「宇高航路」が廃止されるかもしれない。山陽新聞が11月8日、電子版にて「四国フェリーが宇高航路の打ち切り」と報じた。続報として詳細が明かされると、共同通信経由で広く報じられることになった。

  • 2017年まで宇高航路に使用された「第八十五玉高丸」(写真:マイナビニュース)

    2017年まで宇高航路に使用された「第八十五玉高丸」。8トントラック22台、定員300名(2013年3月撮影)

宇高航路は四国急行フェリーが運航しており、四国フェリーが親会社となる。四国急行フェリーは11日、正式に「高松・宇野航路の運航休止のお知らせ」を発表。運航休止を国土交通省に届出、受理された。運航休止は12月16日から。最終運航は12月15日になる。

11月15日に行われた「宇野高松間地域交通連絡協議会」では、岡山県、玉野市、香川県、高松市の2県2市と、国土交通省四国運輸局、四国急行フェリーによる話し合いが持たれた。山陽新聞の11月15日付の記事「宇高航路、『休止やむなし』 2県2市など高松で協議会」によると、四国急行フェリーが支援増額、あるいは第三セクター化を提案したという。しかし、現行法での国の支援はできず、各自治体も支援増額は困難で一致した。宇高航路の廃止が確定した。

■国鉄連絡船から始まった宇高航路

宇高航路は1910(明治43)年6月12日に鉄道連絡船として開業した。鉄道院が岡山~高松間の交通改善を目的として、岡山~宇野間に宇野線を建設。宇野線と宇高連絡船は同時に開業した。船舶も山陽鉄道(後に国有化)の子会社が岡山~高松間で運航していた2隻を転用した。

宇高連絡船は本州と四国を結ぶ主要ルートとして活躍した。ブルートレイン世代にとっては寝台特急「瀬戸」が連想され、懐かしい。東京駅から出発する列車で、行先が「宇野」という耳慣れない土地。時刻表を調べてみると、ここから連絡船で高松に行ける。1978(昭和53)年10月の時刻表では、東京駅を19時25分に発車し、宇野駅到着は翌日の6時3分。宇高連絡船は宇野駅6時15分発・高松駅7時15分着。高松駅からは特急「しおかぜ1号」(宇和島行)・「南風1号」(中村行)、急行「むろと1号」(牟岐行)に乗り継げた。

大阪駅からは23時21分発の急行「鷲羽」が運転され、宇野駅到着は2時28分。宇高連絡船は宇野駅2時45分発・高松駅3時45分着。ちょっと早い時間だけど、四国側はちゃんと対応しており、高松駅4時7分発の快速松山行、または4時56分発の急行「うわじま3号」(宇和島行)に連絡していた。他の便も急行列車や快速列車が連絡しており、本州側・四国側ともに「いつでも出かけられる頼もしい存在」だった。

宇高航路は鉄道だけでなく、トラック輸送でも岡山~高松間の短絡便として活躍した。1956(昭和31)年に四国フェリーの前身、四国自動車航送が定期貨物便を開設。1959年に津国汽船、1961年に宇高国道フェリーが参入した。旅客輸送面のライバル参入を受けて、国鉄は宇高連絡船にホバークラフトを投入し、「急行便」とした。所要時間は在来線の半分以下となる23分だった。

  • ホバークラフトは空気を海面に吹き付けて船体を浮上させ、飛ぶように進む(写真は大分ホーバーフェリー。2009年に終了)

しかし、瀬戸大橋線の開通によって、宇高連絡船は1988年に全便廃止。寝台特急「瀬戸」は高松行となった。当時はまだブルートレインだったけれど、10年後の1998(平成10)年から「サンライズ瀬戸」となり、現在に至る。

瀬戸大橋の開通にともない宇高連絡船が廃止されたことで、宇高航路の輸送量は減少した。それでも宇高航路には一定の需要があった。瀬戸大橋の通行料金が高額なため、宇高航路を選択する自動車が多かったからだ。

しかし、1998年に明石海峡大橋が開通し、大鳴門橋経由のルートが完成すると、輸送量低下に拍車がかかる。2009年3月から各橋の高速道路料金についてETC割引が始まると、輸送量が激減した。瀬戸大橋開通による輸送減は想定内だったけれど、ETC料金値下げは想定外の打撃となった。かつて宇高連絡船の他に四国自動車航送(現・四国フェリー)、津国汽船、宇高国道フェリーの4社が就航して競った航路も、四国急行フェリー1社となった。

山陽新聞の報道によると、瀬戸大橋開通直前の1987年度で、宇高連絡船を除く3社で1日あたり約150往復、約400万人を運んだという。その後、2010年に四国フェリー、四国国道フェリーの2社が事業廃止の届出を行ったけれど、地域の存続要望が大きく、減便・減船などに理解を得た上で事業廃止を撤回している。現在は四国急行フェリー1社のみ。24時間運航を取りやめ、1日5往復、年間利用者は18万人まで落ち込んだ。

四国急行フェリーは2013年に四国フェリーから宇高航路を引き継いだ会社で、沿線から財政支援を受けるための分社化だった。岡山県、玉野市、香川県、高松市は2016年度まで3,000万円を支援していた。しかし2017年以降は1,500万円に減額されている。同社は2019年夏頃から、2県2市の担当者会議などで採算悪化を訴え、宇高航路からの撤退を示唆していたという。運航休止となった背景には、これまでに支援の増額が得られなかったこともありそうだ。

■小型船化し、観光ルートとして整備できないか

国土交通省四国運輸局は休止届を受理するとともに、宇野高松間地域交通連絡協議会の開催を決定。山陽新聞の続報によれば、11月12日に赤羽一嘉国土交通相が、「必要な対応を検討し善処する」と発言したとのこと。しかし、結果として国からの支援は得られず、11月15日に「休止やむなし」の結論に至った。

国の支援施策として「離島航路及び補助対象航路」に補助金を交付する制度があるけれども、本州との間に3本の立派な橋が架かる四国は離島と認められない。2県2市では支えきれない場合、国の支援を受けたいけれど、それには新たな枠組みが必要になる。法改正の必要もあり、12月15日までには間に合わない。

しかし、瀬戸大橋は高速道路となっており、自転車、原動機付き二輪車、小排気量の自動二輪車は通行できない。これらの利用者は通行手段が断たれてしまう。さらに、宇高航路は瀬戸内の観光ルートでもある。筆者は2013年、高松から宇高航路に乗って宇野駅へ向かい、宇野線に初乗車した。約1時間の船旅はゆったりとした時間で、瀬戸大橋や瀬戸内の風景を楽しめた。もはや自動車航送の収益が期待できないとすれば、運行コストの低い小型船で再開する方法もあるのではないか。

  • 宇高航路の早朝便で見た日の出(2013年3月撮影)

現在、JR西日本は宇野線を中心に、自転車を積める観光列車「ラ・マル せとうち」を走らせている。この列車と宇高航路を組み合わせることで、しまなみ海道のような回遊サイクリングルートを提案できると思う。3年ごとに開催される「瀬戸内国際芸術祭」との連携を含めて、新たな宇高航路と観光面の取組みを期待したい。