奈良県と奈良市、近畿日本鉄道の3者は7月16日、平城宮跡を横断する近鉄奈良線の移設に向けた協議の開始に合意した。「移設の合意」ではなく、「協議開始の合意」だから、移設されないかもしれない。しかし、線路移設と駅の新設が決まれば、平城宮への訪問が便利になる。その一方で、歴史と現代が交錯する「平城宮」と「電車」が同居する風景は見納めになる。

  • 平城宮を横切るように近鉄奈良線の線路がある(地理院地図航空写真より)

  • 平城宮跡(右上)は鉄道建設時から認知されていた。その範囲を拡大した平城宮跡歴史公園は2008年度に事業化(地理院地図より)

NHK NEWS WEB、日経電子版、奈良新聞などの報道によると、奈良県、奈良市、近鉄の3者は2017年以降、踏切渋滞緩和や景観向上のため、近鉄の線路を平城宮跡から移動させる協議を進めてきたという。7月16日に奈良県が具体的な提案を示し、その可能性を検討することで3者が一致した。

報道をまとめると、奈良県の提案は、近鉄奈良線について「大和西大寺駅を高架化」し、「高架線路を南下させて朱雀門南へ迂回」させ、「大宮通り(県道1号 / 国道369号)を拡幅して中央に線路を配置」する。そして「平城宮跡東側から地下」を進み、近鉄奈良駅に至るルートとする。駅については新大宮駅を新ルートに移設するほか、平城宮南側の朱雀門付近に「(仮称)朱雀大路」、JR関西本線との交差部に「(仮称)油阪」の2駅を新設する。

NHKの報道では、「平城宮跡の南側から先は地下」となっている一方、日経電子版では、「平城宮跡南側は地上に線路を敷設するが、宮跡東側から地下化」となっていて、朱雀門付近は地上区間と読める。読売新聞も「宮跡東側から地下化」と報じている。

そうなると、「(仮称)朱雀大路」駅は地上駅・地下駅のどちらだろうか。地上駅の場合、下り線側の駅舎と朱雀門が朱雀門広場で向き合う位置になり、下り列車で降りた利用者はスムーズに朱雀門へいける。バリアフリー面で期待できそうだ。

  • 報道をもとに、奈良県の提案内容をまとめた。赤い三角は踏切道改良促進法により指定された踏切(地理院地図を加工)

ただし、地上線路を作った場合、周辺の交差道路をどうするかという問題がある。線路移設計画に踏切による立体交差解消という目的があるため、新たな踏切を設置する計画は考えにくい。2002年に施行された「鉄道に関する技術上の基準を定める省令」では、建前上、踏切の新規設置を認めていない。周辺の人々にとっては、大宮通りと交差する道路がどうなるかも気になる。線路が通り、踏切を作れなければ、交差道路は分断されてしまう。あるいは立体交差になるだろうか。

「(仮称)朱雀大路」駅を地下にすれば、周辺道路の影響も少なく、丸く収まる。大宮通りを拡幅する話も不要になり、立ち退きも減らせるかもしれない。どうなるか気になるところだが、いまのところ奈良県の公式サイトに提案の詳細は公表されていない。

報道によると、近鉄は「迂回区間の費用は行政側の負担」「現状の鉄道としてのサービス基準を維持」「新駅は踏切解消とは別問題」を協議参加の前提としているとのこと。近鉄も自社サイトでこの件に触れていない。奈良県も近鉄も、「提案は叩き台レベルで公表する段階ではない」という考え方のようだ。

ただし、国からは2020年度中に踏切解消計画を提出するよう求められているため、来年3月までに具体的な線路仕様について明らかになると思われる。

■近鉄が消極的な理由は…

平城京といえば、日本の義務教育の教科書に必ず登場する奈良時代の首都である。西暦710年、飛鳥時代の藤原京から遷都され、740年に恭仁京に遷都されたが、745年に再び平城京に移された。784年に長岡京に遷都されるまで、約70年間にわたり平城京が首都であった。日本の歴史資産として重要で、世界的にも認められ、1998(平成10)年にユネスコ世界遺産の一部として登録されている。

