FXの大相場の数々を目撃してきたマネックス証券、マネックス・ユニバーシティ FX学長の吉田恒氏がお届けする「そうだったのか! FX大相場の真実」。今回は「米ドル危機」を解説します。

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これまで述べてきたように、1990年代半ばにかけて1米ドル=100円を超えた円高、「超円高」が広がったきっかけは、ポスト冷戦で日米貿易不均衡是正を目指し、米クリントン政権が円高容認政策をとったことだったでしょう。ただ、よくあることですが、次第に円高より米ドル安の色彩が強くなり、そのうち米国も困るほど米ドル下落が止まらなくなっていったのです。

「望ましい米ドル安」と「望ましくない米ドル安」の境目

後で書くことになると思いますが、これより約10年前の1980年代半ば、G5(先進5カ国財務相会議)でのプラザ合意を受け、米ドル/円が1米ドル=250円程度から、1年余りでほぼ半分の120円まで暴落したことがありました。これは、実質的には米ドルの切り下げ政策だったので、始まりはG5が協調して米ドル売り介入を行い、強引に米ドルを押し下げるといった行動となったのです。

今まで見てきたクリントン政権の円高容認政策は、「強い円を望む」とか「日米貿易不均衡是正に有効なのは円高」といった発言はあったものの、米ドル売り・円買い介入の具体的な実力行使はありませんでした。その意味では、上述のプラザ合意の米ドル下落(円高)を求める意思がいかに強いものだったかがわかるでしょう。

しかし、そんなプラザ合意後の米ドル下落でも、やがて求めた以上の米ドル下落が広がり、「止まらない米ドル下落」が問題になっていったのです。では、「望ましい米ドル安」と「望ましくない米ドル安」の分岐点はどんなふうに考えたらよいのでしょうか。

基本的にはケース・バイ・ケースであり、ピンポイントで指摘するのは難しいでしょう。ただ目安として、「望ましくない米ドル安」として、「米ドル危機」のように報じられたのは、この1980年代半ばから後半にかけてのプラザ合意をきっかけとした米ドル下落、そして、1979年にかけて起こった「カーター・ショック」と呼ばれる米ドル暴落があげられます。ちなみに、「カーター・ショック」では、米ドル下落に歯止めをかけるべく米ドル防衛策をまとめるところまでいったのですから、いかに当時「望ましくない米ドル安」と判断されていたかがわかるでしょう。

ところで、この2つのケースについて、米ドル/円の5年MA(移動平均線)からのかい離率を見ると、ともにマイナス30%以上に拡大していました。これを参考にすると、「望ましくない米ドル安」とは、過去5年の平均値を3割以上も下回る動きが一つの目安になるかもしれません。

  • 【図表】米ドル/円の5年MAからのかい離率(1975~2010年)(出所:リフィニティブ・データよりマネックス証券が作成)

    【図表】米ドル/円の5年MAからのかい離率(1975~2010年)(出所:リフィニティブ・データよりマネックス証券が作成)

さて、1995年当時、米ドル/円の5年MAは1米ドル=120円前後でした。それを3割下回る水準は、85円前後という計算になります。以上を参考にすると、日米貿易不均衡是正のために米政権が求めた円高だったものの、1米ドル=80円割れに迫る動きになる中で、むしろ「望ましくない米ドル安・円高」になってきた可能性があったのでしょう。

ちなみに、この5年MAを3割以上も下回る米ドル安は、上述の「プラザ円高」以降は起こりませんでした。今回取り上げている「超円高」でもほぼギリギリで米ドル安は止まり、そして2011年にかけて起こった「超超円高」でも、米ドル安は5年MAを2割以上下回ったところで止まりました。

ちなみに、この原稿を書いている2020年4月現在で、米ドル/円の5年MAは1米ドル=110円程度ですから、それを3割下回るのは80円弱といった計算になります。要するに、現在の状況に当てはめると、1米ドル=80円割れに向かう米ドル下落が起こるようなら、「望ましくない米ドル安」といった機運になるかもしれませんね。

話が横道にそれましたが、元に戻しましょう。米政権が「望んだ円高」から、「望ましくない米ドル安」になったことから、それをいかに止めるかが焦点になってきました。ではどうやって止めたのでしょうか。それは次回以降で。