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初恋、初体験、結婚、就職、出産、閉経、死別……。
人生のなかで重要な「節目」ほど、意外とさらりとやってきます。
そこに芽生える、悩み、葛藤、自信、その他の感情について
気鋭の文筆家、岡田育さんがみずからの体験をもとに綴ります。
「女の節目」は、みな同じ。「女の人生」は、人それぞれ。
誕生から死に至るまでの暮らしの中での「わたくしごと」、
女性にとっての「節目」を、時系列で追う連載です。
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初めての恋が、墓場まで続く

「三つ子の魂百まで」という諺(ことわざ)がある。三歳児のときの性分は、百歳になるまで変わらない、といった意味だ。「What is learned in the cradle is carried to the tomb.(ゆりかごで身についたことは、墓場まで運ばれる)」という言い方もある。数えで三つは、満年齢で一、二歳。物心つく以前の「三つ子の魂」も、ゆりかごの中での出来事も、大人から授かった体系立った知識ではなく、自然とついた癖や、性分のようなもの。生まれる前から先天的に備わっているわけではないが、後天的と呼ぶほどのものでもない。

たとえば誰かを特別に好もしく思ったとき、平たく言うと、恋愛感情を抱いたとき。私はいつもこの諺を思い出す。誰に教わったわけでもないのに、まだ恋も知らぬうちから、気づいたら既にそうだった、私だけの「好みのタイプ」がある。大抵は男性で、世に言う「男らしさ」に少し欠けている、あるいは、その手の固定観念から解き放たれている。しかも向こうは私が「好み」ではない。「私のことを何とも想っていない、男っぽくない男の子」というのが、三つ子の頃から、おそらく百まで希求してやまない、恋愛対象の基本形だ。

理想が実像を伴ったのは、3歳11カ月の大晦日。特別に夜更かしを許されてNHK「紅白歌合戦」を観ていた私は、軍服を模した衣装でスモークとサーチライトの中を歌い踊る沢田研二に、初めての恋をした。特定の異性をかっこいいと感じたのは、それが初めてだ。歌詞の内容も聞き取れず、夢か現実かもわからなかったが、居間に鎮座するこのテレビという箱は「かっこいいものを映す装置」なのだと強烈に思い知った。以来、チャンネルを回しながらブラウン管に映る「かっこいいもの」を探した。1980年、名曲「TOKIO」発売から3週間後に東京で生を享けた私が、約4年かけてゆりかごの中で導いた結論は、「男は、化粧が濃ければ濃いほど、都会的でかっこいい」というものだった。以来、マッチョな益荒男に恋をしたためしがない。

忘れられない文化系メガネ男子

4歳の春を迎えると近所の幼稚園に通いはじめ、私は驚愕の事実に直面する。年中組の教室には、ジュリーやYMOやデヴィッド・ボウイみたいな、アイシャドウが虹色にきらめく男子はいなかった。まぁ当然である。初めての集団生活で「好きな男の子はいるの?」と訊かれるたび、仏頂面で「ここにはいない」と答えていた。

自慢じゃないが、当時の私は男によくモテたのだ。人生で最もリアルが充実していた時代だ。しかし、言い寄る男児たちは誰も彼もがイモくさく、ジュリーには程遠い。もっと電飾やパラシュートや袖のふくらんだシルクブラウスが似合いそうな、化粧を施せば妖しく大変身しそうな、美しい容貌の男はいないのか。よくよく教室を探してみると、これが一人だけ見つかった。

Kくんは小柄で線が細く、肌の色が白く、髪質は柔らかで、いつも室内で絵本を読んでいた。運動会やお遊戯では目立たないが、その影の薄さがまた存在の透明感を高めている。たしか眼鏡も掛けていたと思う。あるいは記憶を都合よく捏造しているのだろうか。いずれにせよ、現在に至るまで私の「メガネ男子萌え」の原点にあるのは、この彼への憧れなのである。

忘れられない出来事がある。同じクラスには、ジャイアンとブタゴリラを足して二で割ったような、典型的なガキ大将の男児がいた。彼らは室内でも戦隊ごっこやプロレスごっこをする。力任せに暴れ回るので、女児たちのおままごとテリトリーを平気で侵犯してくる。ガキ大将が級友を投げ飛ばしてくるたびに、女児たちは仕方なく場を譲り、逃げて行った先でまた新しくおとなしくおままごとを始める。あるとき、ままごとの民が祖国を追われてディアスポラ先に選んだのは、Kくんたちが読書やお絵描きなどの文化活動を営む一角だった。

