
1986年のロンドン初演から40年。ミュージカル史に残る名作『オペラ座の怪人』が、作曲家アンドリュー・ロイド・ウェバー(Andrew Lloyd Webber)自身の手で新たな響きをまとって蘇る。40周年記念アルバム『The Phantom of the Opera (The Andrew Lloyd Webber 2026 Mix)』が、10月9日に配信リリースされる。サラ・ブライトマンとマイケル・クロフォードが歌うタイトル曲は、すでに先行配信中だ。
本作でロイド・ウェバーが向き合ったのは、1986年にアビー・ロード・スタジオで録音されたオリジナル・ロンドン・キャスト盤のアナログ・マスターテープ。ブライトマン、クロフォード、スティーヴ・バートンらの歌声とオーケストラの演奏を、リミックスとリマスターによって改めて届ける。さらに、自身のアーカイブから発掘した未発表音源「Andrews Phantom Demo」「Box Five」「Masquerade Original Demo」の3曲も収録。名曲が生まれるまでの過程にも触れられる一作となっている。
「40年前に制作したアルバムをミックスするという作業は、実に特別な体験でした。まるで、あのアーティストたちが再びスタジオに一緒にいてくれるかのような感覚でした」と、ロイド・ウェバーは今回のリリースに寄せて語っている。
そのメロディはどのように生まれ、歌い手の声によってどのように命を吹き込まれるのか。『オペラ座の怪人』の40周年に際し、その創作の原点をたどるべく、米ローリングストーン誌による2018年のロングインタビューを紹介する。取材が行われたのは、彼が70歳の誕生日を目前に控え、回顧録『Unmasked』と、約50年にわたる仕事を収めたボックスセット『Unmasked: The Platinum Collection』を発表した時期だ。『オペラ座の怪人』『エビータ』『ジーザス・クライスト・スーパースター』の舞台裏から、ファントム役を熱望したマイケル・ジャクソンとの交流まで。名曲の数々を生んだ作曲家が、成功も失敗も、ユーモアを交えながら率直に振り返る。
「私は、作曲すること自体が楽しくて作曲家をやっているんだ。それが私の仕事であり、生きる原動力でもある。頭の中にはいつもメロディがある」
※以下のインタビューは2018年に行われたもの。年齢、公演状況、今後の予定などは取材当時のものです。
人の心を動かすメロディのつくり方
─約50年分の音楽が収められたボックスセット『Unmasked: The Platinum Collection』を聴いて、どんなことを感じますか?
今になって気づいたのは、聴きながらクスッと笑ってもらおうとあれこれ考えた仕掛けが、伝わらなくなってしまうということだね。今は何でもSpotifyにあるから、誰も曲順どおりに聴かないだろう。たとえば、私の『レクイエム』の「Pie Jesu」の次に、『スクールオブロック』の「Where Did the Rock Go?」を置いてみたりした。世界にほんのわずかでも、順番に聴いてくれる人がいて、笑みを浮かべてくれたらいいなと思う。
それにしても、本当にいろいろな曲がある。私は音楽でドラマを描く人間だから、その物語にふさわしいと思うスタイルで書く。だから自分で聴いていても、「これを全部、同じ人間が書いたと思ってもらえるだろうか?」と感じるんだ。でも、どの曲も私がその物語に合うと感じた人物になりきって書いたものなんだよ。
─ご自身の中では、それぞれの音楽性に筋が通っているのですね?
もちろん。私には二つの面がある。真面目な面と、楽しむことが好きな面だ。『スクールオブロック』のような楽しい作品を書くのは、自分自身のために、愉快なことや、心から信じられることをやる必要があると感じたから。あの作品の場合は、音楽が子どもたちに力を与えるということを伝えたかった。でも、次に書くものは正反対になるだろうね。アイデアはいくつかあるけれど、どれもまだ固まっていないから話せない。私の性格には相反する面があって、その両方を表現したいんだ。
たとえば今は、もっと厳しい現実に踏み込むような題材に取り組もうとしている。というのも、『オペラ座の怪人』の続編『ラブ・ネバー・ダイ』を書いたとき、自分の中の濃密なロマンティシズムには、いったん区切りをつけて先へ進もうと決めたからだ。『オペラ座の怪人』は私の人生であまりにも大きな存在だったので、「これには区切りをつける必要がある。そして、そのための方法がある」と思ったんだよ。
─ロマンティックな音楽といえば、回顧録には作曲家リチャード・ロジャースと会った際、「批評家は感傷を恐れている」と言われた話が出てきます。その言葉をどう受け止めましたか?
