U2独占インタビュー「結成50年、新たな船出」──9年ぶり新作『Carnaval De Luz』の全容

U2のデジタルカバーと独占インタビューが、世界各国のRolling Stoneで同時解禁された。9年ぶりのニューアルバム『Carnaval De Luz』(邦題:『光の祝祭~カルナバル・デ・ルス』)を11月13日にリリースする彼ら。ブライアン・イーノ、故ドリー・パートン、ロザリア、さらにラリー・マレン・ジュニアの首を救った外科医の力も借りながら、いかにして自信と凄みを取り戻したのか。結成50周年を迎えた4人が、再出発の舞台裏を徹底的に語った。

バンドをもう一度「始め直す」

今日の午後の時点で、U2の4人が初めて一緒につるんでから、正確に49年と342日が経った。それでも彼らは、まだ互いにうんざりしてはいない。あるいは、もうしているのかもしれない。「まあ、50年間ずっと地獄だったよ」とラリー・マレン・ジュニアは言う。地中海が点描画のようなパステルカラーをたたえる、そのすぐそばの屋外テーブルに、彼は3人のバンドメイトと座っている。いつものように黒のポロシャツにウェイファーラーを合わせ、髪は両サイドを刈り上げた、変わらぬポンパドール。「つまり正直なところ、こいつらをかき集めて、曲をやらせるだけでも大変だったんだ。それでツアーとなれば、まあステージセットだの何だのもあるけど、何より参ったのは髪型だよ。それに、ずっと後ろからこいつらを見なきゃならない。正直、大変だった」

全員が笑いからようやく息を整えたところで、ジ・エッジが言う。「マレットヘアの時代は最悪だっただろうね」

「ラリーから見えてたのは、マレットの長い後ろ髪だけだったからな!」とボノも加える。

9月初旬のフレンチ・リヴィエラは、やはりというべきか、この日も美しい。バンドが生まれた場所──ダブリンにあるマレンの実家の台所──からは、わずか900マイルほどしか離れていない。3週間後、この4人はU2結成50周年を、これ以上ないほど回顧とは無縁のやり方で祝うことになる。11月13日発売の、9年ぶりとなる全編新曲のアルバム『Carnaval De Luz』を発表するのだ。先行シングル「Street Of Dreams」は、ある意味ではフェイントだったことがわかる。穏やかで、いかにも従来どおりのU2らしい瞬間だが、アルバムそのものは、もっとリスクを恐れず、野心的で、ギザギザしたエネルギーへと向かっている。作品を貫くテーマは、ジ・エッジが「暗い時代における反抗的な喜び」と呼ぶものだ。だからこそ舞台はカーニバルであり、生粋のアイルランド人4人組からは誰も予想しないほど、スペイン語の歌詞もふんだんに盛り込まれている。

「このレコードを作ったのは、おそらく僕らの誰もがこれまで経験した中で、世界が最も不穏だった時期だ」とボノは言う。最近では、世界で本物の悪魔が動いているのではないかとさえ感じるようになったという。「個人的な意味じゃない。世界全体の話だ」。彼は、ウクライナを扱った新作ドキュメンタリー『Black Sunflowers』が、戦争で荒廃した土地で開かれるレイヴから始まることに触れ、さらにエイズ危機のさなかのクィアの生について、作家ダン・サヴェージが語った言葉を引く。「朝には友人を埋葬し、午後には抗議し、夜通し踊った……僕らが闘っていたのは、そのダンスのためだった」

「現実から目を背けるということじゃない」とボノは続ける。「ただ、『あいつらに僕らの気分まで支配させるものか』と言っているだけだ。誰のことか、名前を挙げる必要すらない。人それぞれ、”あいつら”が誰なのかは違うからね」

この段階でなお、偉大なU2のアルバムを作るための気概を呼び起こすこと自体が、一種の反抗でもある。アルバム冒頭を飾る、心地よく意表を突くスーサイド風のブライアン・イーノ参加曲「Go (Carnaval De Luz)」で、ボノは〈過去と僕は別れなきゃならない〉と歌う。「Zoo Station」の〈次に来るものへの準備はできている(Im ready for whats next)〉を思わせる、いわばアルバムの所信表明だ。「もっと重要なのは」と、ボノは自分の歌詞にいかにも彼らしく乗っかりながら続ける。「U2みたいなバンドがスタジオに入るたびに、一度別れて、また仲直りするようなことをしなきゃならないってことだ。口にするのは難しいけど、ある意味では本当だと思う。少なくとも転機になるようなアルバムでは、もう一度最初から始めなきゃいけないとわかる瞬間がある」

聞き覚えのある話だと思ったら、その通りだ。1989年の大晦日の前夜、ダブリンのステージに黒いカウボーイハット姿で立ったボノは、観客にこう告げた。「一度どこかへ行って、すべてをもう一度夢から描き直さなきゃならない(dream it all up again)」。その後の10年間、バンドはレザーとネオンに彩られた華々しい時代へ突入するが、1997年の『Pop』では、エレクトロニクスにのめり込みすぎて自分たちの音をかき消してしまったのではないかと危惧することになる(「Mofo」のように今も色褪せない曲はあるにせよ)。『All That You Cant Leave Behind』では、ミュージシャンが同じ部屋で演奏するという基本に立ち返った。ただし、完全な原点回帰ではない。それまで彼らは、あれほどシンプルでソウルフルな曲を書いたことがなかったからだ。それから26年。『Carnaval De Luz』はまたしても、新たな出発点のように感じられる。ミックやキースでもないかぎり、そろそろ終着点を意識してもおかしくない時期に差しかかっているというのに。

彼らを突き動かす源泉は、今も変わっていない。「U2という物語の中心にあるのは、信仰なんだ」とボノは言う。今日はテーブルに着くと帽子を脱いでいるが、それは素朴な麦わら帽子。サングラスはオレンジ色のミラー仕様で、ジョン・レノン風の丸いレンズだ。頭から足元までダークグレーのリネンをまとい、黒いレザーサンダルからつま先をのぞかせている。背後にはレストランの白い柵があり、そのそばに、どこか聖書を思わせるライムの木が立っている。「互いへの信頼、かな。自分たちへの信頼。ここまで連れてきてくれたコミュニティへの信頼。そして、自分たちより大きな何かが背中を押してくれていた、という信頼だ」

1978年撮影:左から、ジ・エッジ、ラリー・マレン・ジュニア、ボノ、アダム・クレイトン(Photo by Patrick Brocklebank)

それでもジ・エッジは、制作に入るにあたっていくつかの疑問を抱えていた。ボノの右隣に座る彼は、黒いベースボールキャップを深くかぶり、黒いTシャツにゴールドのチェーン。まるでボノのボディガードのようにも見える。「『僕らはまだ意味のある存在なのか?』って考えた」とギタリストは振り返る。「『誰かが興味を持つようなことを、まだ言えるのか?』って。僕らに意味があるかどうかは、自分たちで決められることじゃない。でも、意味のある存在であろうと努力することは選べる。それを僕らは選んだ」。その問いは「重荷ではなかった」と彼は付け加える。「むしろ気持ちを奮い立たせるものだった。これはちゃんと意味のあるものにしなきゃいけない、って。まず何より、自分たち自身にとってね」

『Carnaval De Luz』は、バンドが今年前半に発表した2枚のEP、『Days Of Ash』と『Easter Lily』とひと続きの作品でもある。今後発売されるデラックス・エディションからもわかるように、全体としてはキリスト教の典礼暦に沿って構成された、実質的な2枚組アルバムであり、その順番で聴くことが想定されている。カーニバル、四旬節、復活祭。『Easter Lily』EPの最後に鳴る音が、そのまま『Carnaval De Luz』の最初の音へつながっているため、永遠に繰り返す循環として聴くこともできる。「疲れ切った世界に典礼暦をたどってくれと頼むのは、ちょっと求めすぎかもしれない」とボノは笑う。「僕らのいちばん熱心なファンに対してさえね。でも、そうでもないかもしれない。これはアート・プロジェクトなんだ」

