
フレディ・マーキュリー生誕80周年を迎えた2026年。絶頂期のクイーンが1986年のブダペストで繰り広げた歴史的公演が、映画『クイーン:ブダペスト』として10月7日より劇場公開される。半世紀を超えた今も、なぜクイーンはこれほどまでに愛され続けているのか。1975年からリアルタイムで彼らを追い続け、のちに『ミュージック・ライフ』編集長を務め、映画『ボヘミアン・ラプソディ』では字幕監修も担当した音楽評論家・増田勇一が、その魅力を紐解く。
4人の出会いと、その始まり
映画『ボヘミアン・ラプソディ』が日本で公開されたのは2018年11月のことだ。それからすでに8年が経過しているわけだが、あの映画に触れてからというもの、クイーンの歴史について振り返ろうとすると、自分自身の中に蓄積されてきた記憶とあとから調べて得た知識、そして映画における象徴的な場面が頭の中で絡み合うような感覚をおぼえるようになった。実際、すべての出来事が同作の中で描かれているとおりの順番で起きたわけではないが、彼らの歴史についてさほど詳しくない人でも、あの映画を観たことさえあれば、クイーンとしての歩みが正式にスタートする以前からブライアン・メイとロジャー・テイラーがスマイルというバンドで活動を共にしていたこと、そこにフレディ・マーキュリーが合流したことでクイーンが生まれたこと、そして最後にジョン・ディーコンが加わったことを把握していることだろう。
クイーンが結成されたのは1970年、ジョンが加入したのは1971年2月のことだった。かの伝説的フェス『ウッドストック』が開催されたのが1969年、ビートルズが事実上解散に至ったのが1970年、レッド・ツェッペリンが初来日公演を行なったのが1971年だったことを踏まえれば、それがロック・ミュージックにとっての大きな転機にあたる時期だったことは疑う余地もない。参考までに記しておくと、ビルボードによる1970年の全米年間シングル・チャートの首位を争ったのはサイモン&ガーファンクルの「Bridge Over Troubled Water(明日に架ける橋)」とカーペンターズの「Close To You(遥かなる影)」だった。
クイーンが歩んできた道程は決して最初から順風満帆だったわけではなく、結成後すぐにデビューできたわけでもない。1stシングルの「Keep Yourself Alive(炎のロックン・ロール)」と1stアルバム『QUEEN(戦慄の王女)』が母国イギリスでリリースされたのは1973年7月のことであり、さらに補足しておくならば、同アルバムの日本盤が発売を迎えたのは翌1974年の春になってからのことだった。それからすでに半世紀以上の年月が経過しており、昨年は「Bohemian Rhapsody」が収録されていた4thアルバム『A Night At The Opera(オペラ座の夜)』が、そして今年は5thアルバム『A Day At The Races(華麗なるレース)』が発売50周年を迎える。そして、ふと思わされる。これほど長きにわたって熱烈に愛され、支持され続けてきたロック・バンドも珍しいのではないか、と。
映画『クイーン:ブダペスト』場面写真(Courtesy of Sony Music)
なぜ今も世界中で聴かれ続けているのか?