プロレス男子から逃げてきた我らままごと女子のリーダーが、「本日これよりこの土地は我々が領有するので、即刻明け渡すように」と一方的に通達した。教室内の力関係は「プロレス男子>ままごと女子>文化系男女」であり、強き者が弱き者からとことん奪い尽くすのが世の常だ。強奪と迫害の連鎖。Kくんたちが無言で絵本を片付けようとする姿を見て、私はままごと女子の一員として、どうにも我慢ならなかった。

細かな経緯は忘れたが、気がついたらガキ大将の一派に殴り込みをかけて宣戦布告していたのだ。「貴様たちが所構わずドンパチ始めるせいで、我々のままごとスペースが蹂躙され、結果、Kくんたち罪もない人々までもが苦しめられている。これは教室内に平和を取り戻すための戦争である」というのがその理屈。

愛する人が心穏やかに暮らす日常、その未来は私が守る。たとえこの手が血に染まっても構わない。それに、災厄を退ける勇猛果敢な姿を見れば、もしかしたらKくんが「かっこいい」私に惚れて、晴れて相思相愛になれるかもしれない。……当時は本気でそう思っていたのだ。我ながら、ルーシーとペパーミント・パティを足して二で割ったような、厄介な恋する女児だったと思う。

もちろん園児のやることだから、最終的には好戦的な男女が入り乱れて、プロレスどころではない掴み合いの大乱闘。先生が仲裁に入る頃には、教室の隅で震えるKくんが私を見る目は、野獣に怯える小動物のそれになっていた。

私は最低、あなたは最高

「三つ子の魂百まで」という諺がある。誰かに恋愛感情を抱いたとき、それがうまくいかなくなったとき、私はいつもこの諺を思い出す。狼狽と恐怖に顔を引きつらせた男。ためいき一つ残して去っていった男。「君には僕よりもっとふさわしい相手がいるはずだよ」と慰めてくれた男。Kくんに似たいろんな男を好きになり、彼らのように生きたい、彼らに似合う私でありたい、と思って行動してきたのに、どれもこれも実を結ばなかった。

私がジュリーを好きになったように、彼らにも、私のことを好きになってもらいたかった。でも、その方法がわからなかった。好きでもないガキ大将の襟首を掴むことは簡単なのに、静かに絵本を読む彼らの眼鏡には、指一本、触れられなかった。私の汚れた手で乱暴に触ると、美しい彼らの存在が、はらはらと壊れてしまうかもしれないと思ったから。

外に出て真っ黒に灼けるまで遊び、裏山の池で泥まみれになってザリガニを釣り、昆虫を捕まえようとして叩き潰し、時にガキ大将と掴み合いの喧嘩をしながら、私は「綺麗な男の子」が好きだった。Kくんだけは、真っ白のまま、穢したくないと思っていた。彼と、彼の住む世界にだけは、きちんとこの手を石鹸で洗って殺菌消毒してからでないと、触れてはならないと思っていた。これが私の「初恋」だ。

Kくんの両親が営む歯科医院は今も我が家の近所にあり、帰省すると前を通ることもあるのだが、私は卒園後、彼と会ったことは一度もない。ひょっとしたら本当は、メガネ男子でも美少年でもなかったのかもしれない。それでもいい。私の記憶の中でだけ、彼はずっと「綺麗な男の子」であり続ける。彼があの綺麗な彼のまま、この地球のどこかに存在し続けていてくれたら、私はそれだけで生きていける。

卒園の頃になって、母親が好きでよく聴いていた荒井由実「卒業写真」の歌詞を、完璧に理解できた瞬間がある。「変わってゆく私を、あなたは時々、遠くで叱って」とお願いしたくなる男の子。その最初は、Kくんだった。二度と会えなくても、思い出すだけで、汚れた手を石鹸で洗いたくなる男の子。そんな気持ちをこんなふうに歌えるユーミンは、天才だなと思った。思い出の中で白く綺麗に光り輝き、すでに顔もぼやけてしまったKくんの存在は、特定の宗教をもたない私にとって、もはや恋愛というより信仰の対象に近い。

「よそはよそ、うちはうち」

幼稚園や保育園というのは、同世代の子供と初めての共同生活を送る場所だ。同じ家庭に育つきょうだいとはまた別の意味で、自分と他者との「違い」に気づかされる場所でもある。生まれが違う、育ちが違う、家庭環境次第で性格や倫理観も違う。もっと言えば、親の経済力によって金銭感覚が、学歴や職歴によって向学心が、その他、人生におけるさまざまな価値観が、すでにして決定的に違うのだ。