2枚目のEPのある歌詞で、ボノは愛読書『The Death and Resurrection Show: From Shaman to Superstar』のタイトル前半を借りている。この本は、ショービジネスの神話的な起源を掘り下げたものだ。もちろんU2にいるということは、それ自体がまさにそういう営みでもある。自分たちなりの典礼暦まで含めて。彼らは何度も自分たちを作り直し、ときには遠くへ行きすぎて道を見失う。スパイダーマンについて曲を書く方向へ脱線することだってある。それでも最後には、少しずつ姿を変えながらホームへ戻ってくる。流行の中に入ったり外れたりし、救われたがっているようには見えない世界を救おうとし、ときには頼まれもしないのに数億台のスマートフォンに現れたりしながら、それでもフットボール・スタジアムでは何度も超越と高揚へたどり着いてきた。そして同じ教訓を、何度でも学び直さなければならないのかもしれない。

「レコーディングでは、詰め込むものを減らすほど音がよくなる。そのことに気づくまで、ずいぶん時間がかかった」と、洒落た銀色の口ひげを蓄えたアダム・クレイトンは言う。カーニバルの雰囲気に合わせ、今日はカラフルなボクサー柄をあしらったCasablancaのトロピカルシャツを選んでいる。「結局のところ、バンドそのものの音だけで十分なんだ」

「僕らは学ぶのが遅いんだよ」とマレンは言う。首を負傷し、医師から引退を勧められた彼自身も、このアルバムに至るまで、ゆっくりと人知れず”復活”を遂げてきた。「ものすごく遅いんだ」

ドリー・パートンとロザリア、魂を揺らす二人の女性

6月初旬、亡くなる3カ月足らず前、病を抱えていたドリー・パートンはマイクの前に立ち、70年に及ぶキャリアで最後となるボーカルを録音した。わずかな震えがかえって凄みを増した声で、彼女はこう歌った。〈母親にとって、これほどつらいことはない/家族が争うこと以上に〉。曲は「Torn」。ボノとのデュエットで、『Carnaval De Luz』の最後を飾ることになった。「彼女は病に倒れたあと、この曲を歌うためにベッドから起き上がったんだ」とボノは言う。「それは声を聴けばわかる。だから今は、僕には聴くことすらできない」

曲の終盤、ジ・エッジはパートンの声に、カントリー・ミュージックよりもさらに古い何かを感じ取る。「最後はまるでキーニングなんだ」と彼は言う。「アイルランドの葬儀で聞かれる、あの哀哭の歌だよ。彼女の血にもそれが流れている」。彼女が最後に歌った言葉は、〈すべての心は引き裂かれている(Every heart is torn)〉だった。

ボノは何カ月も前からパートンにアプローチしていた。当初は、現在も制作が続くアイルランドのルーツ音楽を扱ったサイドプロジェクトへの参加を想定していた。「まずは口説かなきゃいけないんだ」と、誕生日にはパートンへバグパイプを贈ったボノは言う。「追いかけるんだよ。ドリー・パートンは、茶目っ気があって気の強い女性だからね……色っぽいやり取りも彼女のキャラクターの一部で、そこから卒業する気なんてない。それも、僕が彼女をあれほど尊敬している理由のひとつだよ」。ボノは電話越しに、「Lifelong」と呼ばれていた曲を含むいくつかのスケッチを聴かせた。「そしたら、『ちょっとアイルランドっぽすぎるわね』って言われたよ」と彼は振り返る。

「全然なびかなかったですね」と、アルバムのプロデューサー、ギャレット・”ジャックナイフ”・リーも言う。彼は2004年の『How to Dismantle an Atomic Bomb』以来、断続的にU2と仕事をしてきた。「当然です。曲がまだよくなかったですから」。リーの記憶では、パートンがU2に伝えたのは、要するにこういうことだった。「ええ、曲はやりたい。でも、あなたたちはまだ私が歌える曲を持ってきてないわ」

1978年、ダブリンのMount Temple Comprehensive Schoolで撮影されたクラス写真。ボノは前列左から3人目。その左隣には、のちに妻となる当時のアリ・スチュワートがいる。ジ・エッジは後列中央で、ジャケットとネクタイを着用している(Courtesy of U2)

そこで彼女は、自作曲「Torn」を送ってきた。もともとは、2人の男性の間で揺れる女性を描いた曲だった。ボノはそこに可能性を感じ、フォークのプロジェクトで共作していたスノウ・パトロールのジョニー・マクデイドとともに歌詞を書き直し、2人の息子の対立に苦しむ母親の物語へと作り変えた。ボノはタイトルを「Civil War」に変えることも考えたという。自分の声が加われば、アイルランドの分断を連想させることはわかっている。だがそれはパートンの国の話にもなり得るし、ほかのどんな紛争地にも当てはまる。「場所はどこでもいい」とボノは言う。「でも、何のことかはみんなわかる……今のアメリカでは、感謝祭の集まりに行くのを怖がる人たちがいるっていうからね」。当初ボノは、この曲を「SFフォーク」の方向へ持っていこうとしていた。『Zooropa』でジョニー・キャッシュを迎えたときのことを思わせる発想だ。しかしリーは、もっと地に足のついた方向へ引き戻した。「相手はドリー・パートンですからね。ドリー・パートンを愛している人たちが聴きたくなくなるような曲にはしたくないので」とプロデューサーは言う。ダニエル・ラノワがペダル・スティールを加え、最後にマレンが、ラノワの代表的プロデュース作のひとつ、ボブ・ディランの「Most of the Time」に着想を得た、余韻の深いドラムトラックで仕上げた。

パートンの歌声にどう寄り添えばいいのか、ボノはなかなか答えを見つけられず、結局はできるだけ前に出ない歌い方を選んだ。パートン本人にも、こう書き送ったという。「『ただ、あなたの邪魔をしないようにした』って……『僕に何ができる? ほとんど語るように歌って、あとは彼女に彼女のやることをやってもらうしかない』と思ったんだ。彼女は魂を振り絞るように歌っていた。80歳の女性だなんて、とても信じられないよ」

完成したミックスはパートンにも気に入ってもらえて、バンドは胸をなで下ろした。「ドリーはすごく気に入ってくれました」とリーは言う。「自分のボーカルをとても誇りに思っていました……僕らは、彼女が仕上がりに違和感を覚えるんじゃないかと、すごく緊張していました。でも、彼女は本当に気に入ってくれたんです」

ジ・エッジは、パートンを「ラディカル・センター、つまり急進的中道」を体現する存在だと見ている。「今では、ほとんど無人地帯みたいになっているけどね……僕ら自身も、そこを目指しているところはある。でも、ここまで二極化してしまうと、両方の側から叩かれずにいるのはものすごく難しい……それでも彼女は両方から受け入れられ、誰からも愛された。驚くべきことだよ。それを、今日ボノも言っていたけれど、ユーモアで成し遂げた。ユーモアが彼女の秘密兵器だった。そして結局、どんな暴君もユーモアには太刀打ちできないんだ」

『Carnaval De Luz』の4曲目には、もうひとり、こちらは今も健在の女性アーティストの存在が大きく映し出されている。「The Mirror Maker (Rosalía)」という曲で、その名の通りスペインのシンガー、ロザリアについて歌ったものだ。「普段の僕らは、刑務所にいる人か、死んだ人についてしか曲を書かないからね」とボノは言う。「死んだ英雄とか、誰かを刑務所から出そうとするとか。これはただ、その人が並外れたアーティストだからという理由だけで讃えている曲なんだ」。多くの熱心な音楽ファンと同じく、ボノもロザリアと、彼女が2025年に発表した傑作『Lux』に夢中だ。その作品は、Lux(ラテン語)/Luz(スペイン語)/light(英語)というタイトルに至るまで、ボノ自身が探究しようとしていたいくつものテーマに一足先にたどり着いていた。「僕らよりほんの少し先に、同じ地点に到達してしまった。それが腹立たしくもあり、同時にものすごく刺激的でもある」とボノは言う。彼は、ロザリアもまた芸術を通して「世界を再び魔法に満ちた場所にする」ことを目指していると感じている。

