阪神電車沿線に住む筆者にとって、JR尼崎駅は普段の生活圏からかなり離れた場所です。大阪に出るにも神戸に出るにも阪神電車を利用するので、尼崎駅周辺に行く用事でもない限り、ほぼ乗降りしない駅なんですね。

JR尼崎駅。現在はJR神戸線(東海道本線)とJR宝塚線(福知山線)・JR東西線の乗換駅に(11月28日の報道公開にて撮影)

思いっきり子供の頃には、隣の立花駅のそばに祖母が住んでいたので、そこから大阪に出ることもわりとありました。でもそのとき、毎回通過していたはずの尼崎駅は、本当に印象に残っていません。

ただ、中学から高校の頃、いまから30年以上前ですが、一時期この近くの病院に両親が罹っていたことがあり、その頃に何度か尼崎駅周辺を歩いたことがありました。今回はそのときのことをちょっと思い出してみたいと思います。

1980年代前半、国鉄尼崎駅周辺は独特の空気に満ちていた

当時、まだ国鉄だった時代の尼崎駅の印象は、「なんだかやたらだだっ広い駅」でした。駅を下車して北側に出ると、なにか大きな工場があったのを覚えています。いま調べてみると、どうもそれは麒麟麦酒(キリン)の工場だったみたいです。目の前に続くのは、塀沿いに歩く、暗い寂しい道でした。傘の付いた白熱電灯が電信柱から生えているような、つげ義春さんの描く絵のような風情があったように思います。

JR尼崎駅から園田競馬場へバスも運行されている

駅北出口のデッキ上に設置された「梅川の像」

その先を右に折れて、潮江商店街のアーケードに入ります。ごく普通の商店街で、昭和の香りでいっぱい(そもそも実際に昭和の真っ只中でしたが)でした。商店街に入って、すぐ右側にあった本屋さんには、その頃まだ漫画の貸本があって、驚いたのを覚えています。いや、筆者の世代でさえ、ここ以外ではもう見たことがなかったですから。手塚治虫の『三つ目がとおる』を見つけて買おうとしたら、「いや、これは貸出しやから」と店の人に言われ、きょとんとなったのです。

しばらく行くと右手に喫茶店が見えてきて、そこで昔ながらのカレーライスを食べた記憶があります。その先左手の電気屋さんでは、カセットテープをよく買っていて、フジカセットのケースをもらったように覚えています。あのケース、いまも部屋のどこかに残ってるかもしれません。

やや暗めの商店街をどんどん歩いていくと、やがて左手に潮江市場が見えてきます。ここはいろいろな商店が集まった市場で、小さいおもちゃ屋さんもありました。その頃はあちこちにあったごく普通の市場ですが、いまはもうあんまり見かけないですね。

市場を抜けて、交通量の多い通りを横切ると、病院でした。お使いで薬をもらいに行っていただけなので、病院そのものの印象はあまり残っていないのですが、道中の市場や商店街の独特な空気は、いまでもわりと生々しく記憶に残っています。YMOを聴きまくり、トロピカルブームに憧れていた1980年代前半でした。

JR東西線開業が転機に - 11月末に増設橋上駅舎もオープン

その後、尼崎駅からずっと遠ざかっていて、たまに通りかかったとき、駅の北西側のやたら広い場所にバルーンが置いてあって、「なんかいつもイベントしてるなあ」と思うくらいのものでした。廃線散歩が流行り始めると、1984年に廃止された尼崎港線の名残の土手がクローズアップされたこともありましたが、そんな話題をちらほらと見聞きする程度でした。

国鉄からJRに変わっても、大きな変化のなかったJR尼崎駅。にわかにその存在感が大きくなったのは1997年、JR東西線が開通したときでした。

駅北側も再開発され、国鉄時代の雰囲気はあまり残っていない

それまで、甲子園口駅や西ノ宮駅(現・西宮駅)から東へ向かう電車に乗れば、なにも考えなくても大阪・京都方面へ行けたのですが、JR東西線の開業以来、うっかりしてると京橋駅・河内磐船駅・木津駅といった、兵庫県民にとっていままで聞いたこともなかったような名前の駅へ行ってしまう……という事態が発生するようになりました。JR尼崎駅はJR宝塚線(福知山線)・JR東西線のの乗換駅として、いきなり身近な駅になったのです。

駅舎や駅周辺も、それまでの国鉄然としたたたずまいから、一気にバリバリのJRといった雰囲気になりました。

市場や商店街のあった駅前も、いまはもう当時の面影はほとんどなく、巨大なショッピングモールやレジデンスの並ぶ未来都市のような雰囲気に。先日、改めてJR尼崎駅周辺をちょっと歩いてみたのですが、やはりあの頃の名残は感じられませんでした。

JR尼崎駅では、11月29日に増設橋上駅舎がオープン。前日に報道公開も実施された

JR尼崎駅はさらに発展を続け、今年11月末には従来の橋上駅舎の東側に、新たに増床された駅舎もオープン。改札口が増え、飲食店や薬局、コンビニ、大きな本屋さんも開業しました。「なんだかやたらだだっ広い駅」でしかなかった尼崎駅が、まさかこうなるとは……。時の流れというのは、本当に予測できないものですね。