「家事も育児も家計も全部ワリカン! 」バツイチ同士の事実再婚を選んだマンガ家・水谷さるころが、共働き家庭で家事・育児・仕事を円満にまわすためのさまざまな独自ルールを紹介します。第18回のテーマは「家事の価値観の差は一歩間違うと戦争」です。

  • 「家事戦争」を回避せよ

夫婦で家事で揉めるときって、本当に本当に「些細」なことが原因だったりしませんか?

うちでちょっと前にあった小競り合いの原因は、「油モノを食べた後の箸は、油モノかどうか」ということでした。私は「油モノじゃない」と思っていて、パートナーは「油モノだ」と思っていたのです。

まあ、今思えば正直「どっちでもいいじゃん! 」って感じですし、さっさとどちらかが譲ればいいのですが、「どうしてそう思うか」の根拠を話しはじめると、お互いの生育環境の話になってしまい……。

「生育環境=自分の母親がどうしていたか」で、お互いの母親の信用度対決的に発展するなど、きっかけは些細でも、なぜかどんどん大きな話になってしまっています。

どんな内容でも、「どちらが正しいのか」という話をしはじめると、結局「戦争」になっちゃうんですよね。

こういう「正しさは自分の中にある」という気持ちは、かなり危険だなあと思っています。自分が正しいから相手を説き伏せてもいいと思ったり、主張を通していいのだと思ったりして、言動が乱暴になりがちだからです。そうすると、結局ただのケンカになっちゃう。

正直この問題でいえば、どっちの母親が正しいかなんて、かなり不毛な議論だと思います。しかも「昔はやってたけど、今はやってないかも」とかかなり曖昧だったりして……。

そもそも、この議論は「油で汚れた食器を水につけるかつけないか」という問題に端を発しています。パートナーは油モノを水につけない派で、私はギトギトじゃなければ、ソースなどの汚れを流すために水につけてもいい派です。

前回は、家事に関して些細なことで揉めがちなのは「こだわり」の問題と書きましたが、それ以外にも「生理的な感覚」に基づいているからというのも大きいと思います。「どちらが手が汚れないか」「どちらが効率的か」「どちらが衛生的か」みたいな感覚。

たしかに、明らかに間違っているとカビが生えたり問題が起こったりするのですが、それがかなり感情に結びついてしまっている。「不潔! 許せない! 」みたいな。本当は、「それくらいなら大丈夫」と許容できることも、「これが正しい! おまえは間違ってる」という気持ちを呼び起こしやすい。

でもその「正しさ」で、そこまで相手を叱責したり、責めたりする必要はあるのかな? その問題、そんな感じで勝ち取るほどのものなんだっけ……? みたいな。

なので私は、「私のルールに合わせてくれると、私は気持ちが良くて嬉しいな」というアプローチでもいいんじゃないかなと思うのです。

私は現在、家事のやり方についての多少の差違より、ケンカのほうが子どもに悪影響じゃないかと考えているので、「ケンカをしない」ほうを家庭の中で優先したいと思ってます。なので、夫婦でケンカや争いになりそうなときは、「正しさ」を主張するのではなく、「私はこうしてほしい」とお願いするほうがいいよなあと思っています。

結局このときのケンカは、発端があまりに些細なことだったので「こんなことでケンカするのやめよう」となり、「箸が油モノでも、そうでなくても別にいいか」という結論になりました。

そして、
・自分で洗うときはもちろん自分のやりたい方法で好きにやっていい
・流しに運ぶだけで洗い物はパートナーに任せるときは「ご飯茶碗だけ水につけて、それ以外は何も水につけない」
というルールを新たに設定したので、今後はこの問題で揉めることもないと思います。

そして、細かいなあと思いつつ、丁寧に細かくお互いが納得しあえる状態を確認しあって、「こうしてほしい」と「お願い」するほうが、ストレスなく長く暮らしていけるよね、と思っています。

著者プロフィール:水谷さるころ

女子美術短期大学卒業。イラストレーター・マンガ家・グラフィックデザイナー。
1999年「コミック・キュー」にてマンガ家デビュー。2008年に旅チャンネルの番組『行くぞ! 30日間世界一周』に出演、のちにその道中の顛末が『30日間世界一周! (イースト・プレス)』としてマンガ化(全3巻)される。2006年初婚・2009年離婚・2012年再婚(事実婚)。アラサーの10年を描いた『結婚さえできればいいと思っていたけど』(幻冬舎)を出版。その後2014年に出産し、現在は一児の母。産前産後の夫婦関係を描いた『目指せ! ツーオペ育児 ふたりで親になるわけで』(新潮社)が近著にある。趣味の空手は弐段の腕前。