巨大な、ピート・タウンゼントを思わせるアコースティックギターのリフで始まるこの曲は、2017年ごろ、ジ・エッジが作った「Kuti Rocker」というデモから始まった。フェラ・クティの影響を示す仮題だった。その後、「Delilah」「Child of the Age」と呼ばれた時期もある。「アルバムで使っているのは196番目のバージョンです」とリーは言う。「歌詞も完全に別物。本当に難しい曲でした。最初はエレキギターを使ったロックンロールだったんだけど、僕らはずっと『Ziggy Stardust』みたいな、アコースティックギター主体の方向へ引き戻そうとしていました……ロックンロールって、かなり男性的になり得るし、男性性が強すぎると聴き手を遠ざけてしまう。だから少し女性性が必要なんです。ボウイやT・レックスがうまくやっていたのは、そこだと思います……いわゆる”コック・ロック”じゃないんです」

リーの見立てでは、196ものバージョンを作るちょうど中間あたりで、この曲はロザリアを題材にするようになった。「なんで僕らはロザリアについて歌ってるんだ?」とバンドが問いかけていたことを、リーは覚えている。「それがどう関係するんだ?」

ボノの答えは、彼が90年代に初めて読んだ『The Death and Resurrection Show』へと遡る(著者Rogan P. Taylorは「ショービジネスの”魔法”は、本物の魔法だ」と論じ、パフォーマーとシャーマニズムを結びつけている。「それは、膨大な蓄えを持つ宗教的な源泉から力を引き出している」と。さらに同書には、古代のシャーマンは幼いころに親を亡くしていることが多かったとも書かれている。これを読んでボノが思わず反応したであろうことは想像に難くない)。「誰にだって、自分の中のナルシシズムとは向き合わなきゃならない」とボノは言う。「何かを書くという行為そのもの、自分の考えに誰かが興味を持つべきだと思うこと自体、鏡の中で自分を見失うのはものすごく簡単なんだ。あるいは、鏡をのぞき込んだとき、その背後に映っている世界にね」。彼が話しているあいだ、私はそのサングラスに自分の姿が映っているのに気づく。「でも、鏡を突き抜けて、その向こう側に何があるのか見ようとするアーティストもいる。僕が若いころならパティ・スミスがそうだった。そういう人はたくさんいる。でも、もっといてほしい……ロザリアは間違いなくそのひとりだ。それに、人間は身体と魂と精神からできている、という考え方がある。かなり古風で、今となってはどこか昔ながらの考えに聞こえるかもしれない。でも彼女は、ものすごい勇気と、自分を笑えるユーモアをもってそこへ向き合っている……物理学だけじゃない。形而上学もあるんだ」

「曲を出す前に、彼女がここまで有名になっちゃったのはちょっと気恥ずかしいけどね」と彼は付け加える。「でも、僕は気にしない。マーティン・ルーサー・キングだって、みんな知っていたわけだから」

本人の許可なしにこの曲を発表するなど、ボノには到底考えられなかった。そこで、共通の友人であるペネロペ・クルスに、半ばパニックになりながら連絡した。「ペネロペに電話して、『どうしたらいい?』って聞いたんだ」と彼は言う。「そしたら『本人に電話すればいいじゃない』って……でも僕としては、『ストーカーみたいに見えるだろ』って感じでさ」。ボノによれば、ロザリアはこの状況を面白がり、「ものすごく励ましてくれたし、たくさん笑わせてもらった」という。2人はメッセージを交わし、互いに詩人フェデリコ・ガルシア・ロルカのファンであることについても話した。ただし、まだ直接会ったことはない。「今となっては、もう会える気がしないんだよね。最終ミックスを送る勇気を、いま振り絞っているところだよ」

曲はボノのファルセットで始まる。本人いわく、ロザリアの「ソプラノを真似た」ものだ。「最初は、ロザリア本人に歌ってもらうための呼び水にするつもりでした」とリーは言う。「でも途中で気づいたんです。自分について歌った曲を、本人が歌うっておかしいですよね? 意味がない。『私がどれだけ素晴らしいか、私が歌うのを聴いて!』ってことになる。ボノが歌っているのを聴いたらすごくよかったので、じゃあ、なぜ差し替える必要があるんだろうと思いました」

ラリー・マレン・ジュニアが直面した危機

2024年3月、ラリー・マレン・ジュニアは観客として、初めてU2のコンサートを観た。その時点では、自分が再び演奏できるようになるのかどうか、まったくわかっていなかった。ラスベガスのSphereで40公演を行うにあたり、バンドメイトは代役ドラマーとしてブラム・ファン・デン・ベルフを迎えた。マレンが公演を観に行ったのは、39公演目になってからだった。「注目を集めたくなかったんだ」と彼は言う。ただ、ためらっていた理由はそれだけではなかった。

マレンの人柄には、ドラミングと同じくらい強烈なものがある。冗談を飛ばしているときですら、真っ直ぐ向けられる視線の強さには威圧されるほどだ。リーはかつて、「ラリーという人間が怖かった」と認める。何か余計なことを言えば、殴られるのではないかとさえ思っていたという。だが今回は、その関係も大きく変わった。2人だけで夜遅くまでスタジオに残り、何時間にもわたってさまざまなパーカッションのアプローチを試した。マレンがこれまで、ほかのアルバムでは一度もやったことのない作業だった。

身体を患うなか、マレンはその強烈なエネルギーをすべて自分の内側へ向けた。「怪我をして、それを乗り越えられないと、ある種の屈辱を感じるんだ。僕は屈辱を感じていた」と、翌日の午後、同じ海辺のランチテーブルに座った彼は語る。U2へ戻るまでの道のりを、これほど詳しく話すのはこれが初めてだ。「でも、それは僕自身の問題だ。僕の中にあるクソみたいな感情が問題なんだよ」

『Achtung Baby』期、ベルリンでのU2(Photo by Anton Corbijn)

ずっと中心にいた集団から突然その外側に立つというのは悪夢のようにも思える。だが「想像するほどひどくはなかった」とマレンは言う。「バンドは、バンドとしてやるべきことをやっていた。あのドラムパートは僕のものだ。子どものころに僕が叩いたパートで、当時は自分でも何をしているのかよくわかっていなかったものも多い。それをブラムがすごく上手に演奏しているのを聴いて、僕はありがたいと思った。不思議な言い方だけど、本当なんだ。置いていかれたとは感じなかったから。僕が抱いていた感情は、全部自分自身のものだった。個人的な屈辱感だったんだ。バンドに対するものじゃない。自分自身に向いていた」

マレンは何年も前から、首に問題があることを十分すぎるほど自覚していた。椎間関節に先天的な癒合があったのだ。生業として、日々あれほど激しくものを叩き続けていなければ、特に問題はなかったはずだった。「僕の仕事をしていなければ、ほとんど気づかないようなものなんだ」と彼は言う。「何年もそれでやってこられた」。しかし2019年の『The Joshua Tree』ツアーの頃には、状況が変わり始めていた。痛みに苦しみ、毎晩ステージに立つために必要だった治療が、長い目で見れば身体をさらに傷つけていた。「ツアーを終えるころには、本当にひどい状態だった」

何年も休みなくツアーを続けた末、マレンは疲れ切っていた。それでも、いずれ元に戻れると思っていた。「僕はいつも、ちゃんと立ち直れると思ってたんだ」と彼は言う。「いつだって戻ってこられるって……確かに休む時間は必要だった。ただ、病院のストレッチャーじゃなくて、どこかへ行く飛行機を予約したかったけどね」。コロナ禍が始まると、マレンは完全に演奏をやめた。「籠もっているあいだもドラムは叩かなかった。痛すぎたから。COVIDの時期を通して、自分の身体はもう元には戻らないほど傷んでいるんだと気づいた……僕も止まったし、みんな止まっていた。そしたら身体が『もう十分だ』って言ったんだ」

