結した3両編成をはじめ、ときには非パンタ側の幌を活かし、基本編成に組み入れられることもありました。

宇部・小野田線の戦前形旧型国電の多くは、ここで紹介した写真の撮影から数日後、3月19~20日のわずか2日間でいっせいに105系に置き換えられ、引退となりました。

ただし、クモハ42は奇跡的に生き残ることに。中でもクモハ42001は最後の旧型国電となり、2003年3月の引退まで、その活躍は70年におよびました。

今回紹介した「鉄道懐古写真」

撮影時期 撮影場所 写真の説明
写真1 1981年3月15日 宇部新川駅 宇部・小野田線の中心ともいえる宇部新川駅に並ぶ2本の列車。
クモハ41ほか2連(写真左)と、クモハ51ほか4連(同右)
写真2 朝ラッシュ時には、宇部新川駅で3本の列車が並ぶこともあった。
手前2本はクモハ51、奥の電車はクモハ41
写真3 宇部電車区 クモハ40023(写真左)とクモハ51041(同右)。
ぶどう色に黄色の警戒色が特徴。後方に105系の姿も
写真4 1981年3月16日 宇部新川駅 2連の基本編成を2本連結した4両編成が多く運用されていた。
先頭はサハ57を改造したクハ55324
写真5 阿知須駅付近 クロハ59を改造したクハ55111を先頭に、4連が
阿知須駅へ進入する。腕木式信号機が懐かしい
写真6 下関駅 夜間に山陽本線を激走し、下関駅まで乗り入れる運用も
あった。写真はクモハ41031ほか4連
写真7 1981年3月15日 南中川駅付近 2連の基本編成が小野田線南中川駅を出発。くもり空で
見えにくいが、背後の地平線の向こうは周防灘の海が広がる
写真8 長門本山駅 輸送量が1両で十分な小野田線本山支線は単行での運転。
写真のクモハ42006は2000年の引退まで67年間も活躍した
写真9 宇部駅 深夜の宇部駅で静かに発車を待つクモハ42001ほか2連。
この日は基本編成に組み込まれていた
写真10 写真9のクモハ42001の車内。電車は23時過ぎに宇部駅を
出発したが、乗っていたのは筆者も含めて数人だった
写真11 宇部~岩鼻間 クモハ40を先頭にした3連が厚東川を渡る
※写真は当時の許可を取って撮影されたものです
松尾かずと
1962年東京都生まれ。
1985年大学卒業後、映像関連の仕事に就き現在に至る。東急目蒲線(現在の目黒線)沿線で生まれ育つ。当時走っていた緑色の旧型電車に興味を持ったのが、鉄道趣味の始まり。その後、旧型つながりで、旧型国電や旧型電機を追う"撮り鉄"に。とくに73形が大好きで、南武線や鶴見線の撮影に足しげく通った