人は、ときに心を動かされたと認めることを恐れる。それは一般的に言えることだと思う。私にも思い当たる節があって、子どもの頃、学校の友人たちは『回転木馬』を感傷的なくだらない作品だと思っていた。君の世代には、そんなことを言う人がいたなんて不思議かもしれないが、少なくともイギリスではそうだったんだ。ロジャース&ハマースタインの作品に寄せられた批評を読むと、その感傷性を毛嫌いしているものもある。私自身には、とてもロマンティックな一面があるから、「ここで人の心を動かしたい」と感じたときに、そこから逃げることはできない。もしかすると、人は人前で泣くのが怖いのかもしれないね。
─長年、あなたの作品への批評を読んでいると、批評家が感傷的だと難色を示す一方で、観客は明らかにそこを気に入っています。その隔たりはなぜ生まれるのでしょう?
まあ、私はすでに『オペラ座の怪人』の濃厚なロマンティシズムからは先に進んでいる。北アイルランドを題材にした『ザ・ビューティフル・ゲーム』というミュージカルも、とても誇りに思っているんだ。あれは、ロマンティックな作品とはおよそかけ離れているからね。
今のブロードウェイで胸が躍るのは、新しい大作ミュージカル4本を見てみると、どれも、かつて私が手がけた作品のような題材だということだ。「まるで駄目だ、どうにもならない題材だから、やめておけ」と言われたようなものばかりなんだよ。まだ観ていない『アナと雪の女王』は、ここでは除いておくけれど。アメリカ建国の父の一人を描いたヒップホップ・ミュージカルがある。ミュージカルの企画を考えていたら、普通は候補にも残らない題材だろう。それから、SNSを通じた疎外感を描く『ディア・エヴァン・ハンセン』。これも簡単に扱えるテーマではない。『カム フロム アウェイ』は、カナダのガンダーに飛行機が着陸する話だ。ミュージカル向きのアイデアかといえば、理屈の上では違うだろうね。さらに輪をかけているのが、その中で私がいちばん好きな『バンズ・ヴィジット 迷子の警察音楽隊』だ。制服姿のエジプトの楽団がテルアビブにやって来るという話なんだから。今のブロードウェイが素晴らしいのは、企画を紙に書いただけでは、あまりうまくいきそうに見えない大作ミュージカルが4本もあることだ。そこが刺激的なんだよ。今のブロードウェイは絶好調だと思う。本当に面白い題材を扱った大きな作品が4本もある。大いに祝うべきことじゃないかな。
※編集部注:『バンズ・ヴィジット』は、イスラエルを訪れたエジプトの警察音楽隊が、目的地と名前の似た町ベイト・ハティクヴァに迷い込む物語。
─現在のブロードウェイ全体については、どう見ていますか?
ブロードウェイで作品を上演するまでにかかる費用は、恐ろしいほどだ。今はどの作品も、そこにたどり着くまでに、ワークショップで徹底的に練り上げなければならない。私も『スクールオブロック』でワークショップをやったけれど、舞台装置のない小さな場所で、作品の素材をあれこれ自由に試すことができた。チケットを25ドルにして観客を入れ、よかったところと、そうでもなかったところを教えてもらった。とても新鮮な進め方だったよ。どの作品でもできるかはわからないけれど、私にとっては本当にいい方法だった。
ただ、今のブロードウェイは、かつてないほど健全な状態にあるのかもしれない。実際、とてもいい新作が生まれているから、もう少しいろいろな実験ができるといいのだけれど。イギリス人としては、私はいつも少しよそ者のような気持ちがあった。でも、ブロードウェイが本来あるべき姿を取り戻し、アメリカのミュージカルが盛り上がっているのを見ると、本当にうれしい。今では私も、そのほんの小さな一部分ではあると思っているからね(笑)。だから、入国審査も通してもらえるといいのだけれど。
ロックとミュージカルをつないだ名作たち
─『ジーザス・クライスト・スーパースター』や『エビータ』は、舞台化される前にアルバムとして発表されました。「The Phantom of the Opera」も、マイケル・クロフォードをファントム役に起用する前に、別の歌手によるシングルが出ています。初期には、別の形で作品を試していたわけですね。
『スーパースター』がアルバムになったのは、成り行きだったんだ。舞台で上演できる可能性なんて、誰もまったく考えていなかった。そこにレコード会社のMCAが、アルバムを作りたいと言ってくれた。面白いもので、『スーパースター』はラジオドラマのようなつもりで書いたんだよ。当時の私たちが使える表現形式で、いちばん近いものがそれだったから。あの作品は、額縁型の舞台を持つ劇場に無理に押し込めた舞台作品にするよりも、ロックコンサートに近い形のほうが、いちばん力を発揮すると思う。『エビータ』については、そのとおり。最初にアルバムを作り、劇場に持っていく際に手を加えた。『オペラ座の怪人』でシングルを出したのは、当時はそれができたからだ。今、開幕前のミュージカルの曲をラジオでかけてもらうのは、とても難しいだろうね。何もかも、ずいぶん変わってしまった。
昨日、ティム・ライスと会ったんだ。NBCから、数週間後に放送する『ジーザス・クライスト・スーパースター』に、もう1曲追加できないかと言われていてね。ティムと私は、「断るつもりはないし、考えてはみよう。でも、本当に必要な曲なら、とっくに書いていたはずだよな」と話し始めたところなんだ。
─回顧録では、ティムとの仕事上の関係が崩れたことについて、ご自身のほうが神経質だったとして、多くの責任を引き受けています。今のお二人の関係はいかがですか?
