日本人の寿命が今よりも大分短かった頃の話。典型的な日本のサラリーマン像は、学校を卒業後、社会人として企業に入社。その後、定年退職まで1つの企業に勤め続けた。
平均寿命が延びるとどうなるのか
社長や役員にまで昇進する人は稀だが部長、課長までは多くの場合は昇進する。人数に違いはあれども部下を持つようになる。社内での権限も増えていく。やがて定年を迎えると退職金を得る。子会社などに出向してさらに役員になったりというケースもあるが、多くは年金暮らしになる。すでに子供は成長し、家のローンは完済している。余生を夫婦で過ごしやがて一生を終える。
「定年」というものが社会人としての「アガリ」であった。
もちろん今でもこうした「アガリ」を迎える人は少なくない。一方で、いつの頃からか日本人の平均寿命も延びた。70代から80代へ。90代になっても健康でお元気な方は多い。企業は定年を徐々に60歳から65歳に引き上げつつある段階ではある。だが65歳で定年を迎えたとして、以降、90歳まで元気で生きたとすると25年間も生きることになる。
一方で、旧来のような終身雇用型の企業ではなく外資系企業などを中心に、退職までの間に何回かの転職を経験する人も増えてきた。こうした企業では年功序列型の組織体型ではないことが多い。若くして重要なポジションに就き高水準の給与を得ても、以降の雇用が安定しているとは限らない。ポジションや待遇がいつまでも上がり続けることは稀である。
すると、どこかのタイミングで自分なりに社会人としての「アガリ」を見つけなければならない日がくる。仮に65歳よりも早く55歳で「アガリ」のポジションが自分なりに見えたとする。しかし、以降80歳までは25年。90歳までは35年間もある。まだまだ「アガリ」と呼ぶにはあまりにも早すぎる。
こう考えると、従来のように学生から社会人になる歳を起点として一直線に社会人として成長し「アガリ」のポジションに向かっていくという発想自体を考え直した方がよい。連続的なキャリアを積んでいくよりも、あえて「非連続的」な経験を踏んでいく方が長い人生には向いている。
例えば……社会人としての最初の20年間は日本で経験を積む。次の20年は海外で働く。その後の20年は再び日本で生活を送り80歳を迎える。
あるいは、20年間は良き組織人として。その後の10年は起業家として。以降の10年は良き投資家として生き、最後の20年は慈善活動を行う。
あるいは、「学ぶ10年」「創る10年」「教える10年」「書く10年」……など。
多くの人にとって「一生」を表す時間が長くなってきた。その時々の自分の生き方に明確なテーマ性をもたせると、ダラダラと毎日をムダに過ごさないですむ。
<著者プロフィール>
片岡英彦
1970年9月6日東京生まれ神奈川育ち。京都大学卒業後、日本テレビ入社。報道記者、宣伝プロデューサーを経て、2001年アップルコンピュータ株式会社のコミュニケーションマネージャーに。後に、MTVジャパン広報部長、日本マクドナルドマーケティングPR部長、株式会社ミクシィのエグゼクティブプロデューサー等を経て、2011年「片岡英彦事務所」を設立。企業のマーケティング支援の他「日本を明るくする」プロジェクトに参加。2015年4月より東北芸術工科大学にて教鞭をとる。