なにしろクイーンの歴史には、1991年11月のフレディ他界をもって一旦ピリオドが打たれているともいえるし、のちにクイーン+ポール・ロジャース、クイーン+アダム・ランバートといった形態での活動を経てきたとはいえ、オリジナル・アルバムは、生前のフレディが遺した音源を用いながら構築された『Made In Heaven』(1995年)以降登場していない。つまり少なくとも現時点におけるクイーンのすべての楽曲は、彼らのデビュー当時からの約25年間のうちに作られたものということになるし、今現在30歳の音楽ファンにとって、クイーンの既存楽曲はすべて生まれる前に世に出たものということになる。
何故そんなにも古い楽曲が愛され続けているのか? そこについて考え始めると、詰まるところ「素晴らしいから」「時代を問わない魅力に溢れているから」といった結論に行き着いてしまうのだが、興味深いのは、クイーンの音楽に対する再評価の高まりを呼び寄せるかのような機会が、彼らが不在の時代においてもたびたび巡ってきていたという事実だろう。たとえば「Bohemian Rhapsody」が『A Night At The Opera』からの先行シングルとしてイギリスでリリースされたのは1975年10月末のことで、当時のUKチャートにおいて9週連続で首位を独走するのみならず世界各国で大ヒットを記録しているが、この曲はフレディ他界の翌年にあたる1992年に公開されたアメリカ映画『ウェインズ・ワールド』のサウンドトラックにも使用され、その際にはふたたび各国のヒット・チャートを賑わせている。また、同年4月にはロンドンのウェンブリー・スタジアムにてフレディの追悼コンサートが実施されている。メタリカ、ガンズ・アンド・ローゼズからデヴィッド・ボウイに至るまでの絢爛豪華な顔ぶれがひとつの目的のためだけに集結したあの一大イベントが、フレディの人生を讃える場となったのみならず、クイーンの音楽自体に対する再評価/再認識の機会になったことも間違いないだろう。
余談ながら、『ウェインズ・ワールド』の原作者であり主演を務めていたマイク・マイヤーズは、のちに『ボヘミアン・ラプソディ』においてEMIレコードのプロデューサー役を演じている。マイヤーズはさらに今年公開されたマイケル・ジャクソンの伝記映画『マイケル』でもレコード会社代表の役柄を演じているが、『ボヘミアン・ラプソディ』とこの作品には、どちらもロンドンのウェンブリー・スタジアムで物語が幕を閉じるという共通点があったりもする。
話が横道に逸れたが、『ウェインズ・ワールド』効果で「Bohemian Rhapsody」が再浮上したのと同じような現象は、ここ日本でも発生している。2004年、フレディの作による「I Was Born To Love You」が木村拓哉主演によるフジテレビ系のドラマ『プライド』の主題歌に起用され、この曲がフィーチャーされた日本独自企画によるベスト・アルバム『Jewels』がオリコンのチャートで1位を記録する大ヒットになったのだ。この楽曲はそもそもフレディが1985年に発表したソロ・アルバム『Mr. Bad Guy』の収録曲で、彼の死後に登場したクイーンの『Made In Heaven』にはアレンジが更新された状態で収められていたものだ。この曲には80年代、90年代のうちから日本では化粧品会社やビールのテレビCMなどでの使用実績があったが、この『プライド』での起用が決定打となり、我が国におけるクイーンの第二次ブームとでもいうべきものが到来することになったのだった。
これらのケース以外にも、彼らの象徴的な楽曲が再度脚光を浴びる機会はたびたび巡ってきていたし、それこそスポーツ中継の際に「We Will Rock You」や「We Are The Champions(伝説のチャンピオン)」などが流れることは、世界的な次元で日常茶飯事になっていた。それこそ「あなたを愛するために生まれてきた」と繰り返し歌う「I Was Born To Love You」や「我々は最後まで闘い抜く」という歌詞が印象的な「We Are The Champions」などは、メッセージ性も明確であるだけに、恋愛ドラマやスポーツ中継などでは使い勝手の良さもあったことだろう。ただ、たとえそうしたわかりやすさを伴っていようと、楽曲自体が魅力に乏しければそうした機会を呼び込むことはなかっただろうし、仮に運良く使われたところで、広く一般大衆を巻き込むことはなかったはずだ。また、彼らの楽曲が今なおよく聴かれていることは、今現在の全米アルバム・チャートにおいてもいまだに彼らの『Greatest Hits』が上位に君臨し続けている事実にも裏付けられている。
4人のソングライターが生んだ多様性