それでも、2022年ごろにSphere公演の話が最初に持ち上がったとき、マレンはいったん出演を引き受けていた。「やるつもりで決めたんだ」と彼は言う。「でも数週間後、理学療法士に『リハーサルを最後までやり切ることすらできない。だから撤回しないといけない』と言われた。それを取り消すのは本当に大変だったし、すごく複雑だった。もう約束してしまっていたからね」

自分抜きでバンドメイトが活動を続けることについては、異論はなかった。「完全に理解していた」と彼は言う。「ビジネスはビジネスだし、その流れを止めるものがあってはいけない。それは100パーセント受け入れている。だから、ステージではメンバーが代役に替わることもあるという暗黙のルールが、このときは僕にも当てはまった。別の状況なら、ほかの誰かに当てはまるかもしれない。それが仕事をするということの代償なんだ。友達でいて、親しく付き合って、それでいて一緒にビジネスもする。そこは複雑だよ。もちろん、みんな思うところはある。だから、難しくなかったなんて言うつもりはない。でも、誰かにそうさせられたわけじゃない」

自分抜きでU2が演奏する姿を観ながら、マレンは「ボーカリストの気まぐれ」でバンドを外されたミュージシャンたちのことも考えたという。「それが……どんな気持ちなのか考えた」と彼は言う。「でも、僕自身はそういうふうには感じなかった」

Sphere公演が始まるころ、マレンは単発シングル「Atomic City」のレコーディングとミュージックビデオ撮影のため、バンドメイトとスタジオに入った。「あの時点では、これがラリーと一緒に演奏する最後になるかもしれないと思っていた」とクレイトンは言う。ベーシストとドラマーには独特の結びつきがある。クレイトンはマレンとの関係を、ほとんど結婚のようなものだと考えている。ファン・デン・ベルフの演奏を高く評価していたとはいえ、別のドラマーと演奏することは「ものすごく浮気しているような感じがした」という。

バンドの未来は不透明だった。「ラリーが戻ってくるのか、わからなかった」とクレイトンは言う。「僕らは続けられるのか? 続けたいと思うのか? それは今でも答えの出ていない問いだ」。しかしジ・エッジによれば、『Carnaval De Luz』が存在するのは、マレンが戻ってきたからこそだ。「ラリーが演奏できなかったら、アルバムは作っていなかったと思う」と彼は言う。「『なんで? ラリー・マレン抜きで、なんでアルバムを作るんだ? それは違うだろ』ってなっていたはずだ」

プログレと45回転シングル、U2が取り戻した「バンドの音」

ランチテーブルに戻ると、U2のメンバーたちはクレイトンが注文した魚の丸焼きを分け合いながら、驚くほど長々とプログレッシブ・ロックについて語っている。長年ボノは、プログレ、あるいは彼の頭の中にあるやや戯画化されたプログレ像を、U2が何としても避けようとしてきたものすべてを象徴する、音楽上の”悪役”のように扱ってきた。彼にとってそれは、キング・クリムゾンやラッシュのような偉大なバンドから、『Tales from Topographic Oceans(海洋地形学の物語:イエスのアルバム)』やリック・ウェイクマンの悪名高い”氷上キャメロット”まで、振れ幅のある実際のジャンルというより、ひとつの符号のようなものだった。フックや即効性よりも、雰囲気づくりや大仰さ、自己陶酔を優先する音楽、という意味で。

「僕らはロックンロールの45回転シングルで育った」と、ボノは2009年に私へ語っている。「あれをものにするのは、とにかく難しい。でも同時に、ロックンロールの生命力そのものでもある。躍動感、簡潔さ、耳に残る強さ。セックス・ピストルズでも、ニルヴァーナでも、ピクシーズでも、ビートルズでも、ザ・フーでも、ローリング・ストーンズでもね……ロックが45回転シングルの感覚を忘れると、プログレッシブ・ロックの方へ流れていく。アイデアを使い果たした、くたびれた古いアーティストに生えるカビみたいなものだ。僕らのバンドにも、サウンドトラック的な、あるいはピンク・フロイド的な面はある。でも、それは優れたソングライティングと釣り合っていなきゃいけない」。のちにボノは、その会話をしていたまさにその時期にU2が制作していた『No Line on the Horizon』こそ、プログレに侵食されていたと考えるようになった。そして次の2作、2014年の『Songs of Innocence』と2017年の『Songs of Experience』では、バンドを自ら「ソングライティング学校」と呼ぶ場所へ送り返した。

Photo by Anton Corbijn

ところがジ・エッジは、実はプログレ好きだ。とりわけイエスに心酔しており、高校時代にはジーンズにそのバンド名を書いていたほどだった。そして今、ボノにはそんな彼に伝えたいことがある。U2がこれまでプロデューサーたちからどれほど多くを学んできたかを話すうち、ブライアン・イーノの話になったのだ。『The Unforgettable Fire』の制作時、イーノはドナ・サマーが歌い、クインシー・ジョーンズがプロデュースした名曲「State of Independence」を繰り返し聴くようバンドに求めた。何度も聴くうちに、それは「祈りのようになった。というか、本来そういう曲なんだ」とボノは言う。その曲は以来40年にわたって彼の頭に残り続けたが、最近になってネットで調べ、元イエスのボーカリスト、ジョン・アンダーソンが共作していたことを初めて知った。

そこでボノは、生まれて初めてイエスの曲をいくつか聴いてみた。スティーヴ・ハウのきらめくようなギター・ハーモニクスに、ジ・エッジと通じるものを感じたという。どちらも、ロックにありがちなブルースのクリシェを避けようとするギタリストだ。そしてボノは、イエスの5作目のアルバムタイトルを思い出す。「『Close to the Edge(危機)』なんだよ」と彼は言う。「僕がずっと敵視してきたものの中に、”エッジ”の名前の由来があったってことじゃないか!」(その場でジ・エッジは否定しなかったが、自身のニックネームの由来については、以前この説に疑問を呈している)

ボノはジ・エッジの方を向く。「君には謝らなきゃいけなかった」と言う。「長年にわたって、しかもたぶん傷つけるような形で、君やほかの人たちが調子の悪いときに”プログレッシブ・ロック”という病気にかかっていると、僕はずっと言い続けてきたからね」。ここで使った”lurgy”は、病気を意味する英国の俗語だ。

整えられた濃いあごひげを歪ませながら、ジ・エッジは笑う。「ボノは、自分に都合がいいときだけ完全にプログレ支持派になるってことは指摘しておきたいね」と彼は言い、『Days Of Ash』収録の「The Tears Of Things」のコード進行とアレンジを、「プログレッシブ・ロックの最高の形」として挙げる。さらに、新作アルバムのオープニング曲にはボノが書いた別のイントロもあり、それは「イエスからかなり強い影響を受けている」と明かした。

ちなみにマレンは、自分のルーツはすべてグラム・ロックにあると考えており、プログレに最も近いものを挙げるなら、ブラインド・フェイスのアルバムだという。クレイトンはというと、「タイツを履いた男たちが演奏する音楽を、自分から探しにいったことはない」と言う。「そこに自分向けのものがないのはわかっていた」。とはいえ、トゥールは好きだそうだ。

この話題も、実は大きな脱線ではない。U2の最新音源の面白さのひとつは、45回転シングルという枠から解放されていることにある。『Easter Lily』の最後を飾る、印象的で催眠的な「COEXIST (I Will Bless the Lord at All Times?)」は、7分近い長さだ。もともとは、イーノが「Melancholic Space Grandeur」と名づけたファイルに入っていた、穏やかに脈打つシンセのコードから始まった。ボノは「State of Independence」にも着想を得ながら、その上で即興した。この曲もまた、ひとつの祈りだ。元のバージョンは17分あり、ボノは本気でそのまま発表することも考えていた。だがリーが思いとどまらせた。「僕は『すごくいい。でも、みんな一度しか聴かないと思いますよ』って言ったんです」