私たちが一緒に書いた3本の作品は、今も上演されている。それが事実だ。それ以上、何を言えばいいだろう。あの初期の日々は、本当に、本当に特別だったよ。
─意見の違いについて、腹を割って話し合ったことはありましたか?
いや、一度もない。いろいろな意味で、彼も私に対して似たようなことを感じていると思う。私は彼より5歳若い。自分が17歳で、相手が22歳だと、その差はとてつもなく大きく思えるものだ。もちろん、今となっては、どちらもただの年寄りだけれどね(笑)。
※編集部注:公表されている生年月日は、ティム・ライスが1944年11月10日、ロイド・ウェバーが1948年3月22日で、実際の年齢差は約3年4カ月となる。
─『ジーザス・クライスト・スーパースター』の制作当時、ディープ・パープルがヘヴィメタルの方向へ進んでいると知り、「賢明な判断だ」と思ったと回顧録に書いています。同バンドのイアン・ギランは、1970年のオリジナル・コンセプト・アルバムでイエス役を歌いました。なぜそう思ったのでしょう?
イアンの歌声に、目を開かれる思いがしたからだよ。あの声を聴いて、「なんてことだ。自分が考えていたよりも、はるかに先へ進める。当時持っていたヘヴィメタル的なアイデアを、もっとずっと強烈なものにできる」と思った。それで神殿の場面では、コードの響きをすべて、もっと分厚くしたんだ。そうしたアイデアの多くは、スタジオで試しながら形にしていった。
─歌のメロディを書くときは、頭の中で「ドゥドゥドゥ」や「ラララ」と歌っているのですか?
私が主に考えているのは、「その歌い手に、実際に何ができるか」ということだ。私の作品の大半のように、全編を音楽でつないでいくものを書くときには、歌い手の魅力を最大限に引き出す曲にするにはどうすればいいか、考えなければならない。ここで強い印象を与えたい、というところで、その人の声がいちばん映える音はどこなのかを考えるんだ。『スーパースター』のときに、かなり早い段階でそのことがわかった。
─『エビータ』では、ブロードウェイで一般的な週8回公演をこなすには、主役の負担が大きすぎると後にわかったそうですね。『オペラ座の怪人』のクリスティーヌ役も大変そうです。この経験から、どんなことを学びましたか?
オペラ歌手は、おそらく週に2、3回しか歌わない。それなのに私たちは、出演者に週8回の公演を求めていたんだと気づいた。声を守ろうとするなら、発声を支える筋肉への負担を忘れてはいけない。筋肉が正常に働いていない野球選手に、試合に出ろとは言わないだろう。歌い手の健康に配慮しなければならないんだ。役柄によっては、本人のためだけでなく、公演の質を保つためにも、「Dont Cry for Me Argentina」と「Rainbow High」をあまり間を置かずに歌い、そのうえ昼公演と夜公演もこなしてほしい、とは言えない。そこで、『エビータ』の主演を務めたエレイン・ペイジには「6回と2回」という方法を提案した。主役の歌手が6公演に出演し、残りの2公演は別の歌手が務めるというものだ。クリスティーヌ役でも同じ方法を採用し、今もそうしている。
─『エビータ』の話を続けると、パティ・ルポーンがグラミー賞授賞式で、あなたをたたえて「Dont Cry for Me Argentina」を歌いました。彼女はこれを、二人の「関係改善」と表現しています。アメリカ版『サンセット大通り』に出演できると思っていた彼女が、その役を得られなかったことをきっかけに、お二人の間には長くわだかまりがありました。関係を修復できたことを、どう感じましたか?