運転手つきの黒塗りのクルマで送り迎えされているご令嬢もいたし、幹線道路を一人で渡って雨漏りのするボロ屋へ帰る私のような園児もいた。親が「お受験」させるために遠方から越境してくる子もいたが、女の子はいい学校へ行くと嫁の貰い手がなくなる、とのたまう父兄もいた。我が子には有害な食材を与えないと徹底する親もいて、私が園庭の蛇口から水を飲んだら白い眼で見られたこともある。

小さな「違い」が積み重なると反発が起きる。そもそもなぜ、私たちはここにいるのだろうか。ただ年齢が同じで家が近所だったというだけで、一緒に狭い空間に閉じ込められ、つねに比較されながら『幼馴染』と呼ばれるなんて、たまったもんじゃないぜ……その後の学校生活でもさんざん味わう羽目になる、あの感情が最初に芽生えたのも、幼稚園でのことだった。

しかし一方で、級友たちとの間に「違い」があって初めて、私は自分自身の「欲望」を具体的に知るようにもなった。あの子のお家はリビングの照明がお城みたいなシャンデリア、私もお金持ちの家に生まれたかった。あの子のママが作るお弁当はいつもとっても美味しそう、私も料理上手のママが欲しかった。Kくんは色が白くて目鼻立ちが整っていて理知的で物静かで上品で、見惚れるほどかっこいい。私もKくんみたいになりたい、Kくんに似合う女の子でいたい。でも、できない。

きょうだいと一つのオモチャを奪い合うのとは意味合いが異なり、もっと広い意味で「自分にはないもの」を求めるようになった。「差」のあるところに「欲望」が生まれる。その欲望は、満たされないほど燃え上がる。それが愛でも、憎悪でも、「自分にはないもの」への荒ぶる気持ちを鎮めて飼い馴らすのは本当に難しい。

そういえばスイス人の血を引く級友がいて、彼女はそれだけのことでいじめられていた。みんな童話の絵本で見た金髪碧眼のプリンセスには憧れてなりたがっていたのに、すぐ横にいる色素の薄い彼女のことは「違う」子として泣かせてばかりいた。私だって、我がものにならないKくんを、いつ傷つける側に回っていたともしれない。

「三つ子の魂百まで」という諺を思い出す。他の誰かを羨むたびに、両親からさんざん聞かされた「よそはよそ、うちはうち」という言葉とともに。世の中から「違い」をなくそう、と言う政治家や教育者もいるだろう。でも私たちは、まず「違い」を知らなければ、「今とは違う自分になりたい」と願うようにもならない。格差と不満に気づいて己の「欲望」を正しく知ることは、それはそれで大事なことと思うのだ。

人は、誰に教えられるわけでもなく「自分にはないもの」に惹かれる。これは、ゆりかごの中で身につけた習性なのかもしれない。どんなにきれいに石鹸で手を洗っても、実際にはほとんどが手に入らない。フラレる前に終わった失恋。よそはよそ、彼は彼、私にないものをいくら欲しても、そのまま望む通りには得られないのだと思い知った、初めての「節目」は、4歳の恋だった。

ちなみに私、今までの人生で「一目惚れした相手がゲイ男性だった」という確率が非常に高い。三つ子の頃から「私のことを何とも想っていない、化粧映えする綺麗な男子」ばかりを選んでいるのだから、当然といえば当然なのだが……もちろんいずれも、フラレる前に消える恋だ。きっと百まで、墓場まで、この調子なのだと思う。

<今回の住まい>
私が生まれ育った街は幹線道路を挟んで貧富の差が激しく、「富」の地区には有名芸能人の豪邸なども立ち並んでいた。幼稚園のクラスメイトのお屋敷に招かれると、天井が高く煌びやかな装飾で、グランドピアノが一台置いてあるだけの広大な空間があった。今は何にも使っていないの、と言われたそこが「ボールルーム」の名残だと気づくのは、大人になってからである。私は「貧」地区の出身です。

<著者プロフィール>
岡田育
1980年東京生まれ。編集者、文筆家。老舗出版社で婦人雑誌や文芸書の編集に携わり、退社後はWEB媒体を中心にエッセイの執筆を始める。著作に『ハジの多い人生』『嫁へ行くつもりじゃなかった』、連載に「天国飯と地獄耳」ほか。紙媒体とインターネットをこよなく愛する文化系WEB女子。CX系の情報番組『とくダネ!』コメンテーターも務める。

イラスト: 安海