新作にはもちろん、ポップなフックもたくさんある。思い切りセクシーな「Glorify」の〈天が崩れ落ちるとき/ベイビー、僕らだってそうじゃないか?〉から、勢いよく駆け抜ける「La Reina」の〈もう一度、声を上げよう/未来の顔のために〉、そして「Superficiality」の耳に残るファルセット、〈自由はひとつの感覚/君のそばで僕が感じるもの〉まで。しかしボノは、『Songs of Experience』以降、U2が再びチャートを席巻するような大ヒットを生み出せるという考えを、ついに手放したと認める。「ポップチャートに見放されると、人は自分を守るために『そもそも興味なんてなかった』って言いたくなるんだろうね」と彼は言う。「本当はそうじゃないって、自分ではわかっているのに……僕は自分たちの曲をラジオで聴きたかった。今でも、それ以上にワクワクすることなんてほとんどない……まだチャンスがあると思っていたころは、完璧なポップソングを作りたかった。本気でね。もう少しで届きそうだった。でも、あと一歩だった。ものすごい人たちに出会って、彼らから学んだけど、それを”決定的な一曲”に凝縮することはできなかった。どうしてもできなかったんだ」

「今は」と彼は言う。「曲そのものが報いなんだ」。新作がどう受け止められようと、「それを曲のせいにはしない。今はそういう時代なんだ……大勢に向けたものじゃなく、少数の人のためのものなんだよ」。ボノは、キャリア後期のボブ・ディランのインタビューを読んだときのことを思い出す。ディランは、自分の音楽がもはや大衆のためのものではないと受け入れ、そのぶん、より徹底して自分自身であろうとしていた。「ボブ・ディランでいることなら、ボブ・ディランより上手いやつはいない」とボノは言う。「U2でいることなら、エッジ、アダム、ラリー、そして僕より上手いやつはいない。U2に入りたいと思う人はいるかもしれないけど、実際のところ僕らも、そんなに悪くないんだ」

とはいえバンドは現在、ボノが新作でいちばん気に入っているという5分半の曲「The Greatest Show On Earth」のラジオ・エディットを作ろうとしている。「ここ何年もの中で、ひょっとしたら僕らの最高傑作かもしれない」と彼は言う。「この曲があったから、バンドに残ろうと思えた」。じわじわと熱を帯び、やがてIMAX級のスケールへ膨れ上がるこの大曲が描くのは、壊れてしまった恋愛だ。その途中では、キリスト教ナショナリズムにも矛先が向けられる。〈ここは愛の教会なのか、それとも恐怖の教会なのか?/僕らはここで神をよそ者にしてしまったのか?〉。ライチャス・ブラザーズの「Youve Lost That Lovin Feelin」にある、恍惚を帯びたクルーナー風の失恋の痛みを捉えようとしつつ、どこかベルトルト・ブレヒトを思わせる響きもある。〈愛は夜に動く商売/僕は自分を、値打ちより安く売った〉。ボノは以前からこのタイトルを温めていたが、友人バズ・ラーマンによる最近のコンサート映画で、エルヴィス・プレスリーが「Lovin Feelin」を歌う姿を観たことで、この曲の哀歌的なコンセプトを掴んだという。〈かつて僕らは、地上最高のショーだった(We were once The Greatest Show On Earth)〉。「もしかしたら」と、どうしても諦めきれない様子で彼は言う。「ラジオでかけられるバージョンを作れるかもしれない」

マレンとクレイトンは、『Innocence』/『Experience』期からバンドが制作のやり方を変えたことを歓迎している。当時は、曲をまったく異なるプロデューサーや共作者の間で、ピンポンのように行き来させていた。「あれだけ多くのプロデューサーが関わると、本当に難しかった」とマレンは言う。「じゃあ、バンドって何なんだ? バンドは何をするんだ? どう機能するんだ?……自分が何をすればいいのか、わからなかった。だからスタジオでは、座って見ているしかなかった。僕は、ただ座って見ているのには慣れてないんだ」

当時は「バンドの音がすごく曇って、濁っていった」とクレイトンは付け加える。「キーボードのオーバーダブとか、いろいろ重なってね。今回は明確に、バンドが同じ部屋で一緒に演奏しているように聴こえるレコードを作りたかった」。実際、アルバムには楽曲を力強く前へ押し出すベースラインも数多く登場する。クレイトンは、そのいくつかを作ったのはジ・エッジだとすぐに認めるが、ギタリストはその称賛をそのまま返す。「僕がいつも実感するのは、アダムが弾くと、まったく別物になるってことだ」とジ・エッジは言う。「僕がアイデアを渡すことはある。でも、アダムとラリーが演奏すると、深みも、強さも、個性も、一気に50パーセント増す。あれは本当にすごいよ」

2023年、ラスベガスのSphereで演奏するボノ、ジ・エッジ、クレイトン。ドラムはマレンに代わってブラム・ファン・デン・ベルフが務めた(Photo by Kevin Mazur/Getty Images)

前2作にも携わったリーは、曲が遠く離れたコラボレーターたちの間を行き来するうちに、「最後にはフランケンシュタインの怪物みたいなものになって、いろんな断片がくっついているのに、結局たいしたものにならない」様子を見てきた。自分自身も例外ではない。「恥ずかしいことですが、僕はラリーとアダムの力を理解できていませんでした」と彼は言う。

ジ・エッジは、バンドが2度にわたって逆方向へ振れすぎたのだと考えている。『No Line on the Horizon』では「ソングライティングをひとつの技術として捉える感覚を見失った」。そして次の2作では、「今度はほとんど同じだけ反対方向へ外れてしまい」、結果として「少しテクニカルすぎる……少し正確すぎる」ものになったという。今回は「何ひとつ聖域にしなかった。完成するまでは、何も完成ではなかった」。それでも、前2作への愛情は変わらない。「当時はU2が以前ほど時代の中心にいなかった時期だったと思う。だから、作品のいくつかは少し見過ごされてしまったのかもしれない」

どれほど苛立たしいものだったとしても、あの創作上の苦闘には意味があったのだと、今のマレンは理解している。「僕の中のへそ曲がりな部分なら、『ほらな、あんなに頑張る必要なかったじゃないか』って言いたくなる」と彼は言う。「でも、それは正しくない。正しいのは、向こう側へたどり着くには、押し続けてリスクを取らなきゃいけないってことなんだ」。彼にとって、その教訓は曲作りそのものというより、バンドのアイデンティティに関わるものだ。「U2は、ほかのみんなと同じにはなれない。無理なんだ。僕らには、そうなるための器用さがない。僕らはいつだってアウトサイダーであり続けるし、そうでなきゃならない……このレコードへたどり着くまでの遠回りも、まさにそのことを示している。バンドは、僕らが望んでいたほど自在に形を変えられるものじゃないと認めたということだ……ここまで来るには、本当にいろいろなことがあった。そしてそれは、50年という時間を受け止めることでもある」

オバマ、イスラエル、そして「悪」

セッションのあるとき、バラク・オバマがふらりと顔を出した。まあ、来ても不思議ではない。「楽しい時間でしたよ。音楽やケンドリック・ラマー、それに映画の話をたくさんしました」とリーは言う。「センスがいいんです」。ボノは元大統領に、制作途中だった「The Tears Of Things」を聴かせた。「ボノは、必ずしも相手の意見を聞きたいわけではないんです」とリーは続ける。「曲を聴いているときに、その人がどう感じているかを見ている。歌詞の一節が響いていなければ、それもわかりますから」。だがオバマは、感想だけでなく具体的な指摘もした。「曲の中盤で展開が変わるところについて、ボノにひとつ指摘したんです」とリーは言う。「的を射た意見でした。彼はすごく鋭いですよ」

