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初恋、結婚、就職、出産、閉経、死別……。
人生のなかで重要な「節目」ほど、意外とさらりとやってきます。
そこに芽生える、悩み、葛藤、自信、その他の感情について
気鋭の文筆家、岡田育さんがみずからの体験をもとに綴ります。
「女の節目」は、みな同じ。「女の人生」は、人それぞれ。
誕生から死に至るまでの暮らしの中での「わたくしごと」、
女性にとっての「節目」を、時系列で追う連載です。
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小さな巨人

20代の中頃までは、ずいぶん見当違いをしていた。私たちの人生を大きく左右するものといえば、進学先で出会う恩師や、就職先で出会う同僚、ドラマチックな恋愛や、生活を共にするパートナーの出現、あるいは住環境や経済状況の変化であったり、大きな病気や怪我、自然災害などであったりするのだろうと。

だがしかし、若者には思いもよらない、もっと劇的に人生を変貌させるものとて、この世には存在するのである。もしかすると多くの中高年世代にとってこれほど大きな「節目」はないのかもしれない、とさえ思う。彼らの後半生に対する価値観や未来予想図をあっさり別の色に塗り替えてしまうどころか、数十年かけて形成してきた人格まで簡単に崩壊させてしまうインパクトを持つ、その存在を、人類は「孫」と呼ぶ。

誰もが初めての経験をする

数年前のこと。同年代の友人にお祝いのメールを送ると、いま電話してもいいか? と返事が来て、受話器の向こうで突然泣きじゃくり始めたのには驚いた。体育会系出身の粘り強い努力家で、いつも泰然自若としている彼女が、電話口で流したのは怒りの涙である。

「うちの親は『毒親』だったのよ!」と吐き捨てるように言った。「今まで仲が良いと思い込んでいたけど、私ばかりがずっと我慢させられてきたんだ、ってわかっちゃった。私は今後もあの人たちに人生をめちゃめちゃにされてしまう、それが耐えられない!」

大騒ぎする彼女をなだめるために、努めて落ち着いた声を作った。「うん、でもね、うちの妹のときもまるで同じことが起きたよ。たぶん、みんなそうなっちゃうんだよ。こちらも初めてだけど、向こうだって向こうの立場で、初めての体験なんだもの。みんな適切な距離感がわからなくなるし、ちょっと、頭がおかしくなるんだよ」……だから、頑張って。つらいのはあなただけじゃない。我ながら空疎に響く言葉だが、少しでも孤独な心の慰めになればと思い、退院直後の深夜の長電話を続けた。

「生まれたばかりの我が子の命名に、初孫誕生に浮かれ騒いだ祖父母がしゃしゃり出てくる」という事案である。経験豊富な自分たちは若輩者が到底及ばない最高のネーミングセンスを備えており、どこへ出しても恥ずかしくない立派な名前を授ける当然の権利および責任がある、と信じ切っている彼らは、意気揚々と縁起や画数の好い名前の一覧を押し付けてくる。新生児の実の両親たちが希望する案よりも、自分たちの案のほうがいいに決まっている、なぜなら我々は、その両親たちのさらに「親」であるのだから、という謎の理屈をふりかざしながら。

「ものすごい剣幕で、体力が落ちてるときに一人で会うのが怖い……。結局あの人たちは、今も私のことを所有物か何かだと思ってるんだわ。自分たちの所有物が真新しいオモチャを産んだから、それもまた自分たちのモノだって、どうとでも好き放題にできるんだって、そう思ってるのよ。今まで30年間、いつでも私を尊重してくれたあの人たちは全部嘘で、ついに本性が出たとしか思えない。だって、どうして私と彼との子供に、お父さんの名前から一字取って入れないといけないの。私たちが入れたいわけでもないのに、なんで強制されなくちゃいけないの!?」

もろもろ不安定になる産褥期とはいえ、我が子がこんなことで大号泣するほどショックを受けているなんて、彼らは知る由もないのだろう。「孫が生まれてから、まるで人が変わったみたい」と実の親に怯える彼女の声が耳を離れない。

黄金に魅せられて

孫を持つどころか自分の子さえ産んだことのない私だが、「所有」という言葉に蘇る記憶がある。幼稚園児の頃、今は亡き父方の祖母に誘拐された。母親の迎えより先に車を回して叔母とともに私を連れ去ったのだ。おそらくは嫁姑間で何か揉め事でもあったのか、とばっちりを食った私はたっぷりのお菓子とオモチャを与えられ、親との接触を禁じられたまま、「もうママの言うことは聞きません、今日からおばあちゃんちの子になります、って言いなさい」と脅され続けた。

