TBSのドラマ枠「日曜劇場」(毎週日曜21:00〜)のある種の作品には一貫したクセがある。それは職人的な“技術”を物語のカギとして描いているということだ。例えば『下町ロケット』では、最初は主人公と対立しているように見えていた大企業の財前(吉川晃司)が、主人公である佃(阿部寛)の工場で作られている部品を見て技術を認めることで、一気にシンパシーを感じて距離が縮まり、佃の側につくこととなる。

『陸王』では、主人公の宮沢(役所広司)の工場で作っている地下足袋「足軽大将」は技術力のたまもので、少しでも底の部分に亀裂などが入っていたら、売り物にならないと判断されて捨てられている。見た限りではわからないほどの傷にも注意を払う「こはぜ屋」のプライドに心を打たれ、それまで融資を渋っていた銀行員が、融資を考えるというシーンもある。

木村拓哉主演の『A LIFE〜愛しき人〜』でも、主人公の医師・沖田(木村)の父親が寿司職人ということもあってか、沖田も技術の高い医師として描かれていた。

つまり、技術に宿る心を認めたとき、人が動くというのが特徴であり、カギになっているのである。このうち、二作は池井戸潤の原作で、一作はオリジナルであったが、今回の『ブラックペアン』でも、技術は物語に大いに関わってくる。

"日曜劇場らしさ"が現れる技術への視点

『ブラックペアン』世良役の竹内涼真

『ブラックペアン』世良役の竹内涼真

『ブラックペアン』の舞台となる東城大学医学部付属病院の外科教授・佐伯清剛(内野聖陽)は、心臓外科手術の技術が高く、「ブラックペアン」という鉗子を愛用する。“佐伯式”と呼ばれる技術を他の医師たちも習得しようとしているが、世界で誰も成功したことがない(ことになっている)。つまり、“佐伯式”は、技術が高すぎて、誰かに引き継げるものではないとうことだ。佐伯並みの天才が現れない限りは。

それに対し、同病院の新任エリート医師の高階権太(小泉孝太郎)は、「スナイプ」という新たな器具を使えば、誰でも難しい心臓外科手術ができるようになると、夢のようなことを信じて推し進めている人である。

一方、主人公の渡海(二宮和也)は論文を一切出さないためヒラの医局員だが、技術は超一流で、いつの間にか「誰にもできない」とされている“佐伯式”をしれっと使える人になっていた。高階は渡海と対立し、佐伯は渡海に一目置く一方で「ブラックペアンを使えるのは、世界でただ一人だ」と言い放ち、渡海に対して畏怖を感じているような表情も見せる。

なぜ、佐伯は渡海を怖れるのか。渡海との間になんらかの因縁があるからだと思えるが、それと同時に、医師の世界では、技術が権力につながっているからということも考えられる。全国4万人の外科医の頂点に立つ日本総合外科学会の理事長候補として佐伯の名前があがっていることからも、技術が権力(権威ともいえるが)に直結していることがわかる。

そして、この理事長戦で佐伯に対抗するのが、国立の外科大学の帝華大学の教授であり、スナイプを推し進める西崎(市川猿之助)である。彼は佐伯の技術を見て「所詮、一地方の職人にすぎない」と評する。物語の中の敵役の方にこのセリフを言わせるところを見ると、「職人的技術にこそ正義は宿る」と描いてきた、日曜劇場的な視点を感じる。西崎は帝華大から東条医大に高階を送り込んだ張本人でもある。ということは、現在対立関係にある渡海と高階は、東城大と帝華大、もっと言えば、佐伯教授と西崎教授の代理戦争を繰り広げることにもなりうる二人なのである。

しかし、簡単にそうはなりそうにないのがこのドラマの面白い部分でもある。私はいま、原作を読まずにこの文章を書いているので、この先の予想は見当違いかもしれない。しかしドラマ化で主役を世良から渡海に変えたり、心臓外科を専門に変えたりしている時点で、”技術主義”である日曜劇場的な解釈を入れていることは大いに考えられる。また、原作ではほとんど出てこないらしい帝華大の西崎が最初から登場することで、より医学界の覇権争い、代理戦争の性質を強めていくことは予想できるし、それも日曜劇場らしさではないかとも思う。

3人のバランス、今後に注目

第2話で、渡海と高階は、世良(竹内涼真)が外科医をやめるかどうかの賭けをしていた。第2話の最後、高階は渡海との賭けに負けたと思い、病院を出ていこうとする。しかし、世良は病院をやめない決断をしたため、高階も病院から去ることはなかった。渡海は、「患者を生かすが医者を殺す」医師であるとも言われているし、高階からも「あなたと私はすべてにおいて逆だ」「出ていくのは私か、それともあなたか、それだけです」と迫られているというのに、なぜ高階と世良のことをまだ生かし続けているのか。

この理由が、今後人間の技である“佐伯式”と、誰にでも使える新技術のスナイプのどちらが勝つかという展開につながっていくのだろう。これまでの日曜劇場では、“佐伯式”のような職人気質のものは善で、そんな善の技術に宿る心を無視する人は悪とされていたが、今回はふたつの技術に、どんな人間の生き方や解釈が投影されるのかも見どころである(それだけに、今、話題となっているが、治験コーディネーターなどの描写のように、フィクションの中での職業の描き方には注意を払ってもらいたい部分でもある)。

第2話で渡海、高階、世良の三人が揃うシーンは、小田和正の音楽の影響もあってか、妙にすがすがしいものがあった。三人のバランスに注目していくと、最後まで楽しめそうだし、そこがうまく描けなかったら微妙なものにもなるだろう。しかし、うまくいけば、香港ノワールなどによくある(『下町ロケット』にもあったが)、本来なら敵対していたものたちが、お互いに何かシンパシーを感じながら近づいていき、共に何かにあらがっていく解釈もできる話になっていくのかもしれない。

■著者プロフィール
西森路代
ライター。地方のOLを経て上京。派遣社員、編集プロダクション勤務を経てフリーに。香港、台湾、韓国、日本などアジアのエンターテイメントと、女性の生き方について執筆中。現在、TBS RADIO「文化系トーラジオLIFE」にも出演中。著書に『K-POPがアジアを制覇する』(原書房)、共著に『女子会2.0』(NHK出版)などがある。