
タイヨンダイ・ブラクストン(Tyondai Braxton)の最新アルバム『Splayed Werks』は、彼の前作にあたるオーケストラで構築された『Telekinesis』の反動として生まれた、原点回帰的なエレクトロニック作品だ。自身の演奏やオーケストラのサンプリング音源を緻密な音響処理で、ミニマリズムの形式に落とし込み、タイトだが強烈な情報量がパッケージされたサウンドは、傑作の呼び声高い『HIVE1』(2015年)を見事に更新している。レーベルが〈Nonesuch〉から〈Erased Tapes〉になり、タイヨンダイにとって新たなスタートとなる本作について、現在の彼が20世紀現代音楽やエレクトロニック・ミュージックに抱いている想い、そして11月に控えている来日公演について聞いた。
ホームスタジオで育まれた創造力
―アルバムとしては『Telekinesis』(2022年)以来の作品となりますが、制作はいつ頃からどのような経緯でスタートしたのでしょうか。本作の大半は、自身のホーム・スタジオで制作・録音されたようですね。
タイヨンダイ:そうだね。基本的にはオーケストラ作品であれ、バンドのための作品であれ、どんなプロジェクトに取り組んでいる時でも、僕にとってのホームベースはつねにスタジオにあったと実感しているよ。エレクトロニック・ミュージックやエレクトロ・アコースティック・ミュージック、それにソロ作品こそが、僕の原点だからね。だから、スタジオではいつも何かしらの作品を制作していたんだ。実際、『Telekinesis』に取り組んでいた時期ですら、並行していくつか初期段階のエレクトロニック・ミュージック作品を作っていたよ。あの作品は、本当に巨大なプロジェクトだったから、自分の世界や生活を少しシンプルなものにして、自分の原点であるスタジオに立ち返ることができたのは、とても心地良いことだった。
今回のアルバムの中にはかなり古い曲も1、2曲あって、2018年か2019年頃に作ったものもあるんだ。でも、大半はこの4〜5年の間に作られたものだよ。「これらの曲はどうやって生まれたのか?」という質問に関してだけど……一見すると簡単に答えられそうにも思えるんだけど、実際にはとても自然に生まれてきたものなんだ。僕自身、ある意味ではシンプルな場所から作業したいと思っていた。少なくとも出発点だけはシンプルな場所に置いておきたかったんだ。もちろん、音やサウンドデザインについては、多くの時間をかけて作り込んだし、磨き上げていった。でも、楽曲の構造そのものについて言えば、実はかなりシンプルなんだ。だから、物事を無理にコントロールしようとせず、あるがままに任せるようにしたんだよね。時間が経つにつれて、さまざまな断片的な作品が少しずつ蓄積されていって、そうしたものがひとつの物語のようなものとして姿を現し始めたり、ある種のコレクションとして輪郭を持ち始めたりした。それで、数年前に自分が作っていたものを改めて聴き返しながら、そのコレクションを完成させることを意識して、新しい楽曲を本格的に書き始めたんだ。それで最終的に、昨年の9月に完成させることができた。
―サウンドはすべて自身が演奏/プログラミングしたもので構築されていますか? 本作の音色の何割程度がアコースティック楽器でしょうか。
