
盟友である翻訳家の柴田元幸さんを迎え、進行役の坂本美雨さんとともに「音楽で仮定法を学ぶ」をテーマに白熱の翻訳談議を展開。ビーチ・ボーイズやエディット・ピアフなどの名曲に乗せて英語表現のニュアンスを紐解いたほか、方言・スラングの訳し方やAI時代における翻訳の未来、参加者からのQ&Aまで、言葉と文学の魅力が詰まった贅沢な時間となりました。
この記事では、中盤2曲について語ったパートを紹介します。
(写真左から)坂本美雨さん、村上春樹さん、柴田元幸さん
◆Van Halen「Jump」
村上)次は僕の選曲でなんとヴァン・ヘイレンのジャンプですね。好きなんですよね、僕はね。このイントロ聴くだけで胸が躍ります。
<ヴァン・ヘイレン「ジャンプ」を聴きながら>
柴田)might as wellというフレーズですね。
村上)might asって結構苦手でね。どう訳していいかその度に迷っちゃうんだけど。
柴田)might as wellまででまとめて考えた方がいいですね。「やってもいいし、やんなくてもいいんだけど、どっちかっていうとやったほうがいいんじゃない」みたいなときによく使う言い方ですよね。
村上)いろんな使い方がありますよね。僕の好きな曲でIt might as well be spring(まるで春みたいだ)という曲があって、春じゃないんだけど……。
柴田)これくらいさわやかだったら、春であってもおかしくないっていう。AかBか決めるわけじゃないんだけど、Aと考えるとなんかしっくりくるとか筋が通るとか。この曲でも別にジャンプしてもしなくてもいいんだけど、どうせならしたら?みたいなそういう感じ。
村上「あいつに金貸すぐらいならドブに捨てた方がマシだ」という例文ありますよね。“You might as well throw your money down the drain as lend it to him.”僕は『リーダーズ英和辞典』でこの例文が好きなんだけど。
柴田)might as well~as~とか、完全な形の英語にしようとすると大変なんですけど、might as wellだけでも「そうしたら!」みたいな時にwe might as well do it!だけで完結します。
村上)これもでも仮定法の一種なんですね?
柴田)もちろんそうですね。やっぱりmay as wellだとちょっと違うんですよね。
村上)may as wellとmight as wellはどう違うんですか?
柴田)might as wellは「そうするかしないか」とか、仮説を立ててそれで結論出してるような感じがする。いや、そうでもないかな……。
村上)うーん。それから、もう一つわかんないのがI've got my back against the record machine(レコード・マシーンに背中をつける)という……。
柴田)これ要するに普通だったらI've got my back against the wallと「壁」が来るのが普通なんですよね。「単に壁に背中をピッタリつけてます」という物理的な姿勢の問題だけじゃなくて、「追い詰められてるんだ」っていう感じなんです。
村上)レコード・マシンは僕はジュークボックスか何かかなって。
柴田)そうだと思います。
村上)それでいいんですか?
柴田)the wallの代わりにthe record machineを置いたけど、意味は同じということです。他のこのスタンザ(節)のsceneとかmeanとも韻を踏ませた、一種の言葉遊びです。なんかあんまり納得してないですね?
村上)柴田さんはmight as well jumpを「もう飛ぶっきゃないよ」と訳してるんだけど、他に訳し方あるんですかね?
