欽ちゃんの24時間マラソンに感化され…

――そうしてBIG3メインから、フジテレビがお台場に移転して、『27時間テレビ』も新たな時代に突入しました。

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1997年以降の放送が行われているフジテレビ台場現社屋

3回目までタモリさんが司会をやって、5回目はプロデューサーが王(東順、『なるほど!ザ・ワールド』P)さんに代わって(桂)三枝師匠(当時、現・文枝)が司会、その後たけしさんが司会で『平成教育委員会』をメインにやって、河田町最後の10回目まで私もメインのスタッフで参加していました。その次がお台場でダウンタウンが司会だったんだけど、台風の影響で、中継するはずだった野球のナイターがドーム球場なのに中止になったり、地方から集まるはずの船が全然来なかったりで、ダウンタウンがかわいそうだったなぁ(笑)。でも、そういう予測できない事態にこそ、この番組の面白さがあるんですよね。

――その後、中居正広さん、香取慎吾さんや、ナインティナインさん、みのもんたさんなどが総合司会をやって、2008年にさんまさんが19年ぶりに担当される時、三宅さんも総合演出に復帰されました。

初期の頃の思いが時代とともにだんだん変わってきていたので、もう一度初心にかえってやろうと思ったんです。その前の年に、テレビの師匠である大将(萩本欽一)が、自分が1回目の司会をした日テレの『24時間テレビ』で、66歳でマラソンをやってたんですよ。そのゴールシーンを見て、企画書を当時バラエティの室長だった港(浩一、現・共同テレビ社長)くんに出したんです。さんまさんはメインをやりたがらなかったんですけど、この番組への思いとか、「僕、定年を迎えるので…」とか理由をつけて、引き受けてもらいました。

――タイトルは『みんな笑顔のひょうきん夢列島』でしたが、『夢列島』に初心に戻るという気持ちが込められていたんですね。

そうですね。内容としては、さんまさんが『はねるのトびら』とか『めちゃイケ』とか『HEY!HEY!HEY!』とか『ヘキサゴン』とか『笑っていいとも!』とか、当時のフジテレビの人気番組にやってくる構成だったんですけど、いろんな奇跡が起こったんですよ。生放送中にBEGINが「笑顔のまんま」という曲を作ってエンディングで披露したんですけど、最初は自分たちの有り物の曲を歌う予定だったんですね。BEGINが「さんま・中居の今夜も眠れない」に出る前に、さんまさんにも中居くんにも伝えていたんですが、さんまさんがそれを知った上で「なんか1曲作れませんか?」って聞いたら、リーダーが「いいですよ」って言っちゃったもんだから、本当は沖縄に帰る予定だったのにそれを取りやめて「笑顔のまんま」を作ってくれたんです。あれは感激しましたね。

火薬田ドンはたけしが嫌と言うまで死守

――恒例のたけしさん中継が始まったのも、その回でした。

さんまさんが引き受けてくれたので、ぜひたけしさんにも参加してほしいと思っていたんです。その頃、ある方が亡くなって、その偲ぶ会があったんですけど、そこに小堺(一機)くんと高平哲郎さん(タモリ出演番組などの放送作家)と3人で行ったら、お店の前にでかい車が止まって、たけしさんだけ降りてきたんですよ。本当はタレントさんに直接お願いするのはルール違反なんだけど、これはチャンスだと思って、たけしさんに「さんまさんに『27時間』メインでやってもらうんですが、どういう形ならご出演いただけますか?」って聞いたら、「うーん」と考えちゃって、「これはマズいこと言ったかなぁ…」と思ったら、「中継でやろう」と言ってくれたんです。それで、沖縄行って東京に寄って北海道行って佐渡島に行って、そこからチャーター機で東京に戻ってきて、エンディングはタケちゃんマンで出てもらいました。ここで生まれたキャラクターが「火薬田ドン」ですね。