タイヨンダイ:うん、そうだね。僕はかなりサンプリングも使うし、既存の音素材を加工したり操作したりすることも結構あるよ。でも、改めて振り返ってみると、この作品は完全なソロ・アルバムなんだよね。まず、大前提として「Piiano」を除けば、アルバムに収録されているものはすべて僕のスタジオで演奏・制作されたものなんだ。唯一の例外があの曲で、あれだけはピアノのあるリハーサル・スペースに行って録音した。といっても、大きなレコーディング・スタジオを使ったわけではなくて、iPhoneでピアノを録音して、それをそのまま演奏しただけなんだ。それがこの曲のポイントでもあったし、とにかくシンプルにやることを心掛けていた。それ以外の楽曲に関しては、すべて自分ひとりで作ったものだよ。サンプリング素材を除けば、アルバムには他のミュージシャンは一切参加していないね。
―その「Piiano」についてもう少し詳しく聞かせてください。これまであなたの音楽で、ピアノがメインにフィーチャーされたものは少なかった気がしますが、この曲はどこか儚いフレーズがエレクトロニクスに覆われた見事なサウンドになっています。この楽曲はどのようにして生まれましたか。
タイヨンダイ:あの曲は間違いなく比較的新しい楽曲のひとつだったし、制作していて本当に楽しかった作品でもあるよ。僕はピアノが大好きなんだ。こういう作品の中で、実際に自分で演奏する機会を持てたのはとても良い経験だった。もちろん、僕は決して優れたピアニストというわけではない。でも、こうした楽曲の中で、自分なりのピアノとの向き合い方や、自分なりの演奏方法を見つけていくことができたのは、とても良かったね。さらに言えば、それによって「この楽器を今後どうやって使っていきたいか」とか、「エレクトロニック・ミュージックのタペストリーのような世界の中で、ほかのアコースティック楽器をどう取り入れていきたいか」といった新しいアイデアも生まれたんだ。
―『Splayed Werks』の楽曲はどれも素晴らしい完成度ですが、最も完成させるのが難しかった曲はなんでしょうか。
タイヨンダイ:曲によって、難しさにはかなり差があったよ。実際、一番時間がかかった曲のひとつは「Oslo」だったと思う。たしか1カ月半くらいはかかったんじゃないかな。というのも、ずっと手を入れ続けていたから。作るのにものすごく時間がかかったというわけではなくて、一度作ってみては「ここが気に入らないな」と思って別のものに置き換えてみたり、また別のアイデアを試してみたりしていたんだ。あの曲については、納得できる形にするために、かなり長い時間エディットを繰り返していたんじゃないかな。
一方で、ほとんどの曲は比較的すぐにまとまったね。たしか「Nimble FX」も、曲自体はとても短いんだけど、完成までにはかなり時間がかかった。ただ、僕の場合、たとえ曲がすぐ完成したとしても……あるいは、アイデア自体がすぐまとまったとしても、その後もしばらくは色々と試すことが多くて。完成したように感じられても、「試しにこれもやってみよう」という感じで、いろんなアイデアを試すんだ。だから、結局どの曲にもある程度の時間はかかっていることになるね。とはいえ、普段はひとつの曲に1カ月もかけることはないんだけど。
―ぼくは最終曲「K Space」が一番好きで、オーケストラ・サウンドを作ってきたあなたならではのビジョンが、エレクトロニックなフォーマットに落とし込まれた傑作だと思います。これはどのように制作しましたか?
