悩み多きビジネスパーソン。それぞれの悩みに効くビジネス書を、「書評執筆本数日本一」に認定された、作家・書評家の印南敦史さんに選書していただきます。今回は、「攻撃的な上司」に悩む人へのビジネス書です。

■今回のお悩み
「攻撃的な上司に手を焼いている」(35歳男性/企画関連)


目の前の相手や物事を闇雲に否定したがり、そのアプローチも攻撃的。しかも根拠のない謎の自信を持っていて、絶対に譲歩しないから、結局は誰も文句を口に出せず忠告もできないーー。

誰もが手を焼く、そんな上司はどこにでもいるものです。とはいえ、そのままにしておいても状況は改善できません。なのに、答えはどこにもない……。

ましてや自分がターゲットになっているのだとすれば、なおさら話は厄介です。ストレスはどんどんたまり、仕事にも影響が出かねないのですから。

少しでも状況を改善したいところですが、そのためにはどうしたらいいのでしょうか?

攻撃性の置き換えをする「ずるい」人たち

「いつもイライラしていたり、いつも人を批判していたりする人がそうなってしまう理由は、じつは目の前の相手ではなく別のところにある。つまり、『攻撃性の置き換え』をしているにすぎない」。

『平気で他人を攻撃する人たち』(加藤諦三 著、大和書房)の著者は、そう指摘しています。

  • 『平気で他人を攻撃する人たち』(加藤諦三 著、大和書房)

「攻撃性の置き換え」は、自分が怖れている近い人への怒りに直面することから、自分を守ってくれる。
たとえば、上司との勝負を避けて妻を非難することにしがみつく男がいる。上司とは勝負できないという真実の問題から自分の神経症的自尊心を守ってくれるのが、妻への非難である。
憎むことが危険な人への憎しみは、憎んで危険のない人への憎しみに置き換えられる。
「攻撃性の置き換え」によって、自分の心の問題から逃げているかぎり、本当の攻撃の対象には立ち向かわないですむ。しかし、その道の最後はデッド・エンドである。(「はじめに」より)

ここでは夫婦が例として挙げられていますが、今回の場合は、ご相談者さんが「憎んで危険のない人」として扱われていると解釈できるのではないかと思います。

とはいえ必要なのは、問題上司に対するカウセンリングではありません。重要なのは、「標的にならないようにするにはどうしたらいいのか」ということ。だからこそ、どうしたら標的にならずにすむのかを知りたいところです。

攻撃性の置き換えで悩みを解決しようとする「ずるい人たち」が、右を向いても左を向いてもいる世の中になってきた。
現実にそういう世の中で生きている以上、強くならなければならない。つまり、他人の心の葛藤の解決に巻き込まれないように、気をつけなければならない。(113ページより)

具体的には、当然のことながら攻撃性の置き換えの対象にされないようにする必要があるでしょう。問題は、「他人が自分のことをどう思っているかを気にする人」は、他人の心の葛藤の解決に巻き込まれてしまう危険と背中合わせになっているということ。

しかし、それではただ損をしてしまうだけです。

規範意識の強い人も、攻撃性の置き換えをしやすい。「偽りの規範意識」が強いから、本当の怒りの原因を意識できない。もちろん、直接表現できない。
そして、攻撃性は弱いところに向かう。攻撃性を向けるのは、心の優しい身近な人である。そういう人が攻撃性の置き換えにはもっとも都合がいい。(116ページより)

いいかえれば、理不尽な攻撃を受けるということは、「弱い人」「反撃してこない人」であると認識されているから。したがって、どんな仕打ちに遭ったとしても決してひるまず、堂々としていることがまず大切なのではないでしょうか?

会社にはよく、「上に弱く、下に強い」という人がいる。上には面従腹背で、心の底には不満がある。その不満を、下に置き換えて表現する。これはまさに、攻撃性の置き換えである。
もっと一般的に言えば、世の中にはよく、「うるさいところに弱く、黙っているところに強い」という人がいるということではないだろうか。(121ページより)

心情的には戦いたいところかもしれませんし、それも間違いではないでしょう。とはいえ感情的になって不満をぶちまけてみたとしても、ポジティブな効果が生まれるはずはありません。

できるだけ「避ける」

では、どうしたらいいのか? この問いに対して『他人を攻撃せずにはいられない人』(片田珠美 著、PHP新書)の著者は、まず相手を観察してみることを勧めています。

  • 『他人を攻撃せずにはいられない人』(片田珠美 著、PHP新書)