その平城京の中心、平城宮の敷地を近鉄奈良線の線路が横切っている。なんて不遜な、と思うかもしれないが、近鉄が悪いわけではない。平城宮は役目を終えた後、寂れ、荒れ果て、一部は農地になっていた。当時の人々にとって、「このあたりに平城京があったらしいよ」との認識だっただろう。日本の考古学はまだ発展途上で、平城宮の存在は一部の学者が探っていたものの、発掘・保存などに対する世間の関心は薄かった。

そんな時代に、近鉄の前身である大阪電気軌道が、大阪・奈良間を直結する線路を敷いた。開業は1914(大正3)年で、京都大学に考古学講座が開設される3年前。平城京の時代からは1,000年以上も経っていた。しかし、周辺の発掘調査などが進むと、保存運動が活発になる。平城宮中心部が国に寄付されるなどもあって、1922(大正11)年に平城宮址が国の特別史跡となった。このあたりの経緯は、本誌連載「鉄道トリビア」第390回「世界遺産の敷地を走る複線電化の鉄道路線がある」に詳しい。

近鉄としては、線路を敷いたときには問題がなかった。後から重要遺跡だと言われても困る。そもそも鉄道建設は当時、国の認可制だった。認可した国の責任を問われる事態でもある。行政の都合で線路を移してほしいと言うなら、行政に費用を負担してもらいたい。それがスジを通すことになる。

奈良県、奈良市にとっては、1960(昭和35)年に平城宮の内裏(天皇の御所)の範囲が確定されると、やはり線路がある状況が好ましくない。このままでは、史跡の完全な復原整備ができない。歴史上の重要な遺跡であると同時に、観光資源でもある。なにしろ奈良にはリニア中央新幹線がやって来る。国もインバウンド観光推進の一環で、観光産業に力を入れている。

そこで奈良県と奈良市は平城宮と周辺の整備に着手した。2015年に「まちづくりに関する包括協定」を締結。近鉄に平城宮内からの線路移設を打診した。しかし報道によると、近鉄は消極的だったという。近鉄としては、現状に不便はないし、迂回すれば距離も所要時間も延びる。大阪~奈良間、京都~奈良間でJRと競合している。迂回は避けたい。

■2017年の踏切道改良指定が後押し

事態が進展するきっかけは2017年、踏切道改良促進法にもとづく踏切道の指定だった。踏切道改良促進法は2016年に施行され、当初は全国1,479カ所の踏切を改良するよう指定された。2017年1月に529カ所の踏切道が追加され、ここで平城京周辺の4カ所が指定された。うち3カ所は朝ラッシュ時、1時間あたり44~52分も遮断されるという。

2017年4月、奈良市、大和郡山市、御所市の駅を中心とした「まちづくりの検討を進めるための連携協定」が締結され、奈良県と各市に加え、近鉄とJR西日本が名を連ねた。近鉄は3市とも関わり、JR西日本は御所市に関わっている。近鉄は過去7回の協議で、大和西大寺駅の高架化に同意する一方、線路の移設ではなく、個々の踏切の改良を希望していた。

過去の協議内容はわからないが、国へ提出する期限が迫る中、今回の奈良県の提案は手続きのひとつともいえる。この提案を実施するか、しないのであれば踏切をどうするかを決めなければならない。もともと平城宮の整備は、文化庁が「特別史跡平城宮跡保存整備基本構想」として、国費で実施している。平城宮は国営公園化が決まっており、国土交通省の管轄で国費による整備が決まっている。自社負担がなく、列車の運行や運賃に影響がなければ、近鉄も応じるだろう。

文化遺産整備に非協力的な態度を取り続ければ、企業イメージの悪化につながるから、近鉄はむしろ快く応じたほうがプラスだったかもしれない。しかし、前のめりになると無視できない金額の費用負担を求められる。奈良県の提案にある駅新設も悪い話ではない。ただし、行政としては駅の新設で増収が見込める分の負担を近鉄に求めたいかもしれない。「費用負担」と「新駅設置の効果」が今後の協議の焦点となりそうだ。

「乗り鉄」としては、車窓の変化がどうなるか興味深い。現在の「車窓から南門」の風景は望めないとして、大和西大寺駅から高架となり、地下に入る列車の車窓から平城宮を見渡せるか。新駅は追越し可能な構造になるか。ダイヤはどう変わるか。そして、今回の本論とはしなかったが、大和西大寺駅はどうなるだろう。大和西大寺駅は線路が複雑に入り組み、列車の往来の眺めが面白い駅としても有名。高架化によって線路がどのように整理されるかも注目したい。