そうした実例が示しているように、クイーンの象徴的な楽曲の中には、わかりやすさと独特さを兼ね備えたものが少なくない。しかもそれらは、メジャーなタイアップ獲得を目論んで計算しながら作られたものではなく、むしろ個性的で型破りでありながらフックが豊富で、聴き手を巻き込む力に富んでいるのだ。クイーンの楽曲の傾向について一言で形容することには無理があるが、そもそもフレディとブライアンの作風のコントラストがこのバンドの特性になっていたことは間違いない。それを象徴しているのが1974年にリリースされた第2作『Queen II』ということになるだろう。この作品においては、ヴァイナル盤で言うところのA面がサイド・ホワイトと銘打たれてブライアン作の楽曲中心に構成され、サイド・ブラックとされるB面はフレディ作による楽曲のみで占められている。
つまり作曲面においてこのバンドはそもそも彼らふたりの二大巨頭体制にあったわけだが、のちにロジャー、ジョンがより精力的に曲作りに取り組むようになり、フレディやブライアンの楽曲とは一線を画する存在感を発揮するようになっていく。たとえば「Radio Ga Ga」がロジャー、「Another One Bites The Dust(地獄へ道づれ)」がジョンの手による楽曲であることはそれを象徴しているし、そうしてソングライターとしての4人が各々の持ち味を存分に発揮するようになったことで、80年代のクイーンは70年代以上に均整のとれた状態になっていたのだった。
「第二の故郷」日本との関係
ところで、「最初にクイーンの人気に火がついたのはここ日本でのことだった」というのが長きにわたり定説になっている。ただ、実は1974年の時点で「Seven Seas Of Rhye(輝ける7つの海)」はUKシングル・チャートでトップ10入りを果たしているし、それに先導される形で同年の春にリリースされた『Queen II』はアルバム・チャートで最高5位を記録している。彼らが初めて日本上陸を果たしたのは、それから1年後の1975年4月のことだったわけで、その時点ではすでに「Killer Queen」が全英2位、同楽曲が収録された第3作『Sheer Heart Attack』も最高2位を記録していた。だからすでに当時の彼らは、母国では”期待の新人”以上のステータスを得ていたといえる。
ただ、そうした実績がすぐさま実生活に反映されるわけではないのがこの世界の常でもある。その頃、すでに母国でヒット実績を持ち、ツアーを重ねるたびに動員を拡大しつつあった彼らではあったが、マネージメントとの契約条件の劣悪さなどもあり、メンバーたちの暮らし向きが劇的に向上していたわけではなかった。そんな時期に初めて訪れた遥か東方の島国で思いがけない歓待を受けたことで、のちに彼らの口からは「日本は僕らの第二の故郷だ」といった発言も聞かれるようになったのだった。
1974年、英BBC『Top of the Pops』出演時の「Killer Queen」
当時、日本の洋楽専門誌『ミュージック・ライフ』ではクイーンがかなりあからさまにプッシュされていた。1974年12月号で初めて表紙に起用されてからというもの、彼らの姿はほぼ定期的にフロントカバーを飾っていたし、読者人気投票においてもレッド・ツェッペリンやディープ・パープル、エマーソン・レイク&パーマーのメンバーたちをトップの座から引きずり降ろしていた。私事で恐縮だが、筆者が同誌を初めて購入したのは1975年の夏のことで(同年8月号)、ちょうどその号には初来日公演を振り返るフレディのインタビューが掲載されていた。当時の僕は中学3年生だったが、そんな洋楽初心者の目にもクイーンの存在は魅力的に映ったものだし、同様にキッスやエアロスミスにも興味をひかれたものだった。
そしてのちに大人になってから理解したのは、当時の洋楽ロックの領域において、クイーンの成功がひとつのモデルになっていたということだった。なにしろエアロスミスの広告に「クイーンに対するアメリカからの回答」といった宣伝文句が躍っていたほどなのだ。各レコード会社は第二、第三のクイーンを求めていたし、クイーンでロックに目覚めた若い層に、次に目を向けるべき存在を提供し、次代のスターを育成していこうという動きがみられたのだ。このあたりの温度感については、特に70年代をティーンエイジャーとして過ごしてきた世代の人たちにはリアルな記憶として刻み込まれていることだろう。

1976年の日本ツアー時のクイーン(Photo by Koh Hasebe/Shinko Music/Getty Images)
スタジアム・ロックのあり方を変えたライブの力
70年代半ば頃までのクイーンは、レッド・ツェッペリンやディープ・パープルといったハード・ロックの先駆者たちとは一線を画する存在だった。もちろん音楽的にはハード・ロックの系譜にあったが、誤解を恐れずにいえば、ここ日本では、よりアイドル的な支持を獲得していたのだ。それは単純にルックスの良さや華麗なイメージによるところでもあったが、彼らやキッス、エアロスミスなどの台頭は、ハード・ロックを「わかるやつだけのもの」からより幅広いものとして押し広げることに繋がったといえる。
