「4月とは違う状況」と言うが……高まる不安

新型コロナウイルスの新規感染者数が東京都で連日100人を超え、全国の感染者数も再び増加傾向を見せています。新規感染者数を見る限り、緊急事態宣言発令直前の3月下旬から4月上旬にかけて新規感染者数が急増した頃と似ており、「第2波」への懸念も強まっています。

こうした感染の再拡大について、政府の西村担当大臣や小池東京都知事は「警戒が必要」としながらも「4月頃の状況とは異なる」としています。その理由として、最近の増加は"夜の街"関連を中心にPCR検査を積極的に実施した結果である、医療体制がひっ迫していた4月頃とは違い現在のところ余裕がある――などを挙げています。

たしかにその通りです。しかし不安が高まっているのも事実です。今の増加は、休業要請などを全面解除した6月19日以降の感染度合いを反映した数字になっているわけですが、"夜の街"関連を除いても明らかに増加してきています。4月段階との違いを強調するあまり、全体的な感染再拡大のリスクを過小評価することにつながるおそれがあります。

ここで気になるのが、政府や東京都の対応と情報発信の仕方です。最近の感染増加をどのように分析しているのか、そしてどう対応するのかについて、丁寧な説明が不足していると思います。

政府は従来の専門家会議を廃止して、新たに分科会を設置しました。しかし今なぜ専門家会議を廃止したのか、新たな分科会の役割とどう違うのかなどが不明確です。従来の専門家会議が積極的に情報発信を行い感染防止策や行動変容を呼びかけてきたことによって、多くの人が危機感を共有し感染拡大を防ぐことに大きな役割を果たしたことは間違いありません。しかしここへきての感染増加に対して、政府と専門家からわかりやすいメッセージが発信されているとは言えません。

東京都も従来の「東京アラート」にかわって、新たな7項目のモニタリング指標を発表しました。しかし数値基準は撤廃されたため、何をもとに対策のステップを踏んでいくのかが不明確です。             

  • 新型コロナに関する東京都の指標

    新型コロナに関する東京都の指標

このように全体として対応の動きがやや鈍いと感じるのは筆者だけではないでしょう。それには、経済活動再開の流れを止めたくないという思惑、あるいは再度の緊急事態宣言や休業要請は財政的に避けたいとの考えがあるのでしょうか。しかしそうした動機によって感染再拡大の防止に後れを取るようなことがあっては、現状以上に経済的な損失を大きくすることになりかねません。今のうちに感染再拡大を食い止めておかないと、元も子もなくなってしまうのです。

スペイン風邪の教訓・その1 - 第2波リスク

第2波が本格的にやってくる前にそれを防ぐことがいかに重要かは、かつてのスペイン風邪の教訓でも明らかです。これについては本連載の第2回(5月12日付「性急な解除は危険――スペイン風邪が教える第2波リスク」)などで何度か取り上げましたが、ここで改めてスペイン風邪の教訓を4つにまとめて見ていきましょう。

第1は、第2波リスクそのものの再認識です。1918~1920年に猛威をふるったスペイン風邪(スペイン・インフルエンザ)は、当時の世界人口の3分の1以上が感染し、死者は2,000万~5,000万人にのぼるパンデミックとなりました(日本の厚生労働省資料)。死者数は1億人に達していたという推計もあります。

その波は日本にも押し寄せ、当時の日本(内地)の人口の約40%に当たる2,380万人が感染、死者数は39万人にのぼりました(内務省衛生局『流行性感冒「スペイン風邪」大流行の記録』。ただし調査上の漏れがあるため、実際にはもっと多かったと内務省自身が認めています)。

日本での流行は3年間で3波にわたっていました。患者数と死者数では1918年(大正7年8月)~1919年(大正8年7月)の第1波が最も多かったのですが、1919年(大正8年)の10月以降に第2波が起きました。第2波の患者数は第1波の10分の1近くにとどまりましたが、問題は死者数が12万7600人に達したことです。このため致死率(患者数に対する死者数の割合)は5.29%と、第1波(1.22%)の5倍近くに跳ね上がったのです。内務省は同書で、第2波の「病性は遥に猛烈」と指摘しています。

  • スペイン風邪の日本国内での流行

    スペイン風邪の日本国内での流行

スペイン風邪と今回の新型コロナウイルスを同列には論じられませんが、第2波の怖さはしっかりと知っておくことが重要です。最近の感染増加が第2波かどうかは不明ですが、少なくとも2回目の感染増加が起きていることは確かです。第2波または2回目の感染増加に厳重な警戒が必要なことは間違いありません。

教訓・その2 - 感染再拡大防止へ迅速な対応を

第2の教訓は、感染防止の対応に遅れを取ると重大な事態を招きかねないということです。スペイン風邪のケースでは、米国の2つの都市の対応の違いが明暗を分けました。

米東部ペンシルバニア州のフィラデルフィア市では、市民の感染が1918年9月17日に初めて報告されましたが、市当局はしばらくの間これといった対策を取りませんでした。その頃すでにボストンやニューヨークなどで感染が増え始めていましたが、フィラデルフィア市当局の危機感は薄かったようです。

