「人生100年時代」と言われる現代。20代でも早いうちから資産形成を進めることが求められています。一方で、どのように投資・資産運用の目利き力を磨いていけばいいのか、悩んでいる方は多いのではないでしょうか。
この連載では、20代の頃から仮想通貨や海外不動産などに投資をし、現在はインドネシアのバリ島でデベロッパー事業を、日本では経営戦略・戦術に関するアドバイザーも行っている中島宏明氏が、投資・資産運用にまつわる知識や実体験、ノウハウ、業界で面白い取り組みをしている人をご紹介します。
今回のテーマは、「Web3(暗号資産、NFT、ブロックチェーン技術、メタバース)の基礎知識と投資意義」。連載内シリーズとして、何度かに分けてご紹介します。
「分散型」の概念の広がり
「分散型インターネット社会」「分散型自律組織」「分散型金融」「分散型アイデンティティ」「分散型都市」……など、“分散型”の概念は、社会に確実に浸透してきています。
人類の歴史上、“分散”と“集中”はくり返されてきていますが、近年の分散型のはじまりはビットコインにあるといえるでしょう。「通貨⇒金融⇒組織⇒社会⇒○○」という風に、分散型の概念は広がりをみせています。
「分散型通貨」は、ビットコインを代表とする分散型のクリプト群(暗号資産群)です。ビットコインは特定の管理者を持っていませんが、誕生以来止まることなく動き続けています。
「分散型金融」は、DeFi(Decentralized Finance、金融サービスの自動運転)です。DeFiにおける主要なサービスには、以下のようなものがあります。
・レンディングサービス:暗号資産(ステーブルコインを含む)を貸し借りできる
・分散型取引所(DEX):ブロックチェーン上で暗号資産同士の交換、証拠金取引、各種デリバティブなどの取引ができる
・イールド・ファーミング:ユーザーが預け入れた暗号資産を運用し、運用益を稼ぐことができる
・ステーキング:トークンを一定期間ロックすることで報酬が貰うことができる
「分散型組織」は、DAO(Decentralized Autonomous Organization)で、「分散型自律組織」「自律分散型組織」とも呼ばれています。特定の管理者や主体を持たない分散型(非中央集権型)の組織で、構成員一人ひとりによって自律的に運営されます。
「分散型社会」は、分散型通貨や分散型金融、分散型組織が浸透した社会です。自分自身を自分でマネジメントしていく人が増え、みんなで秩序を持ちながら、作っていく社会ともいえるでしょう。
分散型社会のなかには分散型都市があり、都市が集まれば国家になります。分散型の究極は分散型国家なのかもしれません。そして分散型国家は、メタバース上で生まれる可能性もあります。オンラインで世界中の人とつながることができる現代、もう国境という概念も希薄になっていくでしょう。
分散型国家の生活と文化
この2つの原稿は、Slack向け同時翻訳アプリ「Kiara」を開発する株式会社キアラの代表で、機械学習研究会コミュニティ「Team AI」の設立者である石井大輔氏が手掛けたAIによって作成されたAI文学です。
漱石の『こころ』と、百閒の『風呂敷』の一文からそれぞれ作成されており、AI短編小説というジャンルができるかもしれません。近い将来、文学賞のなかにAI部門ができ、いずれはヒトとAIの創作物の境界線がなくなっていくのでしょう。文学に留まらず、すでに絵画の世界でもAIアート・AI文化は生まれています。「好きな小説」「好きな絵画」「好きな音楽」「好きな映画」を挙げたとき、それが必ずしもヒトの創作物とは限らないでしょう。
メタバースにいるAIが、小説やエッセイ、音楽、アニメ、3G映画、メディアアートをつくってNFTにして売買し、NFTを担保にDeFiで融資を受けて資産を増やし、国境のない通貨であるビットコインやイーサリアムなどの暗号資産で決済する未来もすぐそこにあるのかもしれません。生身のヒトの出番があるのかわかりませんが、ヒトは優れたAIを生み出す開発者になるのか、それともAIがAIを生み出すのか。もしくは、AIを見極めるAI投資家にでもなるのかもしれません。
インクルージョンやダイバーシティは、外国人や障がい者、高齢者のみならず、AIやロボットとも共存し共に働くこと。ヒトにたくさんの知恵や技術がつまっているように、AIやロボットにもたくさんのモノやコトがつまっています。うちの子はSiriと口論していることがありますから、AI・ロボットネイティブ世代がどんな生活を送り、どんな文化を創っていくのかが楽しみです。
分散型の原点は分散型自己なのかもしれない
本稿の最後に、フェルナンド・ペソアという詩人をご紹介したいと思います。私は個人的には、web3、メタバース、ブロックチェーンと聞くと、ペソアを思い出します。
フェルナンド・ペソアはポルトガルの国民的詩人です。1888年にリスボンで生まれ、子ども時代の約9年間を南アフリカで過ごしたのちにポルトガルに帰国。その後は遠くに旅することなく、生涯をリスボンで過ごしています。ペソアは生涯会社勤めをしながら、余暇を使って創作活動をしていました。生前に出版した詩集は1冊のみで、死後に自宅のトランクからおびただしい数の未発表原稿が出てきています。
ペソアの特徴は「異名者」です。異名者とは、ペソアが創り出した人格で、カエイロやレイス、ソアレスなど、各々が固有の名前と性格、経歴を持ち、それぞれが詩作します。現在までに見つかっている異名者の数は72人にものぼります。
「もうずいぶん前から、私は私ではない」
というフレーズは、ペソアの有名な散文詩です。数々の異名を持ち、散文詩を遺したペソアは、“自己とは複数”をその作品や人生で表現し、体現しています。中央集権型であるはずの自己すら分散型になっている点が興味深いですね。メタバースでは、複数の自己(アバター)を持つことも容易です。あるときは詩人、あるときは画家、あるときは音楽家、あるときは経営者、あるときは大学教授、あるときはAI、あるときはヒト、そしてあるときは……。