企業の経営層は、過去にどんな苦労を重ね、失敗を繰り返してきたのだろうか。また、過去の経験は、現在の仕事にどのように活かされているのだろう。そこで本シリーズでは、様々な企業の経営層に直接インタビューを敢行。経営の哲学や考え方についても迫っていく。

第5回は、九重味淋(ここのえみりん)代表取締役の石川総彦氏に話を聞いた。

  • 九重味淋 代表取締役 石川総彦氏

    九重味淋 代表取締役 石川総彦氏に「失敗談」「苦労話」を聞いた

経歴、現職に至った経緯

「物心もつかないうちから、『将来は跡を継げ』と言われ続けていました」と苦笑する石川氏。代々続く家業を継ぐべきだという親の考えに反発心があり、初めから家業を継ぐつもりはなかったと話す。

石川氏は、幼少期から楽器演奏など音楽分野で才能を発揮。小学生のころトロンボーンの演奏を始め、中学生でフルオーケストラのメンバーとして大舞台を踏み、頭角を現した。高校生になるとエレキベースに転向。その後、プロを目指すため上京し、大学卒業前にオーディションを経て1984年にプロデビューを果たす。

その頃のことをこう振り返る。

「数々のテレビ出演や、様々なアーティストのレコーディング、ライブのサポートなどを経験しました。充実していましたが、仕事は安定せず、演奏家生活は3年余りで断念することになりました。家業を継ぐことを視野に、大阪の経営コンサルタントの鞄持ちとして経営を学び、結果的に実家の九重味淋に入社したんです」

会社概要について

九重味淋は、「三河みりん」の本場、愛知県碧南市に本社を置く。2022年で創業250周年を迎える老舗だ。

「石川家は、代々この地で廻船問屋を営んでおり、江戸や上方との交易で財を成していました。22代目の石川八郎右衛門信敦が、廻船問屋として全国各地を訪れるうち、三河地域がみりんの生産に向いていると考えたようです。大都市で得た情報から、安永元年(1772年)にみりん製造を開始。地元の気候・産物を生かしてみりんを生産し、所有する舟で品物を江戸へ運んだと聞いています」と石川氏。

大正から昭和にかけて開かれた「全国酒類品評会」では、「名誉大賞」に輝いた。これは優等賞を過去9回受賞したことによる功績で、後にも先にも九重味淋だけが受賞したものだ。2021年にテレビ朝日「くりぃむしちゅーのハナタカ!優越館」の、「グランプリを受賞した調味料特集」でも取り上げられた。

第二次大戦中は「みりんは贅沢品」として作ることを禁じられたが、戦後は一般家庭にも徐々に受け入れられるように。現在、出荷量の8割は業務用。有名老舗料亭やミシュランの星を獲得した料理人らに愛用され、日本の食文化の一翼を担っている。

家業を継いで苦労したこと

実家の家業ながら、入社してからは試練の連続だった。

「入社してまず驚いたことは、旦那・番頭・使用人という、時代劇の中でしか見ないような階層が存在していたことです。旧態依然としているのに皆が暗黙のうちにそれを受け入れていて、革新的なことは受け入れられないようでした。『お金のために、嫌なことも我慢し、言われたことだけこなすのが仕事』という考えも根強く、前向きな人は少なかったんです」

入社から数年、変化を恐れず社内改革を図る石川氏と社員たちは、まさに水と油だった。 「私自身は周りから相当浮いていたと認識しています。社内は変化を嫌い、石橋は叩いて壊す、攻めよりも守り、という現状維持志向が強かったのです。新しいことにトライしようと提言しても『何をやってもどうせ無駄』と、二言目には出来ない理由をあげつらうような人が多く、苦労しました」

社内の改革は、「本当のお客様は誰か」という意識の改革でもあった。

「当時、社内では『お客様第一主義』を掲げていましたが、実際にはお客様が誰なのか明確に定義されていませんでした。社員の多くは『注文の電話やFAX、振り込みや手形をくれる問屋さんや酒屋さんがお客様』という認識でした」

そんな社員たちに対し、石川氏は「実際に封を切り、みりんを使ってくれる人がお客様。できあがった料理を食べてくれる人も大切なお客様」だと、エンドユーザーの存在を意識するよう説いた。自身の考えを浸透させるのに、相当な時間を要したという。

