悩み多きビジネスパーソン。それぞれの悩みに効くビジネス書を、「書評執筆本数日本一」に認定された、作家・書評家の印南敦史さんに選書していただきます。今回は、「常に神経が張り詰めている」と悩む人へのビジネス書です。
■今回のお悩み
「常に神経が張り詰めている気がして心が落ち着かない」(27歳男性/メカトロ関連)
仕事をしていると、自分でも気づかないうちに気が張り詰めていたりするものです。あとから、「なんであんなにカリカリしていたんだろう?」と思い返してみることになったり。
そうでなくとも(とくにコロナ禍以降は)、社会全体にギスギスした空気が流れています。ですから必然的に、(そして、これまた気づかないうちに)神経を張り詰めてしまうことになってしまいがちなのかもしれません。
ただ、切迫していたとしても、あるいは楽観的に構えていたとしても、結果的に行き着く答えはひとつだけ。しかも、どちらかといえば気楽に構えていたほうが、よりよい結果にたどり着くような傾向があるような気もします。
それはあくまで個人的な感覚ですけれど、でも苦しみながら日々を過ごすよりは、少しでも楽な気持ちで目の前にある壁をひとつひとつ乗り越えていったほうがいい。
少なくとも僕はそう考えながらここまできたのですが、さて、今回ご紹介する書籍の著者たちはどのように考えているのでしょうか?
もっと「雑」に生きていい
常に神経が張り詰めているのだとしたら、その裏側には「仕事や人間関係をきちんとこなさなければ……」というような切迫感があるのではないでしょうか? しかしそれでは当然のことながら、精神的な疲れがたまっていくことになってしまいます。
精神科医である『もうちょっと「雑」に生きてみないか』(和田秀樹 著、WIDE SHINSHO)の著者も、本書の冒頭でそのことを指摘しています。
がんばりすぎて疲れを感じている人、あるいはその結果としてうつ病になったりする人には完全主義的な傾向があります。
生き方が一直線なのです。こういう方が精神科を訪れれば、「もっと雑に生きていいのですよ」「いい加減になればいいのにね」と言いたいのがほとんどの精神科医の本音だと思います。(「まえがき」より)
もちろんここでいう「雑に生きる」とは、不真面目でいいとか、適当でかまわないというような意味ではありません。著者のことばを借りるならそれは、「もっとゆるやかに、振れ幅を楽しむような生き方」のこと。
たしかに完全主義的な人には、「くだらないこと」や「無駄なこと」を嫌う傾向があるかもしれません。もしかしたら、バカ話をして盛り上がるようなことも少ないのかも。
また著者によれば、そういう人は上昇志向も強いそう。だとすれば、生きることがさらに苦しくなったとしても当然です。
しかし、できないことに直面したり、うまくいかなかったりすることは誰にでもあるもの。しかも、できないのであれば、時間を置いてからやりなおしてみてもいいし、手を抜いてもいいし、場合によっては逃げてもいいはず。
だからこそ、著者はこう主張するのです。
雑に生きることは、強く生きることに通じているのです。
そういう生き方を選択すれば、心が楽になります。そして人生は楽しく、結果的に多くの果実をもたらすはずです。
あなたはもっと「雑」に生きていいのです。(「まえがき」より)
たとえば"雑になれない人"は、苦手なことでもなんとか克服しようと考えるかもしれません。「ここさえレベルアップできれば」というように、自分の弱点や人より劣る(と感じている)部分を、「せめて人並みのレベルまで上げよう」とするわけです。
しかし、それは往生際の悪い考え方ではないか?
著者はこう疑問を投げかけています。あっさりと「苦手なんだからあきらめよう」と考えたほうが、気持ちはスッキリしてくるのではないかと。
雑になれない人は、「そういうわけにはいかない」と感じるかもしれませんね。なぜなら、どんなに苦手なことでも、他人より劣ることでも、あきらめたり放り投げたりしてはいけないと考えているから。そこが、根本的にまじめな性格だというわけです。
ただし著者は、そういったまじめさをほめる気にはなれないのだとか。応援したいという気持ちこそあるものの、うぬぼれをも感じてしまうというのです。
なぜなら、苦手なことや他人より劣ることでも、あきらめたり放り投げたりしてはいけないと考えるのは、「わたしは何でもできるはずだ」と思っているからです。結局は自分を完全な人間だと思っていることになります。(36ページより)
逆にいえば、苦手なことやできないことはさっさとあきらめてしまう人、負けを率直に求めることができる人は、「自分にはできないこともあるし、人より劣ることもある」ということを理解しているということにもなるはず。その反面、人よりできることだってあるとも思っていることでしょう。
そういう考え方をしたほうが楽な気持ちで生きていけるであろうことは、誰の目にも明らかなのではないでしょうか?
