雪の中、最北の地に向けて離陸

さて、前回予告したように、今回からは宗谷岬&稚内である。かねがね「東西南北の4つの端だけが"日本の端"じゃない」と主張してきた本連載ではあるけれども、やはり基本中の基本として、あまりにも有名な東西南北端はきっちり押さえておかないといけない。

顧みると、本連載では記念すべき第1回(~3回)で最西端の与那国島を、第9回(~11回)で最南端の波照間島を、第16回で最東端の納沙布岬をレポートした。ひとつだけ欠けていたのが、そう、最北端である。2009年1月下旬、厳冬期のこの地を訪れた。僕自身の個人的体験としては、20年ぶりの再訪である。

出発日、羽田空港にて。東京はいい天気だったけれど北海道や日本海側は大雪の様子。稚内行きのANA571便も悪天候のため旭川か札幌(新千歳)へ向かう場合ありとのことだった。まあ冬場にはよくあるが

以前にも書いたことだが、上に挙げた東西南北4つの端のうち、アスタリスクがつかない正真正銘の端っこは最西端の与那国島しかない。波照間島は「*無人島であり上陸すら難しい沖ノ鳥島を除いて」最南端であるし、納沙布岬も「*ごく一部の限られた人間しか行けない南鳥島や北方領土を除いて」最東端だからである。

宗谷岬も、その点では手放しでの日本最北端とは言いがたい。北方領土を含めると、択捉島の最北端のほうが北になってしまうからだ。けれど択捉島へはそうカンタンに渡れるわけではないから、現実的に考えればやはり宗谷岬が日本最北端ということになるんだろう。

稚内は雪のようだが、札幌あたりまでは実にいい天気。羽田から1時間弱のフライトで、北海道の海岸線が見えてくる(苫小牧上空から白老、登別方面を望んだところ)。支笏湖と樽前山も絶景だった

稚内空港に到着し、乗ってきた飛行機をターミナルビルからパシャリ。白く凍結した滑走路が最北の地の厳しい冬を感じさせる。その向こうは国境の海だ

天候が懸念されたものの、無事に稚内空港へ到着。外は氷点下7度というから、寒いとはいっても内陸部の氷点下20度を下回るような"しばれ"に比べればまだマシだ。稚内は最北というその位置からむちゃくちゃ寒いと思われがちだけれど、日本海を北上する対馬暖流の影響で、北海道の都市の中ではそれほど寒くなる部類には入らない。-7度というのはこれでも1月の平均気温(-5.7度)より低いのだそうだ。ただし反対に、夏でも気温はあまり上がらない。上がっても25度前後である。

ここ稚内空港は、実は日本最北端空港ではない。稚内の西に浮かぶ礼文島の礼文空港のほうが北にある。しかし礼文空港はすでに6年前に定期便(稚内線)が廃止されていて、この4月には空港自体も廃港される予定なので、そうすれば稚内空港が最北端空港の地位に"格上げ"されることになる。

稚内空港の手荷物引き取り所では、ゴマフアザラシ(のはく製)とサハリン地ビールの美女、そして美しい冬の利尻山の写真がお出迎え。北の国境の雰囲気を盛り上げてくれる

稚内空港は、稚内の市街地と宗谷岬の間にある。市街地は西へだいたい10km、東(北東)の宗谷岬までは25kmといったところだ。ということは、合理的に考えれば空港から宗谷岬に直接向かうバスがあれば、たいそう便利ということになる。のだけれど、現実そうはいかない。空港から宗谷岬に向かうバス路線はなく、いったん市街地に出て、そこからまた宗谷岬行きのバスに乗るしかない。ほかにタクシーはあるけれど、片道25kmのタクシーというのはけっこう高くつく。

「稚内にくる目的は最北端の宗谷岬」という人間は多い。「宗谷岬だけ」という人も多いだろうから、うがった見方をすれば、空港と宗谷岬の往復だけで帰らせるのではなく、市街地のほうにもお金を落としていってほしい……という北の街の切実な願いから、こういう仕組みになっているんだろうか。ともあれ、どこを見ても真っ白な景色の中、真っ白な道の上を、市街地へ向かってバスが走り出した。

見るからに寒くなる、海の氷のような色彩の空港ビル。空港から市街地へ向かう公共交通機関はバスのみで、稚内駅前まで30分ほどかかる。料金は590円と少々お高め。中途半端な額なので、乗客は両替の列を作っていた