タイヨンダイ:あの曲についても、かなり多くのサンプリングを使っているよ。しかも、そのサンプル素材にはとても深いレベルで加工やモジュレーションを施していて、元の素材が何だったのか分からなくなるほど、大胆に変形させている。おそらく音を聴けば分かると思うんだけど、さまざまな楽器やオーケストラ作品をサンプリングして、そうしたものを引き延ばしたり、時間的に拡張したりしている。そうしたプロセスを通じて、自分のオーケストラ音楽への愛情を引き合いにしながら、オーケストラ作品のようにも感じられるものを作ろうとしていたんだ。その一方で、単なるオーケストラ作品ではなくて、まるで生きて呼吸している環境のようなものにもしたかった。つまり、ある種の空間や場所として、実際にその中に身体ごと入り込めるような感覚を持ったものにしたかったんだ。それと同時に、オーケストラ作品としても成立している。そんなものを目指していたよ。上手く伝わるといいんだけど。
「まだすべてが発見されたわけではない」
―前作『Telekinesis』はオーケストラによるマキシマムなサウンドを含んだ作品で、ミニマリズムで語られがちな、あなたの音楽性の懐の深さを示している見事なものでした。『Splayed Werks』はどちらかといえば、ミニマリスティックな方向性ですが、この2枚の関係性について教えていただけますか。
タイヨンダイ:確かに言えることは、『Splayed Werks』は、おそらく意図せずして『Telekinesis』に対するリアクションのような作品になったということなんだ。『Telekinesis』は本当に複雑で、大掛かりな作品だった。精神的な意味でも、ああした作品を作ることは僕にとって膨大なエネルギーを必要とする、魂を削られるような作業だったんだ。それに対して、『Splayed Werks』は、ある意味ではリフレッシュするための作品だったんじゃないかと思う。もちろん、このアルバムにもたくさんの思考や情熱を注ぎ込んだのは間違いないよ。ただ、制作のプロセスそのものは、ある意味でずっと楽しかったし、もっとシンプルに作業を進めることができたんだ。だから、その興奮や喜びの片鱗のようなものを、このアルバムのサウンドの中に感じてもらえるかもしれないね。一方で、『Telekinesis』はとても強烈な作品だった。あの作品を実現できたことを嬉しく思っているけれど、実現するのは容易なことではなかったし、本当に大変な作品だったんだ。
―『Telekinesis』は〈Nonesuch〉と〈New Amsterdam〉からの共同リリースでしたが、『Splayed Werks』は〈Erased Tapes〉からのリリースとなります。どちらも作品の世界観を考えると、レーベル・カラーにフィットしたものになっていると思います。〈Erased Tapes〉と契約するに至った経緯を教えてください。
タイヨンダイ:〈Erased Tapes〉を主宰しているロバート・ラスとは、もう長い付き合いなんだ。〈Erased Tapes〉も、確か20年くらい……あるいはもう少し長く活動しているレーベルだよね。これまで長い間、色々なフェスティバルで演奏したりする中で、ロバートや彼のレーベルのアーティストたちと顔を合わせる機会があったんだ。それに、僕は以前からロバートのことが好きで、彼のレーベル自体もとても好きだった。『Telekinesis』を〈Nonesuch〉からリリースした後、この新作については、もっとエレクトロニックでありながら、同時に実験的なアンサンブル作品のような文脈の中で機能する作品になるだろうと感じていたよ。〈Erased Tapes〉というレーベルは、まさにその両方を手掛けているレーベルなんだよね。だから、本当に自然な流れだった。
こういうことは、いつ人と考え方が一致するか分からないものだけど、ちょうどロバートのタイミングとも合っていたんだね。彼にアルバムを聴いてもらったところ、話がうまく進んで、タイミングもぴったりだったんだ。結果的に、とても良い組み合わせになったと感じているよ。僕は〈Erased Tapes〉に所属する多くのアーティストのファンでもあるんだ。特に、Dawn of Midiという素晴らしいバンドのメンバーであるカシム・ナクヴィ(Qasim Naqvi)とか、優れた作曲家であるトリスタン・ペリッチ(Tristan Perich)の作品が好きだね。だから、このアルバムを〈Erased Tapes〉という枠組みを通して世に送り出すのは、とても良いやり方だと感じたんだ。
