今回もう一つ印象的だったのが、心愛と柏原が、実はよく似た位置に置かれていたことだ。心愛は、自分の価値を「容姿」で測っている。
「今の時代のJKやってるのつらすぎ」「24時間SNSに縛られる」「SNSで上手くやってるインフルエンサーとか見てると、あの人たちと同じステージに立つまでの道のりがあまりに遠すぎて、絶望しか襲ってこないんですけど」
ここで心愛が苦しんでいるのは、単なる容姿コンプレックスではない。SNSによって他人の「完成形」ばかりを見せられ、自分もそこへ到達しなければ価値がないと思い込んでいる。
一方、柏原もまた、自分をある一つの物差しで測っている。「子どものことも好きじゃない」「教師をやめたい」「鬼塚のように、生徒のために無茶はできない」。だから、自分は教師に向いていない。
だが、この2人が使っている物差しは、本当に正しいのだろうか。心愛は、ホテルへ向かう途中で倒れた女性を見た瞬間、ためらうことなく心臓マッサージを始めた。自身の祖母が倒れた時に何もできなかった悔しさから、救命措置を勉強していたからだ。その姿を見て、鬼塚は言う。「これが本当の美しさって言うんだよな」
これは単なる「外見より中身が大切」という道徳ではない。心愛自身が使っていた「美しさ」の物差しを、鬼塚が別の場所へずらした瞬間だった。そして柏原にも、同じことが起こる。柏原は自分を教師失格だと思っていた。しかし鬼塚は、彼女が欠点だと思っている「クールさ」を、「生徒のことをちゃんと観察してるからちょっとした変化に誰よりも早く気づく」という、教師としての長所に読み替えた。
人は、自分の欠点にはよく気づく。だが、自分が誰かを救っていることには、案外気づかない。第8話の心愛と柏原は、ともに「自分には価値がない」と感じていた。ただし問題は、価値がなかったことではない。自分を測る物差しが、一つしかなかったことなのだ。
鬼塚から柏原へ、柏原から心愛へ――受け渡された“価値を見つける視線”
この柏原の物語は、教師論だけでなく、令和の仕事観そのものにも触れている。「仕事は仕事」「自己犠牲まで求められたくない」。働き方改革やワーク・ライフ・バランスが重視される今、その感覚は決して異常ではない。だから柏原の「学校辞めてくれた方が仕事も減って楽だし」という言葉も、単なる教師失格では片づけられない。それでも、心愛を放っておけなかった。
ここが大事なのだと思う。柏原は、教師という仕事を愛しているから動いたのではない。仕事を愛していなくても、人は誰かを救える。第8話が描いたのは、そんな令和らしい、静かな職業倫理だったのではないだろうか。
退職願を出そうとしているのに、心愛の異変を見れば追いかける。学校に来ていないと知れば、街まで探しに行く。つまり、「教師を好きではない」という本人の自己評価と、「生徒を放っておけない」という実際の行動が食い違っている。ここに、職業観として面白い部分がある。
「好きなことを仕事にしよう」「やりがいを持とう」「情熱を持って働こう」。そうした言葉は、今もよく聞かれる。だが、実際の仕事はもっと複雑だ。仕事そのものは嫌いでも、その仕事の中で人より優れていることがある。辞めたいと思いながらも、誰かの役に立っていることもある。逆に、仕事を心から愛していても、必ずしも適性があるとは限らない。
「この仕事が好きか」と、「この仕事で誰かを救えるか」は、別の問題なのだ。鬼塚は、そこを見ていた。
そして第8話のラストで、柏原は心愛に言う。
「勇気ならもう十分持ってるでしょ」
「昨日人を助けた時、ためらわなかった自分を褒めてあげて」
「勇気があるってことは、強いってことなの。優しいってことなの。すごい可能性を秘めているってことなの」
ここが美しい。鬼塚は柏原に、「あんたにしか教えられないことが、たくさんある」と伝えた。つまり柏原自身が気づいていなかった価値を、鬼塚が見つけて返した。その柏原が今度は心愛に、「あなたには、あなた自身がまだ知らない価値がある」と返している。鬼塚から柏原へ。柏原から心愛へ。価値を見つける視線が、教師から教師へ、生徒へと受け渡されていく…。
そして心愛は、鬼塚と柏原のやり取りを見た末に、「将来の夢は教師」と語る。これは単なる「柏原が教師を続けることにした」という話ではない。教師という仕事の価値そのものが、一人の生徒に伝わった瞬間でもある。
教師とは、答えを教える人だけではない。生徒が自分を一つの物差しだけで測り、「自分には価値がない」と思い込んでいるときに、「いや、お前にはこんな価値もある」と、本人がまだ知らない自分を見つけて返してやる人なのかもしれない。
前回の第7話では、鬼塚が生徒だけでなく、教師や親まで変えていく姿が描かれた。第8話では、その変化がさらに別の誰かへ受け渡された。鬼塚が学校で増やしているのは、「鬼塚のような教師」ではない。鬼塚とはまったく違う柏原が、柏原にしかできない方法で生徒を救う。そのこと自体が、今回鬼塚が柏原に教えた「教師とは何か」への答えだったのではないだろうか。