攻撃欲の強い人の手口に気づいて、あなたをがんじがらめにしている糸を解きほぐしていき、場合によっては断ち切るために必要なのは、何よりも観察である。まず、一歩引いて、あなたを悩ませているのは具体的には何なのか、一体どんなメカニズムが働いているのかを見きわめなければならない。(182ページより)

観察を続けていくうちに、向こうの矛盾や欺瞞に満ちた言動、恐怖を与えるための威嚇や虚勢などが少しずつ見えてくるもの。もちろん理想的なのは、こちらをおとしめたり戸惑わせたりするようなことばをも聞き流せるようになることでしょう。

しかしそれが難しかったとしても、自分自身が置かれている状況を少しでも客観的に見つめなおすことができれば、それが大きな意味を持つわけです。

この観察の段階では、あまり発言したり行動したりしないほうがいいだろう。攻撃欲の強い人がどんなふうにふるまうのかをじっと見つめ、ののしったり、こきおろしたりするのに耳をすませながら、悪意を含んだほのめかしや挑発にも一切応酬せず、沈黙を守るべきである。(182ページより)

ただ問題は、攻撃欲の強い人は変わらない可能性が高いことだと著者は主張しています。だからこそ、つける薬はないのだと認識したうえで、「どんなふうに対応するべきか」を考えなければいけないというのです。

では、そのための策は?

ある人が攻撃欲の強い人だということに気づいたら、最良の解決策は、できるだけ避けることである。
たとえば、同じ職場で働いている場合、勤務の時間帯を変更するとか、向こうがよく行く場所には足を向けないようにするとかして、なるべく顔を合わせないようにする。場合によっては、異動や転勤を申し出るという選択肢だってあるかもしれない。(191ページより)

なお、攻撃欲の強い人は「逃げるなんて、臆病者のすることだ」と罪悪感を与え、身動きがとれなくなるように仕向けるかもしれません。けれど、そんなことばに惑わされるべきではないといいます。なぜなら、それはあくまでも"必要な防衛"だから。

相手の内面を知り「親近感」を示す

さて、視点を変えてみましょう。ときには逃げることも必要でしょうが、一方、「攻撃してくる人の内面を知ること」にも意味があるはず。たとえば『どこにでもいる「イヤな奴」とのつきあい方』(ジェイ・カーター 著、五十嵐哲 訳、集英社インターナショナル)は、次のように述べています。

  • 『どこにでもいる「イヤな奴」とのつきあい方』(ジェイ・カーター 著、五十嵐哲 訳、集英社インターナショナル)

そういった人たちは、常に自分が正しくなければならないと考えているのだから、決して「あなたは間違っている」という言葉を彼らに対して言ってはいけない。これは基本中の基本だ。(146ページより)

もちろん、「いっそすべてをぶちまけてやりたい」と思う気持ちも理解できます。が、本当に「相手の考えに矛盾するような行為」をしたり、あるいは相手の行為の間違いをしてきしたりしてしまうと、間違いなくその相手から攻撃を受けることになってしまうことも考えられるわけです。そればかりか、もう攻撃を受けているのであれば、それが激化することもありえます。

"イヤな奴"は、とにかく自分に対する非難をいつまでも覚えているものなのだ。(147ページより)

好むと好まざるとにかかわらず、このことは記憶にとどめておいた方がよさそうです。そして、そういう人をなんとか巻き込んでことを収めたいところ。そこで、著者の次の主張を記憶にとどめておくべきかもしれません。

"イヤな奴"が積極的な反応を示すのは、あなたが相手に対して親近感を示したときだ。仮にあなたが"イヤな奴"を快く思っている場合なら、あなたが折に触れて相手の間違いを指摘したときでも、特別に怒ったりはしないかもしれない。もちろんこれはどんな人間関係にも当てはまることだ。(148ページより)

苦手な相手のなかから"いい部分"を見つけ出すことは、それほど難しいことではありません。もちろん「いいところなんかなかった」というケースもないとはいえないでしょうが、多くの場合は、なにかしらの"いい部分"が見つかったりするものです。

そしてそれを見つけることができると、こちらの相手に対する感情にも変化が訪れるもの。そういう方向に持っていくことができれば、状況が改善される可能性はゼロとはいえないはずです。

快く思っている人に対して自分が親近感を持っていることを示し、そしてそれが相手に伝われば、おそらくはどんなことでも話し合うことができるだろう。ただし、その話は必ずプライベートな場所ですること。自分の間違いを大勢の前で指摘されることは、"イヤな奴"にとってはこれ以上ないほどの屈辱なのだ。(149ページより)

しかし、きちんと親近感が伝わったとすれば、最悪な関係が最良の関係に激変する可能性もないとはいえないわけです。