2019年11月に101歳で没した中曽根康弘元首相は、戦前期に海軍主計中尉に任官された。赴任地は、鎮守府のあった広島県呉市。言わずと知れた軍港の街だ。1989年に開庁した呉鎮守府は、今年100周年を迎えた。三方を山に囲まれた呉港は敵から狙われにくく、軍事機密も漏洩しづらいという地理的な要件を兼ね備えている。そうした理由から天然の要塞として海軍に重宝され、それが鎮守府を設置した理由とされる。

呉は大日本帝国の海軍にとって重要拠点であり、そのために呉鎮守府の長官は海軍内でも実力者が任官されるならわしになっていた。長官の官舎は鎮守府から少し離れた小高い丘にあり、そこは入船山と呼ばれる。現在、入船山一帯はミュージアムとして一般公開されている。

鎮守府が開設されると、たちまち呉は海軍の街として発展。1907年には、西洋建築の様式を取り入れた赤レンガ造の2代目庁舎が建設される。呉は世界の一等国に列するために富国強兵に邁進する明治政府の思惑と、軍拡という世界的な潮流に乗り急速に都市化していった。軍人だけではなく、軍需工業に従事する労働者も多く居住するようになった。そうしたこともあって、呉の街は規模を拡大した。

  • 呉駅の駅ビルは、呉にかけた「クレスト」という名称がつけられている

    呉駅の駅ビルは、呉にかけた「クレスト」という名称がつけられている

  • 入船山に保存されている呉鎮守府長官官舎。館内では、当時の生活ぶりを窺い知ることができる

呉の軍都化は、鉄道によっても加速していく。1903年に海田市駅―呉駅間が開通し、県都・広島市と呉は結びつきを強くした。そして、両都市間の物資輸送が盛んになる。現在の呉線にあたる同区間は政府によって建設されたが、海田市駅で接続する山陽本線が私鉄の山陽鉄道によって運行されていた。それを理由に、同区間も山陽鉄道が運行を担当した。

呉駅の近くを流れる堺川のほとりに設置された錨のモニュメント

呉の軍事拠点性が増していくと、呉線も重要路線に位置付けられる。政府は「鉄道は国が保有し、運行するべき」との方針がベースにあったため、呉線は国有化された。同時に、海田市駅で接続する山陽鉄道も国有化される。 軍都・呉のにぎわいを後押しするかのように、1908年には呉電気鉄道が開業。私鉄から出発した路面電車は何度か合併・統合を繰り返しながら路線を拡大していった。

しかし、民間での経営は厳しく、1942年に呉市に買収されて市電に改組。新たな市民の足になった呉市電は、広く親しまれる存在になった。それでも客足は伸びず、慢性的な赤字経営だった。そうしか環境下にあった呉市電は、常に廃止論が絶えなかった。それでも戦前期は市民の間に自動車が普及していなかったこともあり、市電は細々と存続した。

しかし、1967年に西日本一帯を豪雨が襲来。呉市電の線路は被災し、流出した線路の復旧には多額の費用が必要になった。市は復旧費用を捻出できないことを理由に市電を廃止。呉繁栄の一片でもある市電が姿を消した。現在、呉ポートピアパーク内に車両が保存されており、呉市電を今に伝える。呉ポートピアパークは、呉駅から広島駅方面に5駅寄りにあり、呉駅から歩いていける距離にはない。現在の呉駅前に市電の面影はなく、市電は遠い記憶になりつつある。

それでも、海軍の街・呉は健在だ。呉駅の駅前ロータリーには船のスクリューを思わせる巨大なオブジェが、中央図書館前の中央公園や大和ミュージアム、そのほか街のいたるところに錨や船のモニュメントが設置されている。

  • 駅前広場の巨大なスクリューは黄金色に輝く

駅の裏手には、戦艦大和の模型をはじめ貴重な資料を展示した呉市海事歴史科学館「大和ミュージアム」と海上自衛隊呉史料館「てつのくじら館」が並んでいる。「てつのくじら館」の敷地内には巨大な潜水艦「あきしお」が展示されており、圧倒的な存在感を放ち、これらが観光客の人気になっている。両館は呉港に面しているので、港内を航行するフェリーや貨物船などを楽しむことができるほか、海上自衛隊の停泊している船の様子も目にできる。

  • 駅裏のペデストリアンデッキから眺める「てつのくじら館」前に保存されている潜水艦「あきしお」

  • 「てつのくじら館」と並ぶように「大和ミュージアム」もあり、常に観光客でにぎわう

  • 「大和ミュージアム」前に展示されている錨

  • 市内のマンホールには、呉のシンボル的な存在になっている「戦艦大和」が描かれている

2016年に公開されたアニメ映画『この世界の片隅に』は、大ヒットを記録。作品の舞台として描かれた呉は、映画を見たファンが訪れる"聖地"になった。 主人公・北條すずが過ごした呉は、70年の歳月を経て街並みを一変させた。観光協会などが作成したパンフレットには、映画に出てきたシーンを紹介する地図が描かれている。その地図を片手に、映画の舞台を聖地巡礼するファンも街角で目にする。また、呉駅前から発着しているバスにも「この世界の片隅に」のラッピング車両があり、ファン心をくすぐる心憎い演出がされている。

  • 「この世界の片隅に」のラッピングバスが市内を走る

海軍の街として発展した呉は、戦後に脱軍都化を模索。高度経済成長期は造船業などを軸に工業都市として成長した。現在は観光業も盛んになっているものの、県都・広島市とも近接している地理的な事情から、ベッドタウンとしての趣を強くしている。

  • 近年は観光業も盛んになっている呉

小川裕夫

静岡市出身。行政誌編集者を経て、フリーランスライター・カメラマン。取材テーマは、旧内務省・旧鉄道省・総務省が所管する分野。最新刊は『私鉄特急の謎』(イースト新書Q)。