近鉄の大和西大寺駅は、奈良線・橿原線・京都線が複雑に交差する。鉄道に興味が薄い人だったら、何とも変哲のない駅に思えるだろう。しかし、鉄道ファンにとって大和西大寺駅はエキサイティングな駅として知られる。大和西大寺駅は複雑に路線が交差するだけではなく、西大寺検車区が隣接している。そうした立地から、電車がひっきりなしに行き交う。駅ホームの先端に立つと、そんな行き交う電車を眺めることができる。絶好のビュースポットでもある。駅ホームで電車を眺めているだけでも楽しく、いつの間に1時間はかるく費やしてしまう。
時折、大和西大寺駅は旅や雑学系のテレビ番組で紹介されるので、ライトな鉄道ファンが立ち寄ることもある。そのため、駅そのものがちょっとした観光名所になっている。電車を眺めるために立ち寄るのも悪くないが、せっかくなので駅の外にも目を向けたい。
大和西大寺駅は駅名の通り、駅を出てすぐの場所に西大寺がある。大仏で知られる東大寺に対して、西大寺の知名度は決して高いとは言えない。それでも、西大寺は創建から1200年超の歴史を有する。西大寺が駅名の由来になっていることは言うまでもないが、駅の周辺には有名な歴史遺産が点在している。
大和西大寺駅の近くにある歴史遺産の代表格ともいえるのが、平城宮跡だろう。1998年に東大寺などとともに世界遺産に認定された平城宮跡は、江戸時代から調査が開始された。平城宮は藤原京に替わる新しい都として710年に建造された平城宮の核ともいえる区画だ。平城京は東西が約4.3km、南北が約4.8kmの大きさだが、その核となる大内裏はほかの区画と区別する意図から平城宮と呼ばれる。
そんな歴史的価値の高い平城宮跡地を南北に分断するかのように、近鉄奈良線の線路が敷設されている。そして、近鉄の電車が世界遺産の中を頻繁に行き来する。2010年には平城遷都1300年祭が挙行されたが、平城宮を会場として使用するために南北を分断していた線路には踏切が新設された。その踏切は現在も残り、多くの人たちが行き交う。
どうして、近鉄の電車が世界遺産を分断しているのか? そこには、複雑な経緯がある。近鉄の前身である大阪電気軌道は、1914年に大和西大寺駅―奈良(現・近鉄奈良)駅間を開業した。同区間に線路が敷設される前から、平城宮の調査は始められていた。そのため、鉄道の線路は文化財として価値の高い平城宮跡地を回避するように建設された。ところが、その後の調査から平城宮がもっと広大だったことが判明する。すでに電車は走り始めており、簡単に線路を移設することはできない。そのため、平城宮を横切る形のまま現在に至る。
平城宮を横切る線路の問題が再燃するのは、平城遷都1300年祭の前後からだ。大和西大寺駅は奈良線・橿原線・京都線が交差するため、線路のつけかえだけでも莫大な費用を要する。また、線路の付け替えに伴い、信号機器・ポイントの変更なども生じる。運転士の習熟訓練をやり直すことにもなるだろうし、ダイヤグラムを改めて作成しなければならない。そこまで費用と手間をかけて線路を移設しても、近鉄にとってプラスは少ない。そうした事情もあり、移設を求める奈良県と安定的な運行体制を続けたい近鉄との話し合いは長らく平行線をたどった。
平城宮を分断する踏切には、そんなややこしい歴史も見え隠れするが、平城宮跡は自由に歩くことができる。世界遺産を近所の住民たちが買い物帰りにサイクリングや散歩を楽しみ、ピクニック気分で家族と遊んでいる風景も目にできる。世界遺産だからといって近寄りがたい空気はなく、どこの都市にもある公園のような雰囲気となっている。
太極殿や朱雀門などが復元されることにより、いにしえの平城宮が現代に甦りつつある。歳月を経て復元される平城宮ばかりに目が行きがちだが、1975年の発掘調査で新たに発見された平城京左京三条二坊宮跡庭園も見ておきたい。宮跡庭園は平城宮の朱雀門を出て大通りを奈良駅方面へ10分ほど歩くと見えてくる。
同庭園には浅い池が配置されており、かつて高貴な身分の公家たちがここで舟遊びや酒宴を開いたと考えられている。奈良市は平城京の離宮もしくは皇族の邸宅だった可能性が高いとしているが、詳細はまだ判明していない。今後の研究結果によっては、大発見になるかもしれない。
庭園と道路を挟んだ場所には、ミ・ナーラと呼ばれる複合商業施設がある。ミ・ナーラは長屋王の邸宅跡地で、昭和末期から平成初期にかけて発掘調査がなされた。同地から出土した木簡は、当時を貴族・農民たちの暮らしぶりを知る大きな手がかかりともなっている。特に木簡は食関係の貴重な手がかりを伝えるもので、和食が2013年に国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界無形遺産に登録される大きな役割を果たしている。和食のみならず、平城宮および一帯に点在した寺社建築群も世界遺産という面では大きな影響を及ぼしている。
2020年、ユネスコは新たに「伝統建築工匠の技 木造建造物を受け継ぐための伝統技術」を無形文化遺産に登録することを決定。寺社建築・城郭建築の大半は、日本の伝統ともいえる木造技術が活用されている。それだけに、今回の伝統建築工匠の技が世界遺産に認定されたことは100年以上も前から日本の建築技術が高かったことを示している。伝統建築工匠の技が使われた建築物・建造物は全国各地に点在するが、数だけで言えば京都・奈良に集中している。大和西大寺駅の周辺は、世界遺産が散りばめられている。まさに、街そのものが世界遺産級でもある。