――たまたま、たけしさんにお話しできる機会があって実現につながったんですね。

それから少したった頃に、恵比寿を歩いていたら(島田)紳助さんにバッタリ会って、「さんまさんが『ヘキサゴン』に行くのでお願いします」と話して、「任してください。バッチリいきますから」と言ってくれたりもしましたね。でも、一番の奇跡は、その年で定年退職だったはずが、翌年も役員待遇で残ることになっちゃって、さんまさんには黙って最後にたけしさんがバラして、「ひょうきん懺悔室」で俺が水をかぶるっていう、フジテレビがオチをつけたことですかね(笑)

――あれからもう10年ですね。

その翌年から紳助さんが『ヘキサゴン』メインでやったり、タモリさんが『笑っていいとも!』でやったり、SMAPや『めちゃイケ』などでやってきましたが、もうやり尽くしてしまったんですよ。それで、去年から事前収録できちんと作り込んで秋に放送する形になったんですが、これは自然な流れだと思います。あの番組のチームがやったから次はこのチームって感じで30回うまく転がしてきたんだけど、それだけやると、もう同じ形で転がすところがなくなってきちゃったんです。時代が変われば、また生で27時間やることがあるかもしれないですけどね。

――そんな中で、三宅さんが担当されています「たけし中継」は変わらず、今年もありますね。

「火薬田ドン」だけは、たけしさんが嫌だって言うまで、死守しますよ(笑)。おかげさまで、今日もこれからたけしさんとシミュレーションをやります。いつもお世話になってた船の科学館のプールが使えなくなっちゃったので、いろいろ考えています。さんまさんの「お笑い向上委員会」に登場するので、楽しみにしてください。

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    ビートたけしふんする火薬田ドン。今年は、9月8日22時55分頃から放送される「さんまのお笑い向上委員会」に登場する。 (C)フジテレビ

平成は次の時代への“過渡期”

――平成30年がたって、テレビを取り巻く環境の変化というのはどのように感じていますか?

やっぱり規制が厳しくなってきたというのは仕方ないことだと思います。それと、第1回の『夢列島』を作ろうってなった時は、横澤班とその上の(バラエティ制作部署の)第二制作部の部長がすぐ集まって話ができたんですよ。みんなで企画を考えて、面白そうなのを投票して決めるとかね。朝のラジオ体操なんて企画も、当時の部長が考えたんじゃないかな(笑)。なにせ初めてのことばかりだったから、そういうものづくりの基本がありましたよね。でもそれから、フジテレビも企業として大きくなったし、番組に携わる人数も多くなってくると、それが枷になっちゃうこともあるんですよね。そういうマイナス部分をなくして、どうやって連絡や決定をスムーズにしていくかが問われる時代になってきたんじゃないかな。

――いろいろお話を聞かせていただき、ありがとうございました、最後に、ご自身にとって「平成」とはどんな時代だったでしょうか?

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そうかぁ、平成が終わるんだもんなぁ。明治・大正・昭和って、いろんな文化が生まれましたよね。明治はもちろんですけど、「大正ロマン」とか「昭和歌謡」とかいう言葉があるくらいに。その一方で、平成っていうのは“過渡期”だと思うんです。昭和がホップで、平成がステップで、次の時代にジャンプするための過渡期。バラエティが生まれたのも昭和で、いろいろ変えながら継続してきたんですよ。『27時間テレビ』も事前収録のスタイルに大きく変わりましたけど、その変化を次の時代にどう受け継いでいくのか、ということでしょうね。

――まだまだ三宅さんも現場でご活躍されるということでよろしいでしょうか。

大将、タモリさん、たけしさん、さんまさん、まだまだみんな現役でやってますから、こっちも頑張らないといけないですよね。

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    『FNS27時間テレビ にほん人は何を食べてきたのか?』(9月8日18:30~9日21:54)
    昨年に引き続き、総合司会・ビートたけし(写真上段左)&キャプテン・村上信五(関ジャニ∞)のタッグで放送。「食」からひもとく人々の暮らし、日本の文化、日本人のロマンまで、バラエティな視点を入れながら、アカデミックに迫っていく。
    通し企画は、バカリズムがそれぞれの時代での「にほん人は何を食べていたのか?」をフリップで発表する「にほん人食堂」(下段左)、松岡修造が1時間1回出現して“食に関する名言”を熱く届ける「毎時間修造」(下段右)など。
    (C)フジテレビ