―ところで、あなたはストラヴィンスキーやヴァレーズといった20世紀に偉大な仕事をした音楽家たちの系譜にあるということが、本作はもちろん、『Central Market』(2009年)や、『Telekinesis』のサウンドからも伝わってきます。今も彼らの音楽から刺激を受けるとすれば、それはどういった点でしょうか。
タイヨンダイ:僕はこれまでも、そしてこれからもずっとストラヴィンスキーやヴァレーズのような、初期の近代作曲家たちを愛し続けると思う。ストラヴィンスキーに関して言えば、特に彼の持っていた遊び心やロマンティシズムの感覚には、とても刺激を受けている。もちろん、彼の音楽性そのものも本当に驚異的だと思うよ。一方で、ヴァレーズは音楽家として非常に強く共感できる存在なんだ。確かに彼は大規模なオーケストラやアンサンブルのための作品を書いていた。でも、彼の時代は、今の僕たちが当たり前のように使っている電子楽器がまだ存在していなかった時代だよね。それにもかかわらず、彼はまるでエレクトロニック・ミュージックのように響く音楽を書いていたんだ。彼は、そういう視点から音楽を見ていたんだね。だから、彼の芸術観や音楽観、それに気質のようなものには、とても深く共感しているよ。
僕は昔からずっと、ヴァレーズの大ファンなんだ。ただ、同時に、僕は実験的なエレクトロニック・ミュージックやダンス・ミュージックにも強く惹かれていた。たとえば、デトロイトやシカゴで起きていたこと、初期のハウス・ミュージック、あるいはイギリスで起きていたこと…… エイフェックス・ツインやオウテカ、そのあたりのムーヴメントだね。そうした音楽が、どこで交差しているのかを探求してきた。それから、セオ・パリッシュもたくさん聴いていたね。まさに、彼の領域にある音楽をやっているという感じだったから。こうした異なる世界の間にある繋がりを見つけていくこと。実際、そうした繋がりは至るところに存在しているんだ。人は自分が惹かれるものに惹かれるのだし、時間が経つにつれて、自分なりのやり方で、そのインスピレーションを表現する方法を見つけていく。僕の場合もそういうことだったんじゃないかな。
―今あなたがおっしゃったように、あなたの音楽からはエイフェックス・ツインやオウテカのような〈Warp〉的なサウンドや、カールステン・ニコライをはじめとしたグリッチ・ミュージックの影響も感じられます。
タイヨンダイ:その通りだよ。僕は、そうしたアーティストやプロデューサーたちに、非常に親近感のようなものを覚えているんだ。エレクトロニック・ミュージックの本当に素晴らしいところのひとつは、クラシック音楽と比較した場合特にそう感じるんだけど、文化的な意味で「探求すること」と「実験すること」とが、とても重要な価値として存在している点だと思う。その文化においては、何かを固定的な定義として受け入れてしまわないことも大切なんだ。むしろ、「エレクトロ・ミュージックとは何か」「ダンス・ミュージックとは何か」という考えそのものを、絶えず変化させ、発展させ続けようとしている。世の中には、それを固定された定義だと考える人もいるかもしれない。でも、その枠を押し広げ、その先へ進んでいこうとする姿勢があるんだ。僕は、そうしたアーティストたちに多大な愛情と敬意を抱いているよ。だから、間違いなく彼らの音楽から影響を受けているし、純粋に彼らの音楽を楽しんでもいるんだ。
―先ほどの話に少し戻りますが、20世紀のレジェンドたちの影響を受けながらも、あなたの音楽は非常にモダンに響いています。その理由の一つとして、あなたがエレクトロニック・ミュージックからの影響を受けており、それがサウンドに色濃く反映されているからだと思います。本作も、ヴァレーズをはじめとした20世紀の音楽とエレクトロニック・ミュージックを、ミニマリズムを通じて結びつけているように感じますが、そのような理解についてはどう思いますか。