これであの件が終わりになればと思う。少し行き違いがあったんだと思うし、彼女にも、自分の側にそういう部分があったと認めてもらえればと思っている。でも、今は今だ。それに、彼女のパフォーマンスは素晴らしかった。それ以外に何が言えるだろう。あの夜、あれほどの歌を聴かせ、あれほど見事に私へのトリビュートを務められた人は、ほかにいなかったと思う。本当に素晴らしい体験で、彼女には心から感謝している。
成功の陰にあった挫折と迷い
─うまくいかなかった作品についても聞かせてください。回顧録には、1975年の『ジーヴス(Jeeves)』への反応が振るわず、ひどく落胆したと書かれています。そうした経験を、どう乗り越えるのでしょう?
作品が開幕したら、翌日には次の企画について話し合うべきだ、と言ったのは、演劇プロデューサーのジョージ・アボットだった。私もその素晴らしい教えに従えたと言えればいいのだけれど、『ジーヴス』のときは、ひどく落ち込んでしまった。ただ、その時点ですでに『エビータ』には取りかかっていたんだ。自分のメモを見ると、『ジーヴス』の仕事をしているのと同じ頃に、「Dont Cry for Me Argentina」を書き始めていた。『ジーヴス』がうまくいっていないことも、当時からわかっていたよ。
作品がうまくいかないのは、本当につらい。とりわけ、自分の手ではどうにもできない状況にあるときはね。ミュージカルの中で、私が担っているのは、ほんの一部分にすぎない。制作が動き出せば、演出家や制作陣などに委ねることになる。ハロルド・プリンスには早くから、舞台のデザインは作品に合っていなければならず、そうでなければ作品を完全に台無しにすることもある、と教えられた。1976年にニューヨークで初めて『シカゴ』を観たとき、私はうまくいっていないと感じた。それが何年も後、照明のスタッフも舞台づくりも変わると、見事な作品になっていた。ミュージカルには実に多くの要素があり、うまくいくか、いかないかは紙一重だ。だから、うまくいかなかったときの打撃は大きいんだよ。
─回顧録では、若い頃に抑うつ状態に陥り、自ら命を絶つことも考えたと明かしています。今、振り返ってみると──。
(質問を遮って)あれは、本当に若い頃のことだよ。まだ10代で、もう学校にはいたくなかった。学校を辞めて、「どうして先に進めないんだ。自分のやりたいことをやりたい」と思っていた。今振り返ると、「どうしてあそこまで思い詰めてしまったんだろう」と感じる。当時は、恋愛やそういうことが原因だったわけではない。少し自分を見失っていた10代の少年で、その状態からは抜け出した。でも、回顧録を書くのなら、実際に起きたことを取り繕わずに書いたほうがいいと思ったんだ。
大人になっても、気持ちが沈むことはある。物事がうまくいっていないとか、自分ならもっといい曲を書けるはずなのに、と感じる瞬間もあるだろう。自分に疑いを抱いたことのない人なんて、いないと思うよ。
─その話に関連して、ご自身の最高傑作と、いちばん出来がよくなかった作品は何だと思いますか?
自分では答えにくいね。最高の仕事の一つだと思っていても、必ずしも広く知られている作品の中にあるとは限らない。ロマンティックな作風という点では、間違いなく『ラブ・ネバー・ダイ』で最もいい曲が書けたと思う。ただ、自分の作品を振り返るとなると、ミュージカルという作品全体と、それがどう舞台化されるかによって、大きく変わってしまう。それに、どの日の公演を観るか、どのプロダクションを観るかにも、ずいぶん左右されるんだ。答えをはぐらかそうとしているわけではなくて、本当に難しい。ただ、もう一度書き直してみたい曲はいくつかある。でも、それはできないんだよ。その時代だからこそ生まれたものだからね。

エルヴィス、マイケル・ジャクソンとの意外な縁
─ミュージカル以外では、ティム・ライスと書いた「Its Easy For You」が、エルヴィス・プレスリーの生前最後のアルバム『Moody Blue』(1977年)を締めくくる曲になりました。この曲について、本人から直接何か聞いたことはありますか?