控えめに言っても、この曲はかなり大胆な試みだ。ガザへと至る数千年の歴史を、ボノが間接的かつ断片的に描きながら、ユダヤ人の歴史にも共感の目を向けている。しかも語り手は、聖書のダビデと、ミケランジェロが彫ったダビデ像が同時に務める。曲の終盤でボノは、〈すべての人が僕の民だ/僕の民を解放してくれ〉と訴え、〈選ばれた者になることを、誰が自ら選ぶだろう?〉と問いかける。

「今ほどユダヤ教の道徳的な力を必要としている時代はない。そんな世界で何が起きているのかを、なんとか理解しようとする試みなんだ」とボノは言う。「それなのに、一体何が起きているんだ?」。これまでも繰り返してきたように、彼はハマスによる10月7日の攻撃を「冒涜的な犯罪」と呼んで非難する。一方、とりわけ強い嫌悪を示すのが、イスラエルの極右・国家安全保障相イタマル・ベン・グヴィルの発言だ。ガザについて「そこには生きる価値のない人間がいる。生きるべきではない。人間ですらない」と語るそのレトリックを、ボノはヒムラーになぞらえている。

「僕はこれまでイスラエルを支持してきたし、今も支持している」とボノは言う。「それと同時に、パレスチナの人々にも寄り添っている。彼らにはパレスチナという国があるべきだ。ジェノサイドという言葉の定義をめぐっては、応酬が続いている。これは法律用語で、いずれICCやICJが判断することになる。でも、ここには政府の大臣でありながら、拘束もされていない男がいる……そしてネタニヤフは、『多数派を維持するには彼が必要だ』と言う」。ボノは首を振る。「僕の視野を広げ、意識を変え、笑わせ、歌で胸を引き裂き、魂を高揚させてくれた人たち。その多くがユダヤ人なんだ。それなのに、あの男は彼らの宗教に影を落としている……あまりにもひどい」。さらにイスラエルについて、「この状況を正さなければならない」と続ける。「ナクバで起きたことを正す必要がある。そのためには、一部の人たちが望まないような妥協をしてでも、正しいことをしなければならない。正義はユダヤ教の中心にあるものだから」

「『The Tears Of Things』の静けさには、煮えたぎる怒りがある」とボノは締めくくる。だが同時に、この力強い曲は、彼らが作ろうとしていたアルバムにはどうにも収まりそうになかった。それはこの曲だけではない。クレイトンによれば、U2には「25、30、35、40くらいの断片が同時に進んでいて、候補になっていた。ひとつの作品に収めるには、あまりにも多すぎるように思えた」という。カーニバル─四旬節─復活祭というサイクル自体は早い段階から構想していたものの、当初はそれらすべてを、どうにか1枚のアルバムの中で成立させようと考えていた。

今年初め、彼らは考えを変えた。「僕らが抱えていた曲の中には、対抗する力としての喜び、カーニバル、肉体そのものを祝うというこのアルバムの発想には、どうしても収まらないものがあった」とジ・エッジは言う。「それで僕が、『じゃあ今、何曲か出してしまおう。完成しているのに、このままだと世に出ないかもしれない曲があるし、それらにはちゃんとまとまりもある』と言った。するとボノが、『そうだ、この暦のこの時期なら意味が通る』って」。灰の水曜日までは、あと数週間だった。「完璧に筋が通る。やろう、と。僕は1曲か2曲くらいだと思っていたんだけど、彼は『いや、6曲くらいやろう』って」

リーはちょうど休暇を取って、家族のもとへ帰るところだった。ところが予定は一変し、彼とバンドはほとんど取り憑かれたような勢いで作業に入った。「『これはとんでもなく悪いアイデアかもしれない』と思いましたよ。あまりにも予定をひっくり返す話ですし、完成まで数日しかないのに、まだ2曲は書けてすらいない。かなり危うい状況でした。だから仕上げるには、その後2週間、週7日、1日18時間働くくらいの勢いでやるしかなかったんです」

ジ・エッジが「American Obituary」の音楽を書き始めた。この曲は、ICE職員に射殺されたレネー・グッドさんを悼むもので、事件からわずか4週間後に発表された。ボノは歌詞を書き上げる前に、グッドさんの家族3世代とZoomで話す機会を設けた。「本当に素晴らしい人たちだった」と彼は言う。「主に歌詞を書く立場として、みんながこの曲を受け入れられるかどうか、確かめておきたかったんだ」。そして〈アメリカは嘘の民に抗って立ち上がる〉という一節まで説明したところで、グッドさんの父親から、その言葉はどこから来たのかと尋ねられた。「僕は『80年代にエッジから渡された、M・スコット・ペックの本からだ』と答えた」。するとグッドさんの父親は、自分の本棚にある同じ本を指差した。「それに、この人たちの何が驚くべきだったかって、彼らの方が僕を安心させようとしてくれていたことなんだ」。グッドさんのパートナーは、彼女を撃ったICE職員のためにも祈っているとボノに話した。その言葉が、〈憎しみが戦争を愛する以上に、僕は君を愛している〉という歌詞につながった。

彼らは『Days Of Ash』EPを、事前告知も大々的な宣伝もなくリリースした。ほとんど、ただストリーミングサービスにそっと置いただけだった。世界中のすべてのiPhoneにアルバムを送り込んだときとは、まさに正反対のやり方だ。「数年前、僕らはかなり大きな事故を起こしたからね」とクレイトンは笑う。「同じ間違いは繰り返したくなかった。それに、これが”代わりのアルバム”だと思われないような形で出す、というアイデアが気に入っていた」

「僕ら、新作アルバムを”隠してる”んだよ」とボノは言う。「みんながそれに賛成したのには驚いた」

その疲れが抜ける間もなく、フロントマンは復活祭に向けた2枚目のEPを提案した。再び慌ただしい制作が始まる。「また別の非常事態が起きるんです」とリーは言う。「それで『もう一度は無理だ』となる。でも結局、またやったんです。しかも、もしかすると前よりうまくできた。全員が同じ方向を向いて動くと、とてつもない力になる。特にU2ではそうです。ボノは、こういうエネルギーが入ると、もう誰にも止められないくらいの勢いになりますから」

最近のボノは、これまで以上に「悪」について考えている。サイモン・マクバーニーによる最近の舞台版『巨匠とマルガリータ』に強い衝撃を受けたという(原作は、ミック・ジャガーが「Sympathy for the Devil:悪魔を憐れむ歌」を書くきっかけにもなった小説だ)。そこでは、悪魔の存在を誰も信じないモスクワで、サタンが力を振るう。「それが何なのか、好きな呼び方をすればいい。僕にも正体はわからない」とボノは言う。「でも、何かが空気の中に入り込んだ。君と僕が大切にしているものすべて──たぶん僕らは同じコンサートに行っていただろうし、ラッシュについて言い争ったかもしれない。まあ、本気で揉めるほどじゃないけど──君が大切にしているもののほとんどが、今は脅かされている」

5月、メキシコシティで「Street Of Dreams」のビデオを撮影するU2(Photo by Eloisa Sanchez)

「魂のカーニバルを徘徊する泥棒」である悪魔は、アルバムでもっとも激しい曲にも姿を現す。その曲は、シングルとして発表されたばかりだ。2枚のEPを出したあと、バンドはアルバム用に取っておいた曲を思いのほか使ってしまい、新たな曲が必要だと気づいた。最後に作られた曲のひとつが「Silencio」だった。リーが、アルバムが「少しおとなしすぎるかもしれない」と懸念していたところ、ジ・エッジが『Songs of Innocence』期から眠っていた、凶暴で火を噴くようなギターリフを掘り起こした。「まさに『ああいうエネルギーが必要だ』って話していたんだ」とジ・エッジは言う。「そしたら全員が『うわ、これをやろう』ってなって。ものすごい速さで形になった」