タイヨンダイ:もしかしたらそうかもしれない。面白いことに、僕はそういった音楽から影響を受けているし、その種の音楽は間違いなく自分の一部になっている。ただ、実際のところ、僕のルーツはむしろエレクトロニック・ミュージックの側にあると言えると思うんだ。20世紀の現代音楽への興味も、エレクトロニック・ミュージシャンとしての自分の出発点を通して向き合ってきたものであって、その逆ではないんだよね。上手く伝わるかな。それはさっき話したことにも繋がっていると思うんだけど、エレクトロニック・ミュージックの文化には、「まだすべてが発見されたわけではない」という感覚があるんだ。新しいテクノロジーや新しい制作の手法、それに新しい音楽の作り方を、みんなで楽しみながら探求している最中で、僕はその姿勢や理念にとても強く共感しているよ。つまり、新しい何かを探し続けること、新しいものを見つけようとすることだね。それに対して、西洋クラシック音楽や20世紀の現代音楽の作曲の世界というのは、少し固定化されていて、定義も明確で、ある意味では多少保守的なところもある。だから、僕の思考の出発点は、そちら側にはないんだよね。ただ、その音楽性を愛していることもまた事実だけど。
だから、もしかすると僕はエレクトロニック・ミュージシャンとして出発した人間だ、と自分自身のことを言っているけど、それも本当ではないのかもしれない。もしかしたら、その2つは最初から同時に存在していたのかもしれないね。正直なところ、自分でもよく分からないんだ。『Splayed Werks』を聴くと、僕自身はこのアルバムをまず、エレクトロニック・ミュージックの作品として聴いている。もちろん、その中にはオーケストラ作品やアンサンブル作品の作法や影響も含まれているよ。もしかしたら、僕はこの質問に答えるにはあまり適した人物ではないのかもしれないね。僕自身のバイアスがかかっているし、自分なりの考えがあるから。他の人はまた違った聴き方をするかもしれない。それはそれで素晴らしいことだと思っているけれどね。
―分かりました。では、『Splayed Werks』を作っている間によく聴いていた音楽はありますか?もし影響を受けた作品があれば教えてください。
タイヨンダイ:僕は普段、たくさん音楽を聴く時期と、たくさん音楽を作る時期を行ったり来たりしているんだよね。その上で、その2つがあまり重ならないようにしているんだ。もちろん、新しいアルバムが出れば聴きたいと思うし、制作中でも聴くことはあるよ。でも、その2つについてできるだけ距離を置こうと考えているんだ。つまり、他の誰かの作品に夢中になりすぎない状態で、自分の作業に集中したいんだよね。何かを作っている最中に、本当に素晴らしいと思える作品を聴いてしまうと、どうしても自分の作業の進め方や考え方に影響が出てしまうから。だから、僕は制作をしている間は、自分自身の空間の中に留まるようにしているんだ。
―なるほど。時に、若手の音楽家や作品から刺激を受けることはありますか?
タイヨンダイ:最近だとギデオン・ブロシー(Gideon Broshy)というアーティストが素晴らしいと思う。彼の『Nest』というアルバムは本当に良いね。彼はまだ若い世代のアーティストなんだけど、とても素晴らしい仕事をしていると思うよ。それから、今活動しているSMLというバンドも良いね。彼らは、ある意味で次世代のポスト・ロック、エレクトロ・アコースティック・バンドのような存在で、本当に素晴らしいと思っているんだ。最近は彼らをよく聴いているよ。でも、本当に追いかけるのは大変なんだよね。すごいと思うバンドがあまりにもたくさんいるから。ああ、それと実は、日本のGoatというバンドも大好きなんだ。彼らは最近ニューヨークでプレイしたんだけど、本当に凄まじくて、観客を完全に圧倒していたよ。本当に、素晴らしいグループがたくさんいるよね。もっと、今のシーンでどんなことが起きているのか、意識して追いかけなくちゃ、とは思っているんだ。
「ライブ」「教育」「アーカイブ」への信念
―これまでのあなたの作品同様、『Splayed Werks』は大音量で聴きたくなるような、フィジカルなサウンドでもあります。11月には来日公演が予定されていますが、これまでのあなたの作品を聴いていると、どれもライブ・パフォーマンスを意識して作られているようにも感じます。実際のところはいかがでしょうか。