幼い私を奪還するために母がどれだけの犠牲を払ったかは謎のままだが、とにかく気性の激しい祖母の掌中から解放されて心底ホッとしたものだ。そして今、何より恐ろしいのはそのとき私を救ってくれた母が、初孫にあたる甥ッ子を抱きしめながら「ず~っとばあばのおうちで暮らす~?」とニコニコ訊き続けていることである。

なぜ、こうも平然と同じことが繰り返されるのか。孫を手に入れるためなら何だってするというのか。私は彼ら彼女らのこれほどまでにむきだしの「所有欲」を、よそで目にしたことはない。ただひとつ、「孫という名の宝物」が、血を血で継いだONE PIECE(ひとつなぎの大秘宝)だけが、彼らの欲望をかきたて、暴虐と掠奪を正当化し、世に大海賊時代を開幕させてしまうのである。怖いよ!

人生における一人称を「じいじ」「ばあば」に変更した人々は、時に顔つきや立ち居振る舞いまで豹変する。生き馬の目を抜く業界で現役バリバリに働いていたのが、孫が生まれた途端、目尻と眉尻がそれぞれ1.5センチ下がった男性を知っている。ずっとDCブランドで身を固めていたのが、孫が生まれた途端、パステルカラーのキルトにひよこのアップリケを縫いつけ、携帯電話のアンテナから拳大のぬいぐるみをジャラジャラ下げるようになった女性を知っている。近頃の若い親どもは我が子に珍妙なキラキラネームをつけてけしからん、とさんざん批判してきた老人の、孫の名前を聞いてみたらリンリンとかランランとか十分キラキラしてて正直どっちもどっちだろと思ったことだって、何度もある。

仕方ない。なにしろ彼らは、狂っているのだ。孫がすべてを狂わせるのだ。この天然由来成分だけしか含まれない脳内ドラッグには、理性という名の解毒剤などまるで通用しない。孫を愛し孫に愛される、ただそのためだけに四方八方から惜しみなくエネルギーが注がれていく。仕方ない。頑張って。

究極のアンチエイジング

いつにも増してネガティブな言葉を選んでしまうのは、「孫」によって劇的に人生を変えていくそうした人々が、自分とはあまりにも遠く感じられるからだろうか。それともあるいは、20代さんざん浴びせられた「早く孫の顔が見たい」という言葉への拒絶反応か。かわいい赤子に罪はないけれど、「孫」という節目は、考えれば考えるほど恐ろしい。

人生80年のうち、40年辺りの折り返し地点までに子供のある人生を選択した人々は、残り半分近くを子供とともに過ごす。さらにそのまた半分近くを、孫とともに過ごすことになる人も多い。産声を上げてから成人するまでよりずっと長い時間を「おじいちゃん」「おばあちゃん」として生きる人生も、高齢化社会においてはありふれた光景となるだろう。

子供が生まれたら人生は折り返し、孫が生まれたら人生はアガリ。そんなふうに考えていたこともあったのだけれど、まるで見当違いだった。「孫」を節目に、「孫」を糧に、枯れかけた時間を華麗に巻き戻して逆走してくるギラついた中高年がいる。「やーだー、あたし、こう見えてもう孫がいるんだからー!」とはしゃぐ彼らにはまるで現役を退くつもりはなく、何なら「節目」を境にどんどん若返ってゆく人も珍しくなく、そして彼らに残された時間は、案外と長い。

この「節目」を境に豹変した人々については、周囲がいくら「部長、お孫さんが生まれたからってそんな締まらない顔はやめてください、昔みたいにまたマナジリをキリッと上げてくださいよ」などと言っても、てんで無駄である。ひょっとすると、あなたがかつて職場で見ていた彼らの姿のほうが、たった二、三十年ほどの短い期間、平日の昼間にしか見えない、白昼夢のような姿だったのかもしれないのだから。部下が「孫」ほどの力を持って部長の人生を変えられると思ったら大間違いだ。

我々はただ、ひたすらその愛らしさを手放しで褒めちぎりながら、彼らが嬉々として差し出す初孫アルバムをめくり続けることしかできない。いつか私の身にも、これほどに巨大な存在が到来することが、ありうるのだろうか? と自問しながら。


岡田育
1980年東京生まれ。編集者、文筆家。老舗出版社で婦人雑誌や文芸書の編集に携わり、退社後はWEB媒体を中心にエッセイの執筆を始める。著作に『ハジの多い人生』『嫁へ行くつもりじゃなかった』、連載に「天国飯と地獄耳」ほか。紙媒体とインターネットをこよなく愛する文化系WEB女子。CX系の情報番組『とくダネ!』コメンテーターも務める。

イラスト: 安海