ラジオ業界に関わる様々な人を掘り下げる連載「ラジオの現場から」。今回登場するのは、文化放送の太田英明編成局長だ。1986年の入社以来、アナウンサー一筋だったが、昨年10月付けで編成局長に就任。番組内で辞令が発表されるという前代未聞の出来事が話題になった。

太田氏の名前を広め、ご本人にも強烈な印象を残しているのが『吉田照美のやる気MANMAN!』だ。1987年から20年にわたって放送された平日午後のこの人気番組で、太田氏は中継リポーターを務めた。若手時代にはドッキリにかけられ、涙が流したこともあるという。今では放送不可能の挑戦的な企画の数々が、太田氏の礎を作っていく。

■『吉田照美のやる気MANMAN!』中継コーナーの思い出

  • 太田英明氏

    太田英明氏

――太田さんと言えば、圧倒的な人気を博していた午後のワイド番組『吉田照美のやる気MANMAN!』の中継コーナーで、とんでもないことをやらされたという伝説をよく耳にします。特にひどいドッキリにかかったことがあるそうですね。

今の時代だとまったく考えられないことなんですが……。入社2年目ぐらいのことなんでけど、『やる気MANMAN!』の外中継で、隠しマイクをつけて「上野公園にいる男の人にキスをせがめ」という企画をやったんです。隠しマイクですから、相手には放送に乗っているということはまったくわからない状況で。

――今じゃありえないムチャクチャな企画ですね(笑)。

15分ぐらいの企画でしたが、もう最後の1人だなというときに、側にいたスタッフに「あの人にしよう」と指示を受けて、話しかけたんです。そうしたら、その人が「いいよ」と言ってきて……。もう締めの時間なので、「ごめんなさい」と断ったら、その方から連絡先の書いたメモを渡されたんですよ。そこには「やるMAN」と書いてあったんです。「あれっ?」って思ったときに、忍ばせていたイヤフォンから「バーカ、バーカ、引っ掛かりやがって。アホじゃないの?」というスタジオにいる照美さんの声が聞こえてきて。

■放送中に涙「こんな番組辞めてやる!」

――それで、太田さんはどんな反応をされたんですか?

当時はアナウンサーとして全然経験もなかったですし、パニックになってしまって、「こんなひどい仕打ちをされるなんて、もうこんな番組辞めてやる!」と泣いちゃったんです。ちょっと経ったら冷静になって、「嘘です。ごめんなさい。続けさせてください」みたいな感じで放送は終わったんですね。

その後、スタッフも「さすがに悪かった」と言ってくださり、上野で有名なうなぎ屋さんに連れて行ってもらって、ご馳走してもらいました。「こんなことばっかりじゃないから」と励まされて会社に戻ってきたら、番組プロデューサーに呼ばれて、今度はすごく怒られたんです。「ふざけるな。あんな風に本気になって、冷静さを失ったら、エンターテインメントとして成立しないじゃないか」と言われて。それほどプロの世界は厳しいんだなと思いました。

――アナウンサーの教育として正しいのかはわかりませんが(笑)。とはいえ、そこでエンターテインメントの洗礼を受けたんですね。

それから私のことを面白がってくださって、「泣く」というのをネタにすることが増えました。例えば、隠しマイクをつけて八百屋さんに行って、「キュウリください」と声をかけたら、「実はキュウリの思い出があって」と急に泣いたりとか、そういうことを毎回毎回やってましたね。今は許されないことですけど、最終的にはタキシードを着て車に乗って、“泣きのパレード”として新宿大通りをワンワン泣きながら走るなんてこともやりました。

当時、福山雅治さんが面白がってそれを聴いてくださっていて、ライブに行ってごあいさつしたとき、そういう話になって、「じゃあ、ここで泣いてくれる?」と言われて、泣いてみせたということもありました(笑)。そんなことをやっていた若かりし頃ですね。

――あくまでも昔の話、という部分は強調しないといけないですね。今、昼間の生ワイドでそんなことは絶対にやれないでしょうから。

本当にそうですね。殴られかかったこともたくさんありました。ある時、これも隠しマイクをつけて、原宿にある高級品ばかり扱っている輸入品のブティックに行ったことがあるんです。茨城に住んでいた時期もあるので、「茨城出身の田舎者なんだけど、これから大事なデートがあるから、スーツがほしいんです」と茨城弁丸出しで言ったら、「君はこんなところに来るような人じゃないから帰りな」って返されて。

スタジオで聴いていた照美さんが怒って、「こんな失礼な店はない。ふざけるな」みたいなことを言ったんですね。そうしたら、その放送を聴いていたお店の知り合いの人が「お前の店、こっそり中継が入っているみたいだよ」って連絡したらしくて。その後、お店の人が怒って、中継車まで追っかけてきて、胸ぐらを掴まれたり……。そういうようなことをほぼ毎週のようにやっていました(苦笑)。