タイヨンダイ:うん、まさにその通りだよ。僕自身、この音楽をライブで演奏することをとても楽しみにしているんだ。今回の公演では、『Splayed Werks』の楽曲をいくつか異なる形に発展させたものを演奏することになると思うし、それ以外のものも演奏する予定だよ。事実、僕はこの作品を作る際に、ライブで演奏されることを意識して制作したんだ。ただ、同時に、この音楽そのものの性質として、ライブにおける即興性や偶発性を許容する部分があるとも感じているよ。だから、僕にとってライブ・パフォーマンスとは、単に作品を演奏する場として重要なだけではないと思っている。作曲を行うための重要なツールでもあるんだ。ライブで演奏するという行為そのものや、そこで生まれる人と人との繋がりの感覚。そうした精神が、この音楽の中にも表現されていて、それを実際のライブ・パフォーマンスの場でも表現できればいいと思っているよ。
―あなたの活動にとって、ライブはどのような位置づけになると思いますか。
タイヨンダイ:たとえば、僕のライブ・セットは、あらかじめ何が起こるかがすべて分かるような作りにはなっていないんだ。単純にプレイバック音源を流して、その上で演奏するような形ではないね。もちろん、Ableton Liveは使っているけれど。でも、それと同時にたくさんのシンセサイザーやモジュラー・シンセも使っている。だから、ライブがどう展開していくかについては、つねに未知の要素があるということ。実際に演奏していても、『何かが崩れてしまいそうだ』という感覚がある。その場その場で判断をして、リアルタイムに次の行き先を決めて行かなければならない。そういう感覚は、観客にも伝わるんじゃないかな。ライブ・パフォーマンスにおいて、そういう要素は僕にとってとても大切なものなんだ。
それは、作曲という場面でも同じだよ。僕の作品を聴くと、おそらくリアルタイムで下された少し奇妙な判断の痕跡のようなものを感じ取ることができると思う。というのも、そうしたものの多くは実際にライブの中で生まれているからなんだ。もちろん、その後に編集したり、変更を加えたり、さまざまな作業をしているよ。でも、ライブで演奏することの精神のようなものは、僕の作品の中にも宿っていて欲しいと思っているんだ。
―ライブ仕様の『Splayed Werks』がどのようなものになるのか非常に楽しみですね。
タイヨンダイ:さっき、君がフィジカルという言葉を使っていたよね。実際、僕自身もこの作品はとてもフィジカルなものだと思っているんだ。もちろん、リズムがあるという意味でもそうだし、身体性を伴っているという意味でもある。でも同時に、音そのものがとても明確で鮮明なんだ。僕が目指しているのは、人々にその空間に足を運んでもらって、そうした音に包まれるような体験を作り出すことなんだよね。
―11月の来日公演がとても楽しみです。
タイヨンダイ:僕もまた日本に戻って来られる機会に恵まれて、とても楽しみにしているよ。本当にわくわくしているし、特別な体験になると思ってる。今からすごく楽しみだよ!
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―ところで、あなたは2022年からプリンストン大学で作曲を教えていますが、自分が教える側になったことによって自身の作曲や、音楽活動についての哲学に変化は生まれましたか。
タイヨンダイ:本当に素晴らしい体験になっているよ。実を言うと、僕はもともと教鞭を執るつもりはなかったんだ。人生設計の中で、学術界でキャリアを築くことになるとは考えてもいなかった。でも、結果的にこういう形になったことは、本当に恵まれたことだと思っているよ。それに、この経験は僕の人生に新たな次元をもたらしてくれたんだ。それはとてもポジティブなものだったと思う。特に、僕の場合、音楽は基本的にひとりで作っているからね。かなり孤独な作業なんだ。だからこそ、プリンストンにはたくさんのクリエイティブな人たちがいて、そういう人たちと日常的に関わることができる環境は、とても心地が良い。お互いの作品や音の世界を共有し、楽しむことができるし、すごく刺激的なことだよ。とても幸せな場所なんだ。働く場としては、本当に幸せな場所だよ。だから、僕はこの環境が自分にもたらしてくれたものを心から楽しんでいるし、それが自分の音楽に与えている影響を、とても前向きに受け止めているよ。
