――この番組ならではのさんまさんの姿というのはありますか?
ショージ:他の番組でも楽しくやってますからね。“さんまスタイル”っていうのはどこでもあまり変わらないんじゃないですかね。
寛平:ほんま楽しくやってるし、落ち込んでるところなんか見たことないよな。疲れてるとか、悩んでるようなところとか。楽屋にいてても、全然見ない。
ショージ:ただ変わったのは、視力は落ちたなって。全ての動きは衰えてないかもわからんけど、視力だけは落ちたと。さんまさんが落ちたものってそれぐらいやと思いますよ(笑)
――お2人から見て、さんまさんの“厳しさ”と“優しさ”とはなんでしょうか? 特に笑いに関しては厳しいように見えますが…。
ショージ:番組の構成とかについてはどういうようなことを言ってるのか僕らは分からないですけど、「ここはあかん」「あっこはあかん」って、実はあんまり言わない人ですからね。人はそれぞれ自分のツボみたいなところもあるやろうし、みたいな。
――寛平さんがいつも怒られているのは…?
寛平:あれはさんまちゃんがキャラを作ってくれてるんですよ、キツそうになんやかんや言うてるけど、あれは優しさやもんね。
――それはやはり、信頼関係があるからできるやりとりなのでしょうか。
ショージ:もう信頼しかないんちゃいますか。
寛平:分からんところで優しさがいっぱいありますわ。
■涙は「お前が死んだ時用に残してあるねん!」
――さんまさんの“優しさ”エピソードの1つが、京都のロケ(2015年10月10日放送『明石家電視台in京都 京美人がご案内 秋の極上いいねツアー』)で…
ショージ:そうそう。さんまさんが「泣いちゃいそうやった」と言ったときに、僕が「泣くか! 涙があるか!?」ってツッコんだら、「あるわ、アホ! お前が死んだ時用に残してあるねん!」って。すごい言葉やったから、宮迫らが「えっ!」って驚いて。一瞬空気が止まった感じになったそのとき、すかさず寛平さんが「いや!僕の分は?」って言ったんです(笑)。そしたらさんまさんが、「兄さんの分も残してあげてまんがな」て。あれは最高に面白かったし、名言でしたねえ。
寛平:あんなん言うてくれたらうれしいよなあ。
ショージ:あれは、ふと…。さんまさんて結構“ふと”っていうのがあるんですよ。それが本音かも分からないですけど。
――それでは最後に、ご自身にとってこの『明石家電視台』とは?
寛平:すごい育ててもらった気がしますわ。僕は(吉本)新喜劇でずっとやってたからね。新喜劇はトークしませんし、バラエティに出してもらって、下手やけどちょっとしゃべれるように育ててもらった番組やなあと思います。
ショージ:この『明石家電視台』という作品に今もずっと出られている事が自慢であったり、幸せであったり。言うたら『男はつらいよ』の佐藤蛾次郎さんじゃないですけど、そのひとつの作品にずっと出してもらってるこんな幸せなことはないですね。
寛平:だから、まっだまだやりますよ(笑)。怒られながら頑張りますので、よろしくお願いします。
ショージ:60過ぎのおっさんらが、教室の隅で中学生みたいなことをいまだに言ってるという、1つのもので大騒ぎしてるところはいつまでも皆さんに見てほしいですね。だから、さんまさんには体だけには気をつけて、できたら死ぬまで続けていただきたい。『明石家電視台』はさんまさんあってのテレビですから。
寛平:ほんま、さんまちゃんにありがとうですわ。
1949年生まれ、高知県出身。70年に吉本新喜劇入団。「アメマ」「かい~の」など数々のギャグで人気を博す。趣味のマラソンでは、世界一過酷といわれるギリシャの「スパルタスロン」を3度完走したほか、08年から2年かけてマラソンとヨットで世界一周する「アースマラソン」に挑戦。13年より大阪でマラソン大会「淀川寛平マラソン」を開催する。現在のレギュラー番組は『痛快!明石家電視台』のほか、『ちちんぷいぷい』(MBSテレビ)、『探偵!ナイトスクープ』(ABCテレビ)、『おかべろ』(カンテレ)、『大阪ほんわかテレビ』(読売テレビ)。
1955年生まれ、愛媛県出身。79年、滝あきらに入門。80年代の人気バラエティ番組『オレたちひょうきん族』(フジテレビ)では、何人トリオの一員として活躍した。18年、秋元康プロデュースのグループ「吉本坂46」のメンバーに。デビューシングル「泣かせてくれよ」に、ソロナンバー「バーボンソーダ」が収録される。現在のレギュラー番組は『痛快!明石家電視台』のほか、『ちちんぷいぷい』(MBSテレビ)、『おかべろ』(カンテレ)、『吉本坂46が売れるまでの全記録 シーズン2』(テレビ東京)、『MBSヤングタウン土曜日』(MBSラジオ)。