通学路には実家

20代の大半は京都と金沢で過ごし、家業を継ぐべく地元のある岐阜市に戻ってきた奥野健一さん(仮名、39歳)のケースを観察している(詳細は前編をご覧ください)。家業は6年前に辞め、奥野さんは名古屋の広告制作会社まで通勤をしている。片道1時間弱の通勤をぼやいているので、「尾張一宮駅あたりに引っ越せばどうか。家賃もそんなに変わらないと思う」と水を向けたら、奥野さんはありえないという表情で首を振った。

「(小学3年生の)息子を転校させたくありません。うちのアパートと小学校までは徒歩10分かかるのですが、途中に実家があるので、両親は登校中の孫に2階の窓から手を振ることができる。それが毎朝の楽しみらしいんですね。見守ってもらえるので安心です。逆に、年をとってきた両親の面倒も見てあげることもできます」

家業を手伝っている頃に結婚して子どもが生まれた奥野さん。住む場所を考えたとき、真っ先に頭に浮かんだのが「自分が通った小学校に息子を入れたい」というアイディアだった。公立小学校なので、学区内に住んでいることが原則である。

しかし、県外出身の2歳下の妻は簡単には賛成しなかった。奥野さんの地元は岐阜駅から近くにあり、家賃相場が高い。もう少し遠くでアパートを探せば、1~2万円は低い家賃で住むことができる。ありふれた公立小学校にこだわる意味が分からない、と。冷静な意見である。

「もちろん、僕が通っていた頃の先生は一人も残っていません。でも、勝手知ったる校舎はそのまま。安心感が違う。岐阜に住むならば絶対にこの学区! と頑なに思っていました」

夫の威厳を見せて押し切ったものの、県外から来た妻が地元になじめるかが心配だった。しかし、2人の息子たちが幼稚園に通うようになるとすぐに「ママ友」が増え、今では奥野さんよりも妻のほうが友だちの人数は多いぐらいだ。

奥野さんも努力はしている。年収は「30代の平均レベル」なので、月の小遣い3万円でやりくりしなければならない。家賃の高い地元で住み続けるための対価だ。いずれ実家の財産を相続し、子どもたちも巣立っていけば、奥野さんの小遣いは倍増するだろう。

自宅アパートと子どもが通う小学校の途中に両親の住む実家がある、と身振りで説明する奥野さん(岐阜駅前の飲み屋にて)

3歳下の弟への気遣い

地元や実家への親和性が高い奥野さんに対して、昨年に結婚をした3歳下の弟は「岐阜には絶対に戻らん。いい思い出がないから」と言い切って名古屋で暮らしている。同じく次男である僕には彼の気持ちがわかる気がする。実は地元が大嫌いというほどではないが、両親の近くにはしっかり者の兄貴夫婦がいてくれる。僕はお呼びじゃない。兄への依存心と反発心が混ざり合って、「地元には絶対に戻らん」という結論になるのだ。

「弟とは仲が悪いわけじゃありません。でも、何年もちゃんと話してないなあ。2年前にフェイスブック上で見つけて『友達』にはなりましたけど。男兄弟ってどこもこんなものじゃないでしょうか」

淡々とした口調で語りながらも、弟への気遣いが伝わってくる。今回のインタビューを二つ返事で受けてくれたのも、「大宮さんの顔と雰囲気が弟に似ているから」という理由だった。不思議な愛嬌と優しさを感じさせる人である。地元から離れないのも、自分の居心地ではなく、幼い息子たちと老親の生活を優先させた結果だ。奥野さんがもしも独身の次男だったら、今でも京都で気楽に住み暮らしていたかもしれない。

僕は、大卒なのに地元で暮らし続ける人を「冒険心に乏しくてつまらない人」と見下していた面がある。でも、奥野さんと飲み交わしていると安らぎと刺激を覚えた。

生まれ育ちを否定するのではなく、守りながら活用することによって、むしろ何か新しいものを力強く生み出せるのではないか。奥野さんの場合は、「絶対的な安心感」のある地元で2人の次世代を伸び伸びと育てている。地元でなければ決して実現できないこともあるのだ。

<著者プロフィール>
大宮冬洋(おおみや・とうよう)
フリーライター。1976年埼玉県生まれ。一橋大学法学部卒業後、ファーストリテイリング(ユニクロ)に就職するがわずか1年で退職。編集プロダクションを経て、2002年よりフリー。愛知県在住。著書に『バブルの遺言』(廣済堂出版)、『私たち「ユニクロ154番店」で働いていました』(ぱる出版)など。食生活ブログをほぼ毎日更新中。毎月第3水曜日に読者交流イベント「スナック大宮」を東京・西荻窪で、第4日曜日には「昼のみスナック大宮」を愛知・蒲郡で開催。

イラスト: 森田トコリ