上田電鉄が2月15日、千曲川橋梁の復旧工事を公開。ついにレールがつながったと信濃毎日新聞や長野放送が報じた。上田電鉄と千曲川の名物だった赤い5連トラス橋は先月に復旧し、その後はレール敷設などの工事が進んでいた。鉄骨の大部分が再利用可能だったという奇跡。上田電鉄だけでなく、地域のシンボルとして、グッズ販売や土木遺産登録で盛り上げていきたい。

  • 「がんばれ別所線」のヘッドマークを掲げた上田電鉄6000系「さなだどりーむ号」

千曲川橋梁は上田電鉄別所線の上田~城下間にある鉄橋だ。真っ赤な5連トラス橋は鮮やかで、上田市にとって象徴となる景色のひとつだった。しかし2019年10月、台風19号「令和元年東日本台風」の豪雨で千曲川が増水し、城下駅側の堤防が壊れ、その堤防に支えられていたトラス橋が落ちた。上田~城下間は現在も不通のままとなっている。

上田電鉄別所線は上田駅と別所温泉を結ぶ電化路線。上田駅で北陸新幹線やしなの鉄道と連絡している。千曲川橋梁は上田側の付け根に当たる部分にあり、この区間を失うと、他の路線から乗り換えられなくなるほか、沿線で最も栄えている上田駅周辺に到達できない。平日を中心とした通勤・通学の手段が断たれるだけでなく、休日の別所温泉への観光客にとっても不便になる。地域経済にも打撃を与えた。

不通区間が発生して以降、代行バスが運行され、上田~城下間の連絡は維持されたが、この状態が続けば「全区間バスでもいいのではないか」との声も出るだろう。つまり鉄道の存廃論議が起きかねない。多額な復旧費用を誰が負担するか。上田電鉄が負担できなければ廃止、自治体が支援できなければ廃止、というわけだ。

■台風で橋が壊れたくらいで廃止できるか

ただし、上田電鉄と上田市の「復旧」の決断は早かった。上田市にとって、上田電鉄は重要な路線という認識だった。上田電鉄は分社前の「上田交通」時代に4路線を擁していたが、事業の不振によって3路線が廃止され、現在は別所線のみ。その別所線も1973(昭和48)年に廃止・バス転換が検討された。しかし国と上田市によって支援の枠組みが決まり、廃止は免れた。1997(平成9)年に新幹線が開業し、翌年の長野オリンピック開催による観光客増加の期待もあった。

その後も自動車の発達、近年は少子化による通学定期売上減少、バブル崩壊後の観光客減少などで赤字経営が続く。それでも上田市は「鉄道が必要だ」という強い意思を持ち、補助金を増額した。長野県や国の支援も継続するように働きかけた。沿線の人々による支援団体も多数作られ、それらを統合し、上田市も参加して「別所線再生支援協議会」が設置された。その結果、継続的な公的支援の増額が決まり、支援の受け皿として独立採算化するため、上田交通から鉄道部門を分社化し、上田電鉄が設立された。

「そこまで頑張って残した鉄道を、台風で橋が壊れたくらいで廃止できるか」

これが上田市の官民一丸となった思いだっただろう。2019年には、上田電鉄から「早期復旧に向け関係機関と協議」「2021年春の運行再開をめざす」と発表された。

  • 復旧に向けて工事の進む千曲川橋梁(2020年10月撮影)

復旧を後押しした要素が2つある。ひとつは国が「令和元年東日本台風」を「激甚災害」と認定したこと。これで復旧にあたり、「特定大規模災害等鉄道施設災害復旧事業費補助」が受けられるようになる。その条件として、千曲川橋梁を上田市が保有し、鉄道運行を上田電鉄が実施するという部分的な「上下分離」が行われた。

もうひとつは、落ちたトラス鉄骨が頑丈で、リベットなど接続部材などを除き、ほとんどの構成部材を再利用できたこと。これで復旧費用と時間を大幅に短縮できた。落ちたトラス橋の撤去と護岸回復工事はすぐに着手された。雪解けに伴う千曲川増水期は中断されたが、11月の減水期から工事が再開され、目標通り、2021年3月28日に運行再開の見通しとなった。

■奇跡の橋として盛り上げていきたい

全国からも支援が寄せられた。「別所線災害復旧支援」口座には約1,500万円の義援金が寄せられた。その後は上田市ふるさと寄附金「別所線応援プロジェクト」に引き継がれ、約4,000万円が集まった。現地では別所線記念グッズを求めて鉄道ファンが訪れ、その応援に応えようと、城下駅に引退した元東急5200系「銀ガエル」を展示するイベントを開催した。現在も東急グループのふるさと納税サイト「ふるさとパレット」でクラウドファンディングを受け付けている。

  • 上田電鉄が城下駅に展示した元東急5200系「銀ガエル」

筆者も元東急5200系の展示を見に行った。入場券の購入が見学の条件だったものの、それだけでは申し訳なく、いろいろとグッズを購入した。3月28日に全線再開したら、また乗りに行きたい。災害は残念だったが、復旧は勢いが付く。好機である。この機会に、赤い5連トラス橋をもっともっと盛り上げてほしい。

千曲川橋梁の開通は1924(大正13)年。あと3年で100周年だ。施工は横河橋梁製作所で、現在の横河ブリッジホールディングス。創業者の横河民輔は、後に横河電機も設立し、現在の横河グループを形成した。産業・財界の歴史からみても貴重な建築物だ。美しい姿で歴史があるにもかかわらず、なぜか文化遺産、産業遺産、土木学会選奨土木遺産などには含まれていない。国鉄からJRに継承された「鉄道記念物」はJRの施設が対象のようで、民間鉄道の上田電鉄には与えられない。

今回、「落ちた鉄橋を再生できた」という縁起も加わった。このストーリーは、なにかの復活を願う人々のシンボルになる。ぜひ記念物や遺産として、なんらかの称号を与えて盛り上げていきたい。グッズも欲しい。タカラトミーさん、「プラレール」の「小さな鉄橋」を5個まとめて、「千曲川橋梁セット」として売り出してはいかがだろうか。できれば上田電鉄の車両も付けて。上田電鉄限定販売。売れると思うけど……どうかな。