柴田)「飛ぶっきゃないよ」とか「どうせなら飛べよ」とかいろんな言い方があると思います。でもこれで面白いと思ったのは、これ作った時にこのグループの誰かが、テレビで飛び降り自殺のニュースを見て、ビルから誰かが飛び降りるというところ、要するに野次馬が集まるじゃないですか。そうすると野次馬の誰かが絶対Go ahead and jumpと言う。つまり、もうさっさと飛び降りろよ、もったいつけないでって、そういう意味ですね。
村上)Go ahead and jump……。
柴田)Go ahead and jump、そういう言い方みんなするよな、とその誰かは思って、それを使ってこの曲の中にもGo ahead and jumpという何度も出てくるフレーズを入れた。
村上)ジャンプもいろいろな意味ありますよね。屋上から飛び降りるのもあるし、地上からジャンプするというのもあるし。
柴田)そう、上でも下でもいいんですよね、最終的には。
村上)これ曲は好きなんだけど、歌詞ちゃんと読まなかったからなぁ……。
柴田)もちろんGo ahead and jumpというのはここでは、もうさっさと飛び降りろよと言ってるわけでは別になくて、言葉は同じでもそれをポジティブに読み換えてるというか、さあ、飛ぼうよと言い換えてる。
村上)僕はデイヴィッド・リー・ロスのファンなので、つい取り上げてしまいました…。
柴田)そうそう、デイヴィッド・リー・ロスでした。Go ahead and jumpというフレーズからそういうふうに考えたのは……。
◆Nina Simone「I Wish I Knew How It Would Feel to Be Free」
村上)次がニーナ・シモン、柴田さんの選曲です。
柴田)仮定法の中でWishっていう動詞もすごく大事で、ここまで出てこなかったので最後でこれを出さないわけにはいかないだろうと思いまして。例えばWish you were hereという言い方があって、これは昔旅先から絵ハガキ出すってことをみんなしたわけですよね。旅先の絵ハガキだからだいたいその旅先の風景が描いてある絵ハガキを使う。そうするとその絵ハガキを出す人はそこにWish you were here(君もここに一緒にいたらいいのにね)というふうによく書いた。それがもうあまりにも習慣になったので、古い絵はがきを見るとWish you were hereというのが活字で印刷してあったりするんです。そういうwishを使った最もかっこいい例の一つ、これは60年代70年代のアメリカの公民権運動のときにサム・クックのA Change Is Gonna Come(いつか変化が訪れる)なんかと一緒に、公民権運動のテーマソングとして広く聴かれ歌われた歌です。ニーナ・シモンの「 I Wish I Knew How It Would Feel to Be Free」。
<ニーナ・シモンの曲が流れる>
柴田)この曲のタイトル、I wishを使ってますけどすごく長いですよね。「I Wish I Knew How It Would Feel to Be Free」。このI wish I knewまでは簡単に分かりますよね。わかったらいいのにっていう。その後がHow it would feelどんな感じがするだろうか、to be free 「自由であること」は。ここをもうちょっと簡単に言えなくもないんですよね。I wish I knew how it feels to be freeでもいいと思う。it would feelじゃなくてね。だけどit would feel to be freeって言った方がなんというか自由であるってことがまだ遠いっていう感じがするんですよね。そうやって歌っていって、最後になるとI'd know、I would knowですね、私にはわかるだろうともしそうなったらI'd know how it feels to be free ここではそのit would feelがit feelsというふうにもっと直接的な言い方になっています。最後になって自由に一歩近づいたような響きがあると思います。
村上)でもI wishというのはなんか遠くから望んでいるような感じがすごくあるんですよね。
柴田)そう、だから最後のところはもうI wishが消えてI'd know how it feels to be freeになっています。おっしゃる通りで、最後はもう、自由であることがどういうことか私にはわかるだろうっていうふうに、ほとんど仮定なんだけど断定のように言っています。
村上)この頃は1960年代ですよね、この歌ができたのは。公民権運動でアメリカの黒人を中心に市民運動が盛り上がっていて、すごくポジティブというかね、みんなが前向きだったのね。それから絶対世界はよくなっていくだろうという確信みたいなのをみんなが持ってた。
柴田)だから例えば黒人作家のジェームズ・ボールドウィンがその黒人が変われるためには白人も変わらなきゃダメなんだと言って、その後の世代にそこを批判されたりもするわけですけども、この歌でもまだ希望があるなと思うのはI wish you could knowあなたにも分かったらwhat it means to be me私であるっていうのがどういうことか、という一節です。これは明らかに、黒人が白人に語りかけていて、黒人である身というのがどういうものかあなたにもわかったらっていうのを、I wish you could know how it feels to be meと、一種祈りのような言い方で言ってるんですね。
村上)これがもっと先鋭化してブラックパンサーみたいになってくると、このI wishみたいな雰囲気ではなくなってくる……。
柴田)お前らに分かるわけないっていうふうになってくる。
村上)そうなんですよね。今は今でやっぱりもうある種の絶望感みたいなのがあるからこういう何か理想主義的な雰囲気を持つ歌っていうのは出てこないですね。
柴田)なかなか、そうですね。
<番組概要>
番組名:村上RADIO「翻訳夜話」スペシャル~音楽で仮定法を学ぶ~
放送日時:2026年11月3日(火・祝) 14:00~15:55
出演:村上春樹、柴田元幸、坂本美雨
番組Webサイト:https://www.tfm.co.jp/murakamiradio/