この物語を単純に「SNSに騙されるな」で終わらせなかったのが『GTO』だった。綾乃が人を信用しなくなったのには、理由がある。

母親は、自分と同じ学校へ進学させようとした。だが綾乃は不合格。それ以降、どれだけ頑張っても母は褒めてくれなくなった。父親は優しいが、部下と不倫。そのことを知った母親はいら立ちを募らせ、その感情を綾乃へぶつける。

そして綾乃自身も、信頼した大人たちに傷つけられてきた。部活の顧問。塾の講師…相談に乗ってもらったはずが、最後にはセクハラまがいのことをされた。さらに、そのことを相談した友人には秘密をばらされた。綾乃にとって、「誰かを信じる」とは、傷つく可能性を増やすことだった。

だからこそ、「お願いだから放っといてよ」という言葉は重い。一見すると反抗的だが、実際には、「もう誰にも期待したくない」という防衛なのだろう。誰にも期待しなければ、裏切られない。誰も信用しなければ、傷つかない。SNSに悪口を書くのも、ある意味では、自分が傷つけられる前に他人を傷つけることで、自分を守っていたのかもしれない。

だが、その生き方には大きな代償がある。誰も信じなければ、当然、自分を救おうとしてくれる人間まで拒絶することになる。そこで鬼塚が現れる。

  • (C)カンテレ

    (C)カンテレ

鬼塚は「俺を信じろ」と言わない

面白いのは、鬼塚が綾乃に「俺を信じろ」と言わなかったことだ。むしろ鬼塚は、自分をクビにする方法まで綾乃に教える。「その動画を学校に提出すれば、俺は間違いなくクビになるから」。そして条件として、こう言う。

「その代わり、ひとつ約束しろ」「賢くなれ、綾乃。本当のバカっていうのは、自分の可能性を信じないヤツのことを言うんだよ」

この「賢くなれ」が、第9話の核心ではないだろうか。綾乃は勉強ができないから「バカ」なのではない。誰かの期待に従い、誰かに裏切られ、誰かを疑い、SNSの反応に感情を預ける…そうやって、いつの間にか自分自身で自分の人生を判断することをやめていた。だから鬼塚は、「俺を信じろ」とは言わない。「自分で考えろ」と言う。

ここが重要だ。人を疑うことと、自分の頭で考えることは同じではない。何も信じないことと、賢いことも同じではない。疑っているだけなら、判断そのものを放棄することもできる。

「どうせみんな嘘をつく」
「どうせ大人は信用できない」

そう決めてしまえば、それ以上考えなくて済む。だが本当の意味で賢くなるということは、誰かの意見に乗ることでも、誰も信じないことでもない。自分で見て。自分で考えて。それでも誰を信じるのかを、自分自身で決めることなのだろう。