―あなたはプレス用資料に、アーティストの役割について「その瞬間の創造的なアイデアをアーカイブすること」とコメントしています。このような考えに至った背景と、このコメントについてもう少し聞かせてください。
タイヨンダイ:どんなアーティストでも、何かを作っている時には、できる限り最高のものにしたい、と思うものだよね。僕自身も今でもそうだよ。どんなプロジェクトでも、できる限り最高のものにしたいと思ってる。ただ、若い頃の僕は、もっと良く、もっと良く、もっと良くと追い求めるあまり、その考えの中で迷子になってしまうことがあってね。ある時気付いたんだ。結局のところ、どんな作品も、その瞬間の自分の関心や興味を映し出したものに過ぎないんだ、って。時間が経てば興味も変わるし、関心の対象も移ろっていく。だからこそ、その作品に与えられるべき時間を受け入れて、そこから次へ進んでいく必要があるんだ。
もちろん、究極のアイデアや完璧な作品を世に送り出したいという気持ちは、とてもロマンのあることだと思う。でも、それと同じくらい大切なことがある。もしかすると、それこそがアーティストにとって最も重要なことなのかもしれないんだけど、その瞬間に自分は何を考えていたのかを記録し、アーカイブすることなんだ。結局、僕たちにできることはそれだけなんじゃないかな。それが良い作品なのか、悪い作品なのか。アイデアを十分に実現できたのか、それともできなかったのか。そんなことに関係なく、それはその時点での自分自身だからね。僕は、それが創作というものを捉える健全な方法だと思っているんだ。もちろん、作品の質を考えなくていいとか、自分のやっていることに無関心でも構わないと言っているわけではないんだよ。でも、創作するということはどういうことなのか。アイデアを記録し、次へ進むということはどういうことなのか。そうしたことを、少し引いた視点から見るための考え方だね。僕は、その方が健全だと思っているし、「完璧なものを作ろう」というロマンを一度取り払ってしまえば、それは実際に創作の現場で起きていることに、より忠実な考え方なんじゃないかと思ってるんだ。少し夢のない考え方に聞こえるかもしれないけれど、創作の実態にはむしろ近いと思っているよ。
―分かりました。最後にひとつだけ。インタビューの前半であなたもおっしゃっていたように、今作には古い曲も幾つか収録されていますよね。もし、「その瞬間の創造的なアイデアをアーカイブすること」がアーティストの役割だとしたら、なぜ今その古い創造的なアイデアを他の新しい曲とともに『Splayed Werks』という1枚のアルバムにアーカイブしたのでしょうか?
タイヨンダイ:実は、僕自身はこのアルバムに入っている楽曲の流れ全体を、ひとつの大きなまとまりとして感じていたんだ。だから、あまり古い曲、新しい曲というふうには考えていなかったね。僕にとっては、どれも同じものなんだ。ある意味では、どれも過去の作品とも言えるしね。結局のところ、そうした楽曲は何年にもわたって積み重なってきた、ひとつのコレクションなんだ。不思議なことに、時間が経ったことによって、僕自身もその楽曲が何だったのかを、より客観的に理解できるようになった気がしているよ。それを理解できたからこそ、すでにそこにあったものをどう見せるべきか、その枠組みを形作るための新しいアイデアも生まれてきた。だから、ある意味では、そうした古い作品や、そこまで古くはない作品についても、時間が経過することが必要だったんだと思う。時間をかけて、そういう楽曲をひとつのまとまりとして聴いてみる。そのコレクションがそもそも何だったのかを、自分自身が理解する必要があったんだ。
タイヨンダイ・ブラクストン
『Splayed Werks』
発売中
詳細:https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=15824

TYONDAI BRAXTON JAPAN TOUR 2026
2026年11月24日(火)東京・草月ホール
OPEN 18:00 / START 19:00
前売:9,000円(税込)
※全席指定
※未就学児童入場不可
公演詳細:https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=15888
