2018年春のJRグループのダイヤ改正が発表された。新路線の開業など大きなトピックはないけれど、長らく続いた特急列車の愛称変更、新潟駅の新幹線・在来線同一ホーム乗換えなど、注目すべき点は多い。その中でも「エル特急」の終了は、国鉄時代を知る鉄道ファンにとって寂しい話題のひとつだ。筆者にとって、エル特急といえば485系、絵入りヘッドマーク、にぎやかだった在来線時代の象徴……。国鉄の名残がまたひとつ消えていく。

12月15日付の毎日新聞電子版「JR東海 L特急名称廃止 来春のダイヤ改正で表記消える」、12月16日朝刊「L特急 さようなら 旧国鉄からの名称、来春全廃」によると、JR東海は12月15日、来春のダイヤ改正を機にエル特急の名称廃止を発表したという。ダイヤ改正の内容を知らせるJR東海のプレスリリースには記載されておらず、他の報道機関でも触れられていない。毎日新聞の取材によるものだ。

  • エル特急「しなの」「ひだ」のヘッドマーク。エル特急のマークはすでになかった

現在、エル特急の呼称を付した列車は「しなの」(名古屋~長野間)・「ひだ」(大阪・名古屋~高山・富山間など)・「しらさぎ」(名古屋・米原~金沢間)の3種類のみだった。これらの列車そのものが廃止になるわけではない。2018年3月ダイヤ改正ではエル特急の呼称だけが消える。もっとも、筆者が2016年3月に「しなの」に乗ったときは、ヘッドマークや駅の発車案内に「エル特急」のマークはなかった。

エル特急の呼称は、いまとなっては「あってもなくてもいい」存在で、むしろ「これは何なのか」と説明を求められそうな状況なのだろう。1972年10月のダイヤ改正で華々しく登場し、全国で活躍したエル特急も、45年以上を経てついに役割を終える。

「数自慢 キッカリ発車 自由席」

そもそもエル特急とは何か。国鉄時代の1972年10月ダイヤ改正で、一定の条件を備えた特急列車に付けられたブランドだった。一定の条件とは「運行頻度が高く、覚えやすい発車時刻で、自由席を備えている」だった。いまとなっては当たり前のようなサービスだけど、その当たり前を定着させたブランドがエル特急である。

1950年代までの特急列車は、文字通り「特別な急行列車」だった。長距離移動で目的地に早く着くための列車は「急行」で、全国の国鉄に多数存在した。一方、特急列車は1日1往復程度の特別な存在だった。指定席が前提で、普通車でも前向きシートと空調を備えている。食堂車を連結するなどサービス内容も格上だった。

1960年代になると、東海道本線や東北本線などの基幹路線だけだった特急列車が全国で走り始めた。高度経済成長を受けて全国に大企業の支店や営業所が増え、鉄道のビジネス需要が高まった。特急列車は首都圏や近畿圏と主要地方都市を結ぶ形で増発されていく。とくに東海道新幹線の開業後、東海道新幹線の主要駅から接続する列車として特急列車網が形成されていった。

ここで国鉄の赤字問題が露呈し、増収が課題となった。しかし、国策によって運賃値上げは抑制された。国鉄は特急列車の人気上昇を背景に、急行列車を格上げする形で特急列車を増発する。こうして「特別な急行列車」が「特急」として大衆化されていった。

そこで「従来の特急列車と違い、乗りやすい列車ですよ」と特急列車を宣伝するために付けられたブランドがエル特急であった。キャッチフレーズは「数自慢 キッカリ発車 自由席」だ。1日に数往復、発車時刻を毎時●分という同じ時刻にそろえ、予約なしで乗れる自由席を備える列車がエル特急。ゆえにエル特急にならない特急列車もあったし、東海道新幹線もエル特急ではなく「超特急」のままだった。

1972年10月にエル特急と認定された列車は「わかしお」(東京~安房鴨川間)・「さざなみ」(東京~館山間)・「ひばり」(上野~仙台間、東北本線経由)・「ひたち」(上野~仙台間、常磐線経由)・「とき」(上野~新潟間)・「あさま」(上野~長野間)・「つばめ」(岡山~熊本間)・「はと」(岡山~下関間)・「しおじ」(新大阪~下関間)の9種類。

エル特急は国鉄の特急列車網の充実とともに増えていく。月刊の大型時刻表では、新幹線の時刻の次にエル特急の時刻がまとめて掲載された。「数自慢」「キッカリ発車」ぶりを「国鉄監修 交通公社の時刻表 1978年10月号」で調べてみると、以下の通りだった。