一方で自身のことは、謙虚にこう振り返る。

「経営コンサルタントの付き人時代にマーケティングの基礎を叩き込まれてはいたものの、経営もみりん醸造も素人同然でした。感覚で経営していた時期があり、施策の成否は不安定。勉強不足を痛感させられる場面が多くありました」

他社には真似できないことを追求

そこで、石川氏は行動を起こす。

「マーケティングの一般論だけでは通用しないと観念し、改めて経営全般を身につけようと、2009年から中小企業診断士の資格取得に向けた学習を開始しました」

2013年度に無事登録。それまでの感覚に頼ったやり方ではなく、データから分析したり経営をより論理的に考えたりできるようになったという。

「社内へ向け『マンネリは経営の敵』『変化しないことが最大のリスク』と提唱し、会社や商品の魅力を磨くことに着手しました。古い外観を活かした店舗づくりや、集客・販売のための施策立案、みりんに軸足を置きつつも新たな価値を持った商品開発など、他社には真似できないこと・わが社だからできることを追求しています」

一例として、2018年7月に築200年以上の邸宅を改装したレストラン&カフェ K庵をオープン。九重味淋のおいしさを伝え、新たな使い方を提案している。本みりんの照りや甘さを生かした料理やスイーツは好評だそうだ。

  • 2018年7月に築200年以上の邸宅を改装したレストラン&カフェ K庵をオープン

    「レストラン&カフェ K庵」では、本みりんの照りや甘さを生かした料理やスイーツが楽しめる

変革のために起こした行動

過去の現状維持思考を変革し、社内に新しい風を入れていくうえでどのようなことに取り組んでいるか伺うと、石川氏らしい答えが返ってきた。

「社員の働きがいや定着率の向上を目的として、『2年目研修』を実施しています。入社2年目の社員に商品企画・開発をやってもらうという内容です。先輩たちは、求められれば助言はしますが、応援こそすれ、邪魔はしないのがルールです」

一般的に経験が重視される開発に若手を起用するのにはリスクもあるはずだ。しかし、石川氏はこう言う。

「わが社のような食品系メーカーを志望する人たちは、商品開発に興味を持つ場合が多いのです。1年目は目の前の仕事を覚えることに専念してもらいますが、晴れて2年目、まだフレッシュな気持ちがあるうちに希望を叶えてもらおうと考えています」

頭の中のイメージが形になり、徐々にブラッシュアップされ、完成品が実際に店頭に並ぶ……。段階を経るうち、苦労が達成感に変わっていく。現在は自前の実店舗「石川八郎治商店」や自社オンラインショップでの販売も行う。

「従前からの問屋さんへ卸すだけの形態では、『実績もない、ロットもまとまらない。誰がこんな商品を扱うか?』と言われてしまうところでした。自社で販売できる強みは、商品ストーリーさえ刺されば、お客様に購入していただけることです。これが2年目社員たちの自信になり、サポートする先輩社員たちの喜びにもなります」

たとえば、「若い方に本みりんのおいしさを伝えたい」と、昔ながらの伝統的な製法で醸造した本みりんをリキュールに仕立てた「Rincha(リンチャ)」を発売。江戸時代のみりんが女性や下戸の方が飲むお酒であったことに原点回帰。地元愛知県産のほうじ茶、コーヒー豆や紅茶を本みりんに漬け込み、九重味淋のおいしさを生かしつつ、新たな感性でみりんの用途を広げた。

石川氏は、「時間はかかったが、社風は変えられた」と微笑む。

  • 昔ながらの伝統的な製法で醸造した本みりんをリキュールに仕立てた「Rincha(リンチャ)」を発売

    Rincha(リンチャ)

就活生・若手ビジネスパーソンにメッセージを

「コロナ禍も3年目に突入し、依然として大変な思いをされている方も多いと思います。ただ、コロナが収束しても新たな変化・試練は必ずやって来ます。『変化を恐れず、変化は楽しみ、自ら変化を起こす』くらいの心持ちが大切なのではないでしょうか」

そしてこうも続けた。

「孔子はかつて『最も賢い者と最も愚かな者だけが、決して変わることがない』と言いました。大部分の人は凡人、ということは変化できるはずです。時代はますます速度を増して、変化を続けていきます。時流を見据え、柔軟な発想で、少しだけ先取りし、うまくいく人生を手に入れてください」

常に変化と革新を追い求め続ける、石川氏らしい前向きなエールを送ってくれた。