24番札所「最御崎寺」の山を下り、25番札所「室戸山 津照寺(むろとざん しんしょうじ)」までは約6.5km。歩くと1時間半。土砂降りの雨で、バスに乗りたかったけれどバスの本数はそんなにないので歩くことにした。車がビューンビューン通り、水しぶきをかけられる。辛い。

津照寺の門

道を歩いていると所々に「昭和9年海嘯(かいしょう)襲来地点」碑が立つ。海嘯とは潮津波のことらしい。昭和9年とは甚大な被害を出した室戸台風の時の津波襲来のことだと思われる。こんな町中まで津波が押し寄せたなんて想像するだけでも恐ろしい。

雨でずぶ濡れになりながらなんとか、津照寺に着いた。地元では「津寺(つでら)」と呼ばれ親しまれているそうだ。室津港のすぐそばにある。門をくぐって右側の石段下に大師堂がある。津照寺は山の上の最御崎寺とは違うものの、急な階段を登った上にある。雨なので階段は滑りそうでこわい。階段の途中に朱塗りの竜宮門のような形の鐘楼門があった。別名「仏の灯台」と呼ばれてて船乗りたちの目印ともなっているそうだ。

(上)鐘楼門(雨でうまく撮れずごめんなさい)
(右)こんなに急な階段を上る

津照寺は大同2年(807)、山の形が地蔵菩薩の持つ宝珠に似ていることからこの地を霊地と考えた弘法大師が、漁師の為に大漁と安泰を祈って延命地蔵を刻み、本尊として安置したのが始まりといわれている。このお地蔵様は別名「楫取(かじとり)地蔵」と呼ばれている。慶長7年(1602)、土佐藩主の山内一豊(やまのうちかずとよ)公が暴風雨のせいで室津沖で難破しかけた時に、一人の僧が現れて舵を取ってくれ、無事に帰ることができた。翌日、この寺に訪れると本尊の地蔵菩薩がびしょ濡れだったという。そこから、「楫取地蔵」と呼ばれるようになったそうだ。

寛保2年(1742)の大火の際も、この本尊が又僧の姿となり、人々を避難させ救ったといわれている。僧の姿って言ったって、お地蔵さんはそもそも坊主頭で僧の姿ではないのだろうか……。とにかく、そんな風に大活躍のご本尊様には、海上の安全と火難除けに霊験があるといわれている。残念ながら、本尊は秘仏で拝観はできない。

(左)津照寺大師堂
(上)津照寺本堂

境内は、室津港づくりに貢献した一木権兵衛を祀るという一木神社や、灯籠の下にうさぎが彫られたのなどもあった。どんな意味があるのだろうか。

灯籠の下のうさぎ

寺をでると、お腹も空いて来たが食べ物屋も見当たらないし、先を急ぐので近くにあった八百屋でフルーツトマトを買って食べた。1山150円。高知はフルーツや野菜が安い(気がする)。食べるところもないので、狭いけど電話ボックスで雨宿りしながら食べた。のんびりはしていられないので、今晩泊まる予定の26番札所の宿坊に向けて歩き出す。

金剛頂寺のある山の麓にさしかかったところで、一台の車が私を通り越してから止まった。50歳代ぐらいの女性が「26番札所に行かれるんでしょ? まだここから山の上で遠いからよかったら乗って行きませんか? 」と声をかけてくれた。雨に降られてへとへとになっていた私は、ありがたく車に乗せていただく事にした。乗せてくださった方は、以前に自分の母親がお遍路へ行き、戻ってから疲れて寝込んでしまわれたそうだ。それで、お遍路さんを見かけたら声をかけて、乗せてあげるようにしているのだという。ありがたい。車に乗せていただいたおかげで、あっという間に26番札所「金剛頂寺(こんごうちょうじ)」の宿坊に着いた。