海外のバンドに関する情報収集手段が月刊誌とラジオにほぼ限られていた時代において、当時のファンは、わずかな情報から妄想を拡げていく術を身に付けていたともいえる。しかもクイーンの場合、そうした乏しい情報の中に含まれていた「フレディはザンジバル生まれ」「ロジャーは歯科医を目指し、ブライアンは天文学、ジョンは電子工学を学んでいた」「フレディとロジャーはケンジントンで古着屋を営んでいた」といった他のバンドとはひと味違った逸話の数々は、ファンの想像力を刺激せずにおかなかった。インターネットで検索すればたちどころに何もかもわかってしまう昨今とはひと味違った”ファンならではの愉しみ”がそこにはあったようにも思われる。
70年代後半を経て時代が80年代に突入していくと、音楽地図におけるハード・ロックの位置付けや勢力にも変化が生じ(言うまでもなく、その時期にはパンク・ムーヴメントの勃発やディスコ・ブームなどもあった)、クイーンは従来以上に広い意味でのロック・バンドとして受け止められるようになっていった。フレディは長髪をやめて髭をたくわえるようになり、その音楽自体も多様性を強めていくようになった。ただ、彼らの音楽が他の誰とも似ていないものであることに変わりはなかったし、ライブもまた、よりエンターテイニングなものとして洗練されていった。
会場内にいる誰もが足踏みと手拍子をせずにいられなくなる「We Will Rock You」、大合唱必至の「We Are The Champions」、さらには全観客の動きがシンクロすることになる「Radio Ga Ga」といったオーディエンスを巻き込む力の強い曲たちは、公演会場が大きくなればなるほどその威力を発揮するようになっていった。巨大なLEDスクリーンを用いてヴァーチャルな映像効果を駆使することが当たり前になっている今日的な演出とは違った次元で、当時なりのアリーナ/スタジアム・ショウを突き詰めていたのがクイーンだったと言ってもいいだろう。
映画『クイーン:ブダペスト』より「Radio Ga Ga」
絶頂期の記録『クイーン:ブダペスト』
そして、いわばここからが本題でもあるのだが、この10月7日から劇場公開される『クイーン:ブダペスト』には、まさに彼らの絶頂期の姿が収められている。そもそもこの作品自体は、彼らが1986年7月27日に行なったハンガリーはブダペストでの公演の模様を収めたもので、その翌年にはVHSとして発売され、2012年にはDVD化にも至っている。ただ、通常のライブ映像作品と違っているのは、最初から劇場用作品として35mmフィルムで撮影されていた点だ。しかも今回は、ただでさえ高品質なその映像が4Kレストアを経ていっそう鮮明さを増し、それに伴う音源についても最新鋭のリミックスにより解像度が高められた状態にある。この作品はBlu-ray/CDとして10月30日に発売されることが決まっているが(同時に、映像作品よりも収録曲数の多い2枚組ライブ・アルバムも登場する)、やはりまずは映画館ならではの大きなスクリーンと迫力ある音響効果で味わっておきたいところだ。
とにかくその映像と音像のクオリティの素晴らしさについては、この場でも強調しておきたい。今回の刷新版映像は本当に「クリア過ぎて怖い」と感じられるほどに鮮明なのだ。実際、その試写用映像をPCの画面で見た際にも、僕は自分の中で長く眠り続けていた記憶を呼びさまされたかのような興奮をおぼえることになった。1986年当時のクイーンといえば、それこそ『ボヘミアン・ラプソディ』の物語におけるクライマックスになっていた1985年7月の『ライヴ・エイド』出演を経て、同年9月には『The Works』(1984年)に続くアルバムの制作を開始している。そして1986年6月に世に出たのが12枚目のオリジナル・アルバム『A Kind Of Magic』だった。このアルバムには、同年公開の映画『ハイランダー 悪魔の戦士』のサウンドトラックとしての一面もあり、リリース後すぐさま英国で大反響を呼び、アルバム・チャートの首位に輝いている。クイーンにとって母国チャートでの首位獲得は、1980年発表の『The Game』以来の快挙だった。

映画『クイーン:ブダペスト』場面写真(Courtesy of Sony Music)
そして、その『A Kind Of Magic』の発売から数日後にスウェーデンのストックホルムを皮切りにスタートしたのが『ザ・マジック・ツアー』で、彼らは欧州各地で全26公演を行なっている。なかでもこのブダペスト公演は、冷戦下の社会変革期において、彼らが西側のロック・バンドとして初めて社会主義圏で実施したスタジアム規模公演でもあり、歴史的、社会的にも大きな意味を持つことになったわけだが、残念ながらこのツアーこそがフレディ存命時のクイーンにとって最後のツアーとなった。