〈沈黙の中で/悪魔はロックンロールする(In the silence / the devil rock and rolls)〉とボノは歌う。だが歌詞では、2種類の沈黙が描き分けられている。「美しい沈黙もある。つまり、自分の内面に向き合っているときの沈黙だ。それ自体には何の問題もない」とジ・エッジは言う。「でも、もうひとつの沈黙がある。それは検閲や自己検閲のようなもので、非常に危険なことが起こり得る場所なんだ」

「ハンナ・アーレントが”悪の凡庸さ”について書いたことは知っているだろう」とボノは言う。「だから、”沈黙の中で”というのはまさにそのことなんだ。本当に、それを歌っている」

首の手術から復帰へ、ラリーが取り戻したドラム

Sphereへの出演を断念すると、マレンは首の手術を受ける決意を固めた。ところが医師たちは、手術を引き受けるどころか、まともに相談に応じようとさえしなかった。手術が成功する保証がないことなど、まだ小さな問題だった。わずかとはいえ、マレンが麻痺する現実的なリスクがあったからだ。「誰だってリスクは取りたくない」と彼は言う。「ほとんどの人から、『もう十分すごいことをやっただろ。引退すればいい。夕日の彼方へ船を出せばいいじゃないか。なんでそこまで自分を追い込むんだ?』と言われた」。マレンの家族も手術には反対だった。彼らにどう答えたのかと尋ねると、彼は肩をすくめる。「押し切ったよ」

英雄的と呼んでもいい。愚かと呼んでもいい。あるいは、U2がこれまで幾度となくしてきた”信じて飛び込む”決断の中でも、最も極端なものだったのかもしれない。それでもラリー・マレン・ジュニアは、そのリスクを負う覚悟をした。それほどU2が彼にとって大切なのだ。「不思議なことに、迷った瞬間は一度もなかった」と彼は言う。「僕は物事をきちんと考える人間なんだ。頭と心に分けるなら、僕は頭で考えるタイプだ。計算して、論理で判断する。でも、もう一度演奏したいという気持ちが、そんな理屈を全部上書きした……人生の大半をかけてやってきた、自分の愛することが、もうできないかもしれない。実際にその可能性を突きつけられて初めてわかるんだ……脳や身体って不思議なもので、まったく別のモードに入るんだよ」

最終的に、ダブリンの若い脳神経外科医が手術を引き受けてくれた。マレンは感謝したものの、彼女から「国宝だから」という理由でリスクを負うと言われたときには、さすがに面食らった。「『やばいな。いよいよ全部おかしくなってきた』と思ったよ」と彼は言う。「『仕事のない国宝になるかもしれないぞ』って」

手術は成功した。そして3、4カ月後、マレンはドラムセットの前に座った。「すると、自分の叩き方が変わっていることに気づいた」と彼は言う。「何もかも違っていた。身体が、以前と同じようには動かなかった」。マックス・ワインバーグのように、怪我をしたあと演奏フォームを作り直すためレッスンを受けたドラマーがいることは知っていた。だが、自分が同じ道を選ぶことは想像できなかった。マレンがこれまで唯一師事したドラム教師はダブリンのジャズ・ドラマーで、若き日の彼に名手スティーヴ・ガッドのような演奏を教えようとしたことがある。だが、うまくいかなかった。「たぶん、僕があの人を参らせちゃったんだと思う」とマレンは言う。「僕は人に教わるのが無理なんだ」

そこで彼は基本に立ち返った。あらゆる演奏を「最も効率的」なやり方へ戻したのだ。「何年もやっていると、だんだん余計なことをするようになる」と彼は言う。「首を怪我すれば、そこへ引き戻されるよ。これまで身につけてきたものも、ちょっとした小技も、細かいテクニックも、今はもう使えない。それに頼ることができないからね」

準備ができたと感じたとき、彼はバンドメイトにメッセージを送った(妙なことに、U2には4人だけのグループチャットがない。「まだ作ってないんだ」とマレンは言う。「絶対あった方がいいよな」)。彼らは友人であるジュリアン・レノンのスタジオに集まった。ここ南フランスにある、ボノとジ・エッジの別荘からそう遠くない場所だ。「ドラムセットの後ろに座った」とマレンは振り返る。「文字通り、車に乗り込んで1速に入れ、そのまま走り出したような感じだった……何年も演奏していない。あの創造的な感覚が、まだ自分の中にあるのか? もう死んでしまったのか? わからなかった」。彼はその曲に、自分の持てるものをすべてぶつけた。「それでスタジオを見ると、みんなが『ああ、これは予想してなかった』みたいな顔をしてる。僕も『僕だってそうだよ』って感じだった」

そこで行われた2度目のセッションから「Street Of Dreams」が生まれた。クレイトンによれば、アルバムに収録されたバージョンは「ほぼ、そのとき4人で一緒に演奏したまま」だという。「だから、とても前向きな第一歩だった」

「ラリーが部屋に戻ってきた瞬間、本当にすべてが腑に落ち始めた」とジ・エッジは言う。「僕が抱えていた疑問も、不安も、あらゆるものが一気にあるべき場所へ収まり始めた」

「ラリーが戻ってきた最初のセッションから、彼の演奏が変わったことは僕にもはっきりわかった」とボノは言う。「言葉にするなら、もっと風格があるというか、そんな感じかな。でも同時に、すごく遊び心があった。本当に遊び心に満ちていた」

『Days Of Ash』では、マレンが叩いたドラムのうち1、2曲分がドラムマシンに差し替えられた。「昔なら『クソッ』って思ってたかもしれない」とマレンは言う。「でも今回は、『これは本当にうまくいった。これが正解だった』と思えた……何もかも自分が演奏する必要はないんだ」

「昔のラリーなら、もっと何にでも拒否権を発動するタイプだった」とクレイトンは言う。「今のラリーは……ずっと柔らかくなった。ずっと穏やかだ。誰かが何かに本気で取り組んでいることを、以前よりずっと尊重するようになった」

「今は”前向きなノー”を練習してるところだよ」とマレンは冗談を言う。だが、以前の自分が担っていた役割には危うさもあったとわかっている。「へそ曲がりな人間は、悪役と見なされてしまうことがある。僕はそれを感じていた。いつも崖っぷちに立たされているような気分だった。人にはそれぞれ役割があるんだと思う……ボノみたいに、物事を前へ押し進めて『こうするんだ』と言う人間がいる。そういう力も必要なんだ。今はそれがわかる。そういう人がいなければ、反対する人も、仲裁する人も、美意識を担う人も必要ないんだから」

バンドはまだ発表されていないスタジアムツアーを計画しており、リハーサルを始めたばかりだ。マレンは手術後初めて、過去の曲を演奏している。クレイトンには、彼が以前とは違うアプローチで曲に向き合っているように聞こえるという。ただ、それ自体は今に始まったことではないのかもしれない。「Pride (In The Name Of Love)」を演奏する前、マレンはスタジオ版と過去のさまざまなライブ音源を聴き比べ、年によって演奏が少しずつ違っていたことに気づいた。そして最近のリハーサル録音を聴き返したとき、「古臭く聞こえなかったことに、うれしい驚きを感じた」という。

ツアーで毎晩どれくらい長く演奏できるのか、身体がどこまで持つのかは、本人にもまだわからない。「2時間半演奏できなくても、1時間できるなら、それで十分だ」と彼は言う。「これまで本当に恵まれてきたから、それなら受け入れられる」

