―――――――――――――――――――――――
近所をブラブラ、略して「近ブラ」。
遠くに行かなくても、家の近くに魅力的なスポットは意外とたくさん見つかるもの。街の老舗店や新しくできたカフェ、ディープな路地裏のお店など、ちょっとそこまで出かけてみては?
―――――――――――――――――――――――

上野公園から東京藝術大学の前を抜けて谷中方面へ。その入口に、趣ある町家にレトロな黄色い看板が目印の喫茶店がある。谷中のランドマークとして、地元の方から観光客まで多くの人に愛されている「カヤバ珈琲」だ。

言問通り沿い、旧谷中町と呼ばれるエリアにある、大正時代に建てられた立派な一軒家

一度は閉店。再開を望む声に応えた老舗喫茶店の復活劇

実は、カヤバ珈琲は一度閉店している。

榧場(かやば)伊之助さんによって創業したのが1938年。約70年にわたり地元の住民の憩いの場として愛されてきたが、創業者の奥さんが亡くなり、お店を営業する人がいなくなったことで、2006年に惜しまれつつも閉店を余儀なくされた。

以降3年の間、お店はそのままの状態に。そこに注目したのが、NPO法人「たいとう歴史都市研究会」という谷中・台東区周辺の歴史ある建物や文化を残す取り組みを行う団体だ。 カヤバ珈琲は大正時代に建てられた「出桁造」の町家で、谷中のランドマーク的存在であると同時に、地元の人にとって非常に思い入れのある建物。再びお店として使えば建物も残すことができるし、営業再開を待ち望むかつての常連客も少なくなかった。

「そこで誰かやる人がいないかと募集をしていたところに手を挙げたのが、僕でした」

と話すのが、現在の店長である村上慎吾さん。そして2009年の秋、カヤバ珈琲は晴れて再オープンをとげた。

2009年より店長を務める村上さん

常連のアドバイスを手がかりによみがえった名物メニュー

お店の復活にあたり、いくつか条件があったという。そのひとつが、建物の保存。建築家や近隣にある東京藝術大学の専門家からアドバイスを受け、外観や店内の柱や梁、カウンターのレンガ壁など構造的に価値のある部分は残しつつ、リノベーションを行った。

前のお店のイメージを引き継ぎ、茶色を基調にまとめた1階店内

創業当時から使われている椅子は、現在も愛用されている

村上さんが苦労したのが、かつてのお店の"空気感"を再現するという条件だ。

「残念なことに、僕は以前のお店に来たことがなかったのです。そこでご近所の方やかつての常連さんに当時の様子や思い出話をうかがいながら、情報を集めていきました。この辺りもかなり高齢化が進み、常連さんもお年寄りの方がほとんどですが、お話を聞いていると、彼らのたまり場的な、とても大事な場所だったのだなと実感しました。以前のような安定感は僕のような若い人間にはなかなか出せないとは思いましたが、お店を新しくすることでお年寄りの方が来られなくなるようにはしたくなかった。なるべくかつての雰囲気を失わないように気を配りました」(村上さん)

あえてBGMを流さず、街や人の声を感じてもらうのも引き継いだ。ゆるやかな時間が流れる

当時の名物メニューである「ルシアン」と「たまごサンド」の復活には、実際に数人の常連さんに味見をしてもらうことで再現。

「とはいえ、みなさんも記憶が曖昧だったりして(笑)、試行錯誤の末、なんとか近づけたのではと思います」(村上さん)

珈琲とココアを混ぜたオリジナルメニュー「ルシアン」(500円)。前のお店から使われてきた白いカップで提供される

温かい厚焼き卵をはさんだ「たまごサンド」(500円)は、優しくてホッとする味。パンにぬられたカラシがアクセントに

古き良き魅力を新しい世代へ発信

かつてのお店の雰囲気を残す一方で、新たな試みも行っている。

「せっかくこうした歴史ある建物でお店をしているのだから、若い世代の方にも魅力を知ってもらえたらと。すぐ近くには東京藝術大学があるので、学生向けのランチやどんぶり系のメニュー、夜はバーとしてアルコールも提供。ライブやギャラリーなどのイベントも行っています。また、お寺や博物館などが多いことから、谷根千・上野あたりは海外の観光客も多いところです。2階の和室で、抹茶やあんみつなどの日本っぽいメニューを食べながら、日本の文化に触れてもらえたらと。老若男女、国籍問わず来ていただけるようになりました」(村上さん)

狭くて少し急な木造の階段。「おばあちゃんの家に来たみたい、とよく言われますね」(村上さん)

元は創業者の住居だったという2階は和室の客席に。外国人や若い女性客に好評

また、谷中のよみせ通りにある「コシヅカハム」のベリーハム、同じくよみせ通りの「三陽食品」の寒天、谷中銀座の「竹工芸 翠屋」の竹箸など、谷中界隈で売られている商品を積極的に取り入れている。

「周辺のお店を見て回ると、昔からやっているお店に素敵なものがたくさんありました。うちに来て召し上がったのをきっかけに、そのお店でお土産に買って帰っていただくなど、街全体の活性化に少しでもお役に立てればうれしいですね」(村上さん)

かつて谷中の特産だった谷中生姜を使った「谷中ジンジャー」(500円)。ドライな味が特徴

現在、村上さん自身も谷中に在住。今年で8年目となる。

「東京の山手線の内側なのに、こんなにのんびりしたところがあることに驚きました。年配の方も多いですが、子どもも多く、子どものお世話を近所の方がしていたり、きちんと叱ってくれたり、地域で育てているような人情味があります。さらには学生や外国人もいたりと、様々な人が入り乱れているのにすごく落ち着いている。人だけでなく、建物やお店も同じです。そういった街の色というか、古いものと新しいもののバランスが上手くとれているところにとても魅力を感じますね」(村上さん)

昔から続く良いものを大事にしながらも、風通しよく新しいものを受け入れる街、谷中。 カヤバ珈琲は、まさに谷中そのものといえるお店ではないだろうか。

カヤバ珈琲
東京都台東区谷中6-1-29
営業時間:月~土曜 8:00-23:00、日曜 8:00-18:00