この『クイーン:ブダペスト』を通じて追体験することのできる1986年当時のライブ・パフォーマンスには、本当に非の打ちどころがない。この時期の彼らのライブの精度は、史上最高の次元に達していたと言っていいのではないだろうか。演奏面での完全無欠さは当然のこと、フレディの力強さと繊細さを兼ね備えた歌唱はきわめて高い次元で安定していて、ステージ・パフォーマンスも実にキレが良く、若々しい躍動感に溢れている。当時の彼は39歳、もう1カ月と少々経てば40歳になるという時期にあった。
2026年の現在、時代はめぐり、『A Kind Of Magic』のリリースと『ザ・マジック・ツアー』開催から満40年を経ているわけだが、フレディ自身も存命であれば今年の9月5日には80歳になっていた。そしてこの11月24日には、彼の逝去から数えて満35年ということになる。そうした節目がいくつか重なっている中でこの『クイーン:ブダペスト』が登場することにより、クイーンという唯一無二の存在に対する世の関心はまたもや高まりをみせることになるだろうし、ここを起点としながらクイーンの音楽を深掘りし始めることになる人たちもいるに違いない。
クイーン入門──はじめに聴くべき名曲5選
そうしたことを想定してか、編集部からは「はじめに聴くべきクイーンの5曲」を選出せよという指令を受けているのだが、これは本当に難しい。ただ、このバンドならではの特性がすべて詰まった楽曲として「Bohemian Rhapsody」を、彼らをハード・ロックの領域を超えた巨大な存在にした楽曲のひとつというべき「Radio Ga Ga」を選ばずにおくわけにはいかないだろう。
あと3曲については、クイーンが常に時代感を意識していたことを裏付ける楽曲ともいえる「Another One Bites The Dust」(この曲については、ジョンが”フレディが喜びそうなもの”を意識して作ったはずだとも思えてならない)、1975年当時、まさしく中二病真っただ中の僕に「ハード・ロックの世界の中にもこんなに綺麗な曲があるのか」と感じさせた「Killer Queen」、そしてフレディのあっけらかんとした快楽主義が伝わってくる「Dont Stop Me Now」を挙げておきたい。
いちばん好きなクイーンのアルバムは何かと問われれば、いまだに条件反射的に『Queen II』と答え、中でもブラック・サイドにずっと惹かれてきたことを自認している僕にしてはだいぶベタなセレクトではあるが、ドロドロの混沌感を堪能できる楽曲がある一方で、敷居が低く、間口が広いのもクイーンの魅力のひとつだといえる。このバンドの誕生から56年を経た今、彼らの音楽の世界に初めて足を踏み入れることになる人たちが存在することを心から嬉しく思うと同時に、少年期のうちにこの稀有な音楽と出会うことができた幸運を、僕は感じずにいられない。

『クイーン:ブダペスト』上映情報
2026年10月7日(水)より期間限定公開
※基本上映日は10月7日(水)、10月10日(土)の2日間。一部劇場では10月7日(水)〜15日(木)まで上映
上映形式: 4Kレストア版/2D通常上映、Dolby Atmos上映
IMAX特別先行上映: 10月7日(水)TOHOシネマズ 新宿、TOHOシネマズ 名古屋栄
鑑賞料金: 3,000円一律
※IMAX、Dolby Atmosほか特別スクリーン・座席は別途アップチャージあり
配給: カルチャヴィル合同会社
ホームページ:https://www.culture-ville.jp/queen

『クイーン:ブダペスト』リリース情報
2026年11月6日(金)リリース
※劇場公開終了後、映像商品/サウンドトラック・アルバムとして発売。デジタル配信も同日スタート
再生・購入:https://queenjp.lnk.to/BUDAPESTJPAWRS
〈Blu-ray国内盤[完全生産限定盤]〉
価格:5,940円(税込)
仕様:4面パネルソフトパック
映像:MPEG-4 AVC 1920×1080(4Kレストア)
音声:DTS Stereo/DTS-HD Master Audio 5.1/Dolby Atmos
日本盤限定:MC部分日本語字幕、日本語ブックレット(解説・歌詞・対訳付き)
〈2CD国内盤〉
価格:3,960円(税込)
仕様:ジュエルケース/Blu-spec CD2
DISC 1:全13曲(57:50)
DISC 2:全14曲(48:54)
日本盤限定:日本語ブックレット(歌詞・対訳・解説付き)、ハーフカット型抜きステッカー(初回仕様限定封入)
〈輸入盤〉
4K UHD Blu-ray/DVD/2CD(4面パネルソフトパック)/3LP(日本語帯付き予定)
クイーン日本公式ショップ:
https://www.sonymusicshop.jp/queen
CDやアナログに加え、アパレルやグッズも販売中