南へそしてさらに北へと思いを紡ぐ街

宗谷岬を含む稚内市は、日本最北の自治体である。その最北感を表すために最高のキャッチを、稚内では用いている。「日本のてっぺん」だ。やはり地図は北を上にして見るのが常識的なので、稚内は"てっぺん"になる。たしかに稚内(を含む宗谷地方)は北海道本島の、すなわち日本本土のてっぺんにちょこんとのっかった帽子のようにも見える。他の3つの端、東でも西でもそして南でもまず使えないコンセプトである。

空港からバスで約30分、日本最北端の駅・JR稚内駅前に到着した。ホームのさらに北側、すなわち線路がなくなるところに「最北端の線路」という木製の案内板が立っている。そこには「最南端から北へ伸びる線路はここが終点です」と書いてある。「最南端へと伸びる線路はここが始点です」ではなくあくまで終点であるという発想が、ちょっとおもしろい。 日本最北端の駅がここなら、最南端の駅は……これは第4回「沖縄--最南・最西端の鉄道今昔物語」で紹介した那覇の赤嶺駅(沖縄都市モノレール)ということになる。しかし「最北端の線路」に記されているのは、JR指宿枕崎線の西大山駅(鹿児島県指宿市)だ。まあたしかに沖縄まで線路が続いているわけではないし、そもそも沖縄の鉄道はモノレールだから、最南端といってもしっくりこないのかもしれない。

現在の日本最北端駅、JR稚内駅。北緯45度25分03秒、この季節は駅前広場も周囲の道もすべて真っ白である。入り口脇の壁にかかる駅名表示の「駅」も字は右下が「幸」ではなく「羊」で、旧字体とも微妙に違う字だ

稚内駅ホームの北側に立つ「最北端の線路」の案内板。なお、稚内駅から西大山駅までの距離は、最短ルートで行くと3,124kmだそうだ

「最北端の線路」の横に建つ「旅館さいはて」。なんともわかりやすい名前で、こういうのも旅情をそそる。べつに今回泊まったわけではないけれど

第二次世界大戦当時までは、樺太(サハリン)が日本の領土だった。だから日本最北端の駅も稚内ではなく樺太にあった。

当時、ここ稚内から樺太の大泊(コルサコフ)まで、国鉄の前身にあたる鉄道省によって連絡船が運航されていた。名称は稚内と大泊から1文字ずつとって「稚泊連絡船」。この船が出ていた港に防波堤として設けられたのが、稚内観光の代表的名所「北防波堤ドーム」である。ドームの先に船着場があり、当時はそこまで線路が敷設され、稚内桟橋駅という名の停車場もつくられていた。

この街の北の海は、いまはロシアとの、かつてはソ連との国境の海であり、さらにその昔はあちらの日本とこちらの日本を結ぶ海であった。到着したこの日は、雪が常にパラパラと舞い、時折グオーッとふぶいてきた。気温の数字よりも低い体感温度の中、防波堤から北を見やると、歴史の海鳴りが胸にズンと響いてきた。

以前、根室を紹介したけれど、あの街と同じく、ここ稚内でも標識にロシア語の文字が。北国の日本海やオホーツクに面した土地では、ロシアは意外と"近い国"なのである

稚内のシンボルともいえる北防波堤ドーム。文字どおり北の海に向かった防波堤だが、かつてはこの先に稚泊航路の乗り場があり、鉄道も通っていた。北海道遺産に指定されている

1月の稚内のサカナといえば、タラに八角、宗八、そしてカニ。左の写真は「なら鮨」というお店で食した八角の軍艦焼き。味噌とネギの風味がステキである。旭川の男山が稚内限定で発売する「最北航路」をいただきつつ

市民のための市場兼観光スポット「稚内副港市場」。その脇には「松坂大輔スタジアム」なるものが。父の出身地が稚内という縁でちょうど1年ほど前に開館した。副港市場の前にはロシア料理屋「ペチカ」などいくつかの飲食店が軒を並べる「波止場横丁」もある

礼文島や利尻島に向かう船が出るフェリーターミナルは北防波堤ドームのすぐ脇にあったが、昨年の5月に移動し新しいターミナルが完成した。その向かいにはサハリン航路が出る国際旅客ターミナルが建つ

次回は宗谷岬・稚内後編、最北の海に臨む一大観光スポット、をお送りします。