「僕はただ、みんなが元気でいられるよう祈っている」とボノは言う。「そして何より、ラリーがそのコンディションを保てるようにね」

U2が見据える未来「次の曲が最高傑作かもしれない」

グループでランチをした翌朝、ジ・エッジはすでに別の新曲に取りかかっていた。「まあ、そういうことをする人間だから」と彼は肩をすくめる。「ギターを弾くときは、コードがどこへ連れていくのかを見ているんだ。『これは曲になるかもしれない』ってね。『スケールをちゃんと弾けるかな?』とか、そういうことにはあまり興味がない」。彼はレストランからほど近い、ボノと共有する壮観な夏の別荘のテラスで、パラソルの下に座っている。今日はグレーのTシャツに、前日と同じ黒いベースボールキャップとチェーン。足元にはテラコッタのタイルが敷かれ、背後では節くれだった松の木が海へ向かって弧を描いている。

今日作っている曲も、彼のアーカイブに眠る無数のアイデアのひとつだ。スマートフォンには1万1000件以上のボイスメモがあり、その多くは曲の断片だ。「本当に有望なものを追いかけておくのが、実はちょっと大変なんだ」と彼は言う。「でも面白いもので、たいていはちゃんと覚えている。残しておくべきものは、自然と覚えているんだよね」

Photo by Michael Schwartz

U2全体としても、完成にかなり近い音源を大量に抱えている。すでに発表した曲を除いても、『Carnaval De Luz』のアウトテイクにはメンバーが気に入っているものが残っており、そのひとつが、ボノがハノイで過ごした時間に着想を得た歌詞を持つ「Get Back to Now」だ。リーによれば、レコーディング中、ジ・エッジは2枚のホワイトボードを使っていた。1枚は目の前のプロジェクト用。もう1枚には「さらに5枚くらいのアルバム」が書き出されていて、「こっちは『まずこの1枚を終わらせましょうよ!』ってなるんです……アコースティックのレコードもできるし、エレクトロニックなレコードもできる……とにかく、いつも新しい曲が出てくるんです」。ジ・エッジのコンピューターには、「別のプロジェクトやサイドプロジェクトのフォルダが8個くらい」あるという。その中には『Songs of Ascent』と名づけられたものもある。内省的なアコースティック・アルバムで、ボノが2009年に私へ初めてその構想を語って以来、バンドが長年予告し続けてきた作品だ。「そこには、間違いなく復活させられる曲がいくつもある」とジ・エッジは言う。

今回のアルバム制作が始まったばかりの頃、ボノとジ・エッジはダブリン南部のエニスケリーにあるデモ・スタジオで、ブライアン・イーノと5日間を過ごした。エンジニアを務めたのはリーだ。その5日間で40もの音楽の断片が生まれ、そこから『Carnaval De Luz』の3曲と、『Easter Lily』の「COEXIST」が生まれた。「とにかくすごかったです」とリーは言う。「ブライアンはものすごく仕事が速いんです。あるいは、見方によってはほとんど何もしていないとも言えます。ただ現れて、気づけば何かが生まれているんです」

当初の構想は、1995年に1枚のアルバムを残したイーノとのサイドプロジェクトを復活させることだった。「Passengers名義のアルバムとして話していた」とジ・エッジは言う。「でも、最終的にどういう形になるかはわからなかった。ブライアンは、これらの断片がU2のアルバムに入ったらきっと喜ぶだろうと思っていたし、実際ものすごく喜んでくれた」。ジ・エッジとボノは、残ったイーノとの音源もいずれ何らかの形で発表するつもりだ(ボノは特に「The Clapping Song」と呼ばれている曲を気に入っている)。アコースティックでケルト色の強いサイドプロジェクトについても、同様に発表を考えている。

ただし、極秘で進めているスタジアムツアーについては、今度は曲がありすぎる。ジ・エッジが想定しているセットリストには、アルバムとEPから「11曲くらい」の新曲が入っている。ボノは、スタジアムで新曲を前面に出しすぎることには慎重で、ツアー先の各都市に別の小規模会場を設け、そこで新曲にスポットを当てるという、まだ漠然とした構想を匂わせる。「その街ごとに、もうひとつ別の”teatro(劇場)”でファンに会う方法だ。これについても、まだ話せないけどね」。一方、マレンはその”teatro”構想について、「理屈の上では素晴らしい。でも実際にやるとなると、少し難しいかもしれない」と考えている。ステージデザインについては、すでに独自のコンセプトがかなり固まりつつあり、ボノはオープニングにどの曲を演奏したいかまで決めている。

2010年、クレイトンは私に、65歳を過ぎてもロックを演奏している自分は想像しにくいと語っていた。今、彼は66歳だ。海岸沿いに数マイル離れた、自身の別荘──ゼロから建てた印象的な超モダン建築──で、今も年齢と自分の限界について考えていると話す。「僕はものすごく健康に恵まれてきたと思う」と彼は言う。「でも、最近ドリーが80歳で亡くなったことを考えるとね。そして、今回の一連の活動が終わるころには、僕はたぶん70歳になっている。健康でいられるこの時間は貴重なんだ。人生でいちばん価値のある時間なのかもしれない」

「ローリング・ストーンズは80代になっても活動している」と私が指摘すると、クレイトンはこう答える。「あの人たちは、音楽ビジネスという一瞬の現象の中でも、さらに例外的な存在だと思う。ジャガーやストーンズのやっていることには、ある種のピーター・パン的なところがある。僕らは同じものを体現しているとは思わない。結局のところ、僕らの方がもう少し年相応なんじゃないかな。もちろん、これは最高に好意的な意味で言ってるよ」。最近は、彼も多くの友人たちも「規模を小さくすること」を考えているという。「みんな忙しい人生を送り、いろんなものを抱えてきた。今は、それを手放していく時期のように感じるんだ」

では、クレイトンは80代になってもU2で演奏している自分を想像できるのか。「まあ、”絶対にない”とは言えない……そのころには、みんな演奏の仕方も変わっているかもしれない。50年以上にわたって培ってきたケミストリーと歴史があるから、それに合わせて僕らも変化し、適応していくんだと思う。80代になっても、これをやっている自分たちを想像できるかって? わからない。本当にわからないよ」

ジ・エッジには、そんな迷いはない。「やらない理由はないと思う」と彼は言う。「実年齢と、生物学的な年齢は分けて考えた方がいい」。クレイトンがためらっていると聞くと、彼は笑う。「アダムは昔から、自分のことを”若い頃から老成した人間”と思っていたんじゃないかな」と言う。「そして今の僕は、自分を”年を重ねても若い人間”だと思っている……このバンドの危ういところはそこなんだ。次の曲、次のアルバムが、僕らの最高傑作になるかもしれない。そして僕ら自身、その可能性を感じている」

マレンも今回は、反対役に回る気はない。「このレコードと、その制作を経験したあとなら、それは楽しみにできることだと思う」と彼は言う。「どんな状況でも、僕らはどこかで必ず集まって、”教会”を建てる。そんな未来をずっと見据えていられるのは、素晴らしいことだと思う……僕らはみんな成長したし、変わった。そして今は、以前には理解していなかったことを全員がわかっている。それは、オリジナルの4人であるU2には、本当の価値があるということだ。それは守るために闘う価値がある。そして、そのためなら妥協する価値もある」

会話が終わりに近づいたところで、マレンの方からひとつ質問があった。「で、ボノは僕について何かいいこと言ってた?」

言っていた。

「よし、それならいい」とマレンは言い、笑う。「ちょっと確認しただけさ」

From Rolling Stone US.

U2

『光の祝祭~カルナバル・デ・ルス』

2026年11月13日リリース

日本盤のみSHM-CD仕様/解説・歌詞・対訳付

通常盤CD:UICY-16549/3,300円(税込)

デラックス3CD:UICY-80819/21/5,720円(税込)/輸入国内盤仕様/完全生産限定盤

スペシャル・エディション3CD+ブルーレイ:UICY-80822/9,350円(税込)/日本独自企画盤

LP:UIJY-75447/7,150円(税込)/直輸入盤仕様/完全生産限定盤/帯付き

Amazon.co.jp限定盤CD:PROT-1420/3,300円(税込)

試聴・予約:https://umj.lnk.to/U2_cdl