まわりの目を気にするのをやめてみよう
『どうせ生きるなら「バカ」がいい』(村上和雄、宮島賢也 著、水王舎)の著者も似た考えをお持ちのよう。そして、つらいときや、どうしようもなく苦しいときこそ、まわりの目を気にするのをやめてみようと提案しています。
たしかに、つらいときには「人はどう思っているのだろう?」と余計なことを考えてしまいがち。人の目を気にしすぎるあまり、苦しいときにも無理をして、さらに我慢を重ねてしまうということです。
周りがこう言うから、こう思われるからというのが自分の判断基準になってしまっているために、自分で自分を自由に動かせなくなっているのです。(81ページより)
しかしそれでは、自分の生き方を他者に委ねてしまっているのと同じ。だから、自分の内部に苦しい思いがたまり、緊張状態から抜け出すこともできなくなってしまうのです。
でも本当に重要なのは、人からよく思われることではなく、自分自身が無理せず心地よく生きることであるはず。少なくともそういう意味においては、"自分本位"でいいのかもしれません。
自分が苦しがっているときは、自分を緩めて本来の自由な姿にしてあげる。
自分の考え方に素直に目を向けて、自分にとって楽しい選択をする。
そうすることで、どんな薬よりも自分を自然なよい状態に持っていくことができるのです。(81ページより)
つまり本書のタイトルになる「バカ」が意味するのは、人の目を気にせずに自然体で生きようということなのでしょう。
あるがままを認める
さて、最後は少し違った角度から考えてみたいと思います。「常に神経が張り詰めている気がして心が落ち着かない」のは、自分に自信がないからなのかもしれないと。そこで参考にしたいのが、『自分になかなか自信をもてないあなたへ』(藤由達藏 著、アスコム)。
人は誰しも、自分に自信を持てないとは認めたくないもの。それはそれで、充分に自然なことだろうと思います。しかしその一方、著者はここで「あるがままを認める」ことの重要性を説いてもいるのです。
当然のことながら、世の中は自分の思うようにはできていません。仕事がうまくいかずにカリカリしたり、そりの合わない相手との関係に悩むこともあるでしょう。が、嫌なことがあるのも、嫌な人がいるのも当たり前であるわけです。
そうした、自分と他人と全世界の嫌な部分もひっくるめて、すべてをあるがまま、そのままに受け止めて認めることができる人は、"尋常じゃないくらい強い人"なのだと著者は考えているそう。そんな人こそが、本当の意味で強い人なのでしょう。
わたしたちは、現実を自分に都合よく解釈したり、あるいは悪いほうに解釈したりするくせがあります。色眼鏡で現実を見ているようなものです。
自分のフィルターを外す、というのは難しいことではありますが、自分のフィルター自体をクリアにしたりして、できるだけ現実をあるがままに捉えようとする人は、自分の立場に固執せず、広い心を持った自信のある人だと言えます。(39ページより)
もちろん、自分を取り巻く世界に対しても同じ。あるがままを見ようとし、自分についてもあるがままを受け入れようとする態度にこそ、自信のほどが表れるわけです。そう考えると、もし常に神経が張り詰めているのだとしたら、それは、あるがままを受け入れる自信がないからだと考えることもできそうです。
つまり、現実を受け止められていないということ。
我が身に起こったあらゆる出来事を、「そんなことあるべきではない!」と叫んだところで、事実は変わりません。起きたことを踏まえて、次に何ができるかを考える。出来事の上に、出来事を積み重ねて、よりよい未来を構築していく。これが「建設的に考え、行動する」ということです。(39ページより)
自分を緊張させる数々のことがらにも、そんな気持ちで向き合ってみるべき。そうすれば、気持ちは少しずつ楽になっていくのではないでしょうか?