その後、市民の間で感染が広がり死者も急速に増えていました。市当局は最初の感染報告から19日後の10月3日に集会禁止や学校閉鎖などを決めましたが、その頃にはもはや感染を食い止められる段階ではなくなっていました。死者数は10月第1週に706人、第2週に2,635人、第3週には4,597人と爆発的に増加し、医療崩壊も起きていました(A・W・クロスビー/西村秀一訳『史上最悪のインフルエンザ――忘れられたパンデミック』みすず書房)。

  • スペイン風邪による死者数(各週ごと) - フィラデルフィアとセントルイス

    スペイン風邪による死者数(各週ごと) - フィラデルフィアとセントルイス

結局、同市の死者数は翌年3月までの半年間で1万5,785人にのぼりました。これは当時の同市の人口の0.9%。現在の東京都に例えると、12万5,000人が半年間で亡くなった計算になります。

これと対照的だったのが中西部ミズーリ州のセントルイス市です。同市では10月5日に最初の患者が報告されましたが、そのわずか2日後の10月7日には学校休校と劇場閉鎖、その翌日には教会や娯楽施設なども閉鎖し、大型店舗の営業時間短縮や路面電車の乗客人数制限などを実施しました。

これらの対策について市幹部の間では当初は「厳しすぎる」との反対論もありましたが、市長が政治責任をかけると言って実行したそうです。その結果、同市の死者数はピークとなった10月第4週でも257人にとどまりました。

実は同市では10月以降いったん収束に向かったように見えましたが、その後再び増加し、12月第2週には死者数が469人まで増えました。いわば小さな第2波でした。しかしそこで食い止めることに成功しています。

こうしたセントルイスとフィラデルフィアの対応の差はきわめて教訓的です。政府や東京都などが感染再増加を防ぐため迅速に対応することが必要だと言えるでしょう。

教訓・その3 - 感染拡大防止が最優先

第3は、当然のことですが、あらためて感染拡大防止が最優先ということです。スペイン風邪の流行が始まった当時は第1次世界大戦の真っただ中でした。このため欧米各国では戦争が最優先とされ、スペイン風邪は当初は軽視されていました。

それを象徴するのが、前述のフィラデルフィアです。同市の対応が遅れた"隠れた要因"がここにあったのです。同市で最初の患者発生の報告から11日後の1918年9月28日、第1次大戦の戦費を調達するための戦時公債の購入を呼びかけるパレードが市内各地で繰り広げられ、沿道に20万人の市民が詰めかけました。これが感染爆発に拍車をかける結果となったのでした。

  • スペイン風邪によるフィラデルフィアの死者数(各週ごと)

    スペイン風邪によるフィラデルフィアの死者数(各週ごと)

この戦時公債は「自由公債」と名付けられ、国民の戦意高揚を図る狙いもあって各都市がその購入を競っていました。そのためにパレードは全米各都市でも続々と挙行されていました。パレードだけでなく、新聞には戦時公債購入を呼びかける広告が掲載され、各地で戸別訪問による購入勧誘活動が展開されていました。スペイン風邪の感染防止より優先順位が高かったのです。

こうした風潮がパンデミックをさらに拡大させたと言えます。これは米国に限らず、第1次大戦下にあった各国でも共通していたと思われます。実際、各国はスペイン風邪の流行が戦争遂行に不利になるとして感染状況について情報を隠していました。この中で中立国だったスペインでは新しい風邪の流行について報道していたため「スペイン・インフルエンザ」、日本では「スペイン風邪」と呼ばれるようになったのです。まさにこのネーミングが、戦争優先だった当時の実情を表していると言えます。

現在はもちろん戦争など論外ですが、感染拡大防止が最優先であることは同じです。その意味では、経済回復に前のめりになり過ぎることは、かえって感染拡大を招くことになりかねません。「感染拡大防止と経済の両立」が必要なことは間違いありませんが、それはあくまでも感染拡大防止が最優先であり、そのうえでの「両立」だということを強調しておきたいと思います。少なくとも、経済回復のために感染拡大防止がおろそかになるようなことがあってはなりません。

教訓・その4 - 歴史に学ぶことが重要

第4は、歴史に学ぶことの重要性です。私がこれまで何度もスペイン風邪の教訓を取り上げているのも、そのためです。

じつはスペイン風邪は、前述のとおり第1次世界大戦中で各国が情報を隠したこともあって、世界各国の感染者数や死者数など正確な数字はわかっていません。

その中で日本は内務省衛生局の記録など比較的よく残っていますが、それでも調査の漏れがあるのは前述のとおりです。米国の前掲書『史上最悪のインフルエンザ』はスペイン風邪に関する古典的名著とされていますが、米国のジャーナリストが1970年代にまとめたものであり、同時代の資料は極めて少ないのが実情です。そのため「忘れられたパンデミック」(同書の副題)となってしまい、その実態や教訓について社会的にあまり引き継がれてきませんでした。

今回の新型コロナウイルスは決して忘れてはなりません。そのためにコロナの医学的な分析をはじめ、感染拡大の実態や各国政府や自治体などの対応などについてしっかり検証し、それらを今後の私たちの生活に役立てるとともに、後世に残していかなければなりません。

現在、中国がコロナウイルスの発生源や初期対応をめぐって国際的な批判を浴びています。それは国際情勢の大きな問題となっていますが、同時に前述の観点からも中国がその態度を改めることが何よりも重要なことです。