列車名 運行区間 概要
いしかり 札幌~旭川間 1日7往復。札幌・旭川ともに2時間間隔で00分発。自由席5両
やまびこ 上野~盛岡間 1日4往復。上野駅33分発。仙台駅16分発。「はつかり」と合わせて上野~盛岡間は1時間間隔。自由席3両
はつかり 上野~青森間 1日6往復。上野駅33分発。自由席3両
ひばり 上野~仙台間 1日15往復。上野駅00分発。自由席3両。やまびこ、はつかりと合わせて、上野~仙台間は日中約30分間隔となる
やまばと 上野~山形 1日3往復。上野駅33分発。自由席3両。つばさと合わせて、上野~山形間を6往復とした
つばさ 上野~秋田間 1日3往復。上野駅03分発。福島から奥羽本線経由で、自由席3両
ひたち 上野~平(現 いわき)・原ノ町・仙台間 1日11往復。上野駅00分発。常磐線経由で仙台行は1日1往復。平(現 いわき)駅までは1時間間隔。自由席3両または5両
さざなみ 東京~館山・千倉間 1日8往復(臨時含む)。東京駅30分発。自由席5両
わかしお 東京~安房鴨川間 1日8往復(臨時含む)。東京駅00分発。自由席5両
しおさい 東京~銚子間 1日5往復。東京駅45分発。自由席5両
あやめ 東京~鹿島神宮間 1日4往復。東京駅45分発。自由席5両
とき 上野~新潟間 1日14往復。上野駅49分発。自由席3両
あさま 上野~長野間 1日10往復(うち1往復は運休)。上野駅16分または46分発。自由席3両
白山 上野~金沢間 1日3往復。上野駅16分または46分発。自由席3両。「あさま」と合わせて上野~長野間は30分~1時間間隔
あずさ 新宿~甲府・松本・白馬間 1日10往復(臨時含む)。新宿駅00分発。自由席3両または6両
しなの 大阪・名古屋~長野間 1日9往復。名古屋駅00分発。自由席3両
しらさぎ 名古屋~金沢・富山 1日7往復。名古屋駅15分発。自由席3両
加越 米原~金沢・富山 1日6往復。自由席3両。「しらさぎ」と合わせて米原~金沢間を1時間間隔。米原方面は金沢駅01分発
雷鳥 大阪~金沢・富山・新潟間 1日16往復(臨時含む)。大阪駅05分発。大阪~金沢間を30分~1時間間隔。自由席3両
くろしお 天王寺~白浜・新宮間 1日9往復(臨時含む)。天王寺駅00分発。自由席2両
やくも 岡山~松江・出雲市・益田間 1日6往復。岡山駅10分発。自由席2両
有明 門司港・小倉・博多~熊本・西鹿児島(現 鹿児島中央)間 1日10往復。博多駅00分または16分頃発。自由席4両
にちりん 博多・小倉~大分・宮崎・西鹿児島(現:鹿児島中央)間 1日8往復。小倉駅42分発。自由席3両または5両
かもめ 小倉・博多~長崎間 1日7往復。博多駅25分発。自由席4両。小倉・博多~肥前山口間で「みどり」と併結
みどり 小倉・博多~佐世保間 1日7往復。博多駅25分発。自由席2両。小倉・博多~肥前山口間で「かもめ」と併結

10年後、1988年10月号の時刻表では、エル特急と他の特急も合わせて「昼間の特急」という欄に変わった。エル特急は「ライラック」「ホワイトアロー」「はつかり」「たざわ」「つばさ」「いなほ」「新特急谷川」「新特急草津」「新特急あかぎ」「ひたち」「あさま」「白山」「新特急なすの」「あやめ」「しおさい」「わかしお」「さざなみ」「踊り子」「あずさ」「かいじ」「しなの」「北近畿」「雷鳥」「しらさぎ」「加越」「くろしお」「しまんと」「南風」「いしづち」「しおかぜ」「うずしお」「やくも」「有明」「にちりん」「かもめ」「みどり」の36種類になった。

しかし、6往復の「はまかぜ」、7往復の「あさしお」など、運行頻度が高く自由席があるにもかかわらずエル特急にならない列車もあった。特急料金に差もなく、この頃からエル特急の存在がぶれ始めたといえそうだ。高崎線には「新特急●●」という新愛称が誕生している。定期券で乗車でき、短距離の自由席特急利用金は新特急料金ともいうべき安価に設定された。「新特急」の呼称はエル特急より早く、2002年に廃止されている。

その後、エル特急は衰退していく。理由のひとつは新幹線の新線開業にともない、在来線特急列車そのものが消えたこと。旅客案内上、特別の意味がなくなったことも原因のようだ。JR東日本は2002年に自社線内でのエル特急の呼称をやめた。JR九州は2008年、JR西日本は2010年、JR四国は2011年、JR北海道も今年3月のダイヤ改正でやめていた。

最後に残ったJR東海が2018年3月にやめることで、国鉄時代から45年半も続いた「エル特急時代」が終わる。ひと足先に消えていった「周遊きっぷ」の中にはフリー区間内で特急列車の自由席に乗れるきっぷもあった。JR発足30年。国鉄時代の遺産がまたひとつ消えていく。ちょっと寂しい気持ちもあるけれど、ひとつの時代の終わりを受け止めよう。