いや、ない。でも、ジャングル・ルームでの録音を収めた別ミックスには、彼が「これは僕にとって、とても大切な曲なんだ」と言う、いい場面があるんだ(笑)。「Its Easy For You」は、私が書いた曲の中でも、舞台作品とは関係なく録音された、ごくわずかな曲の一つだ。いや、おそらく、あれが唯一の曲だと思う。
※編集部注:舞台作品とは別に書かれた楽曲には、ほかにも1992年のバルセロナ五輪のために作曲した「Amigos Para Siempre」などがある。
─エルヴィスには2曲書いたものの、録音されたのは1曲だけだったそうですね。もう1曲がどんな曲だったか、覚えていますか?
たぶん忘れてしまったね(笑)。私も気になるよ。あの曲が日の目を見ることはなかったから。
─『キャッツ』について書いた章には、バーブラ・ストライサンドと初めて会ったとき、誤って自分にシャンパンを浴びてしまったという愉快な話が出てきます。彼女にどう思われたかについても書かれていますが、あなたが彼女に抱いた第一印象はいかがでしたか?
彼女はきっと、「まったく、この大ばか者はいったい誰なの?」と思っただろうね(笑)。噴き出したシャンパンを全身に浴びて、ずぶ濡れだったんだから。ひどいものだったよ。でも、こちらが彼女をどう思ったかといえば、何しろ相手は大スターだ。私たちは、ひどく緊張していた。
でも、一緒に仕事をしてみると素晴らしかった。彼女は完璧主義者なんだ。私としては今でも、彼女が録音した「Memory」には、そこまで「完璧」ではないけれど、もっとドラマティックだったかもしれないテイクがあったと思っている。ただ同時に、彼女は自分の聴き手をよくわかっている。私が好んだ、もう少し感情の起伏が大きいバージョンだったら、ラジオではかからなかったかもしれない。そして実際、アメリカで大ヒットしたのは、彼女の「Memory」だったわけだからね。
─「Memory」でいちばん好きなのは、ボックスセットに収録されたニコール・シャージンガーの録音だと書いていますね。
とてもいいんだ。残念ながら、アメリカでは彼女がどれほど素晴らしい歌い手なのか、ほとんど知られていないと思う。もっと歌ってくれたらいいのにね。あれは本当に並外れた歌唱だと思うよ。
─大スターの話でもう一つ。回顧録には『スターライト・エクスプレス』の舞台裏で撮影されたマイケル・ジャクソンの写真が載っていますが、詳しいエピソードは書かれていません。彼とは会ったのですか?
会ったよ。本は『オペラ座の怪人』の開幕で終わっているけれど、マイケルはその映画版に参加したいと強く望んでいたんだ。当時、作品はブロードウェイに進出したばかりで、彼は少なくとも3、4回は観に来ていたはずだ。私も何度か彼と一緒に過ごした。でも、その頃の私たちには、まだ映画を作る準備ができていなかった。
─ファントムを演じたかったのでしょうか?
そう、そのとおり。実現していたら、素晴らしいものになっただろうね。でも、私たちにはまだ準備ができていなかった。『オペラ座の怪人』は、ブロードウェイでの上演が始まって、まだ1年目だったんだから。
その後にも少し付き合いがあった。彼も私と同じように、A・R・ラフマーン(A. R. Rahman)の音楽が好きでね。ロングアイランドの、あまり知られていないような場所で、ラフマーンが出演するボリウッド音楽のコンサートを一緒に聴くことになったんだ。マイケルはあの音楽を心から愛していた。そんなふうに少し親交はあったけれど、その後は二度と会うことはなかった。
─回顧録は『オペラ座の怪人』の開幕で終わり、その後の人生の約30年には踏み込んでいません。そこは、ご自身に逃げ道を残したのでしょうか?
あそこは区切りをつけるのに、とてもいいところだったし、それ以上書き続けたいとは思わなかったんだ。私は、あまり気分のよくないことまで書きたい人間ではない。物事がうまくいかない時期というのはある。私にも、しばらくそういう時期があった。その中で、何人かの人間の、それまで知らなかった一面を目にすることもある。そういうことは書きたくなかった。これから先も、書こうとは思わないことがたくさんあるんだ。この3年ほどで私の状況がいくらか好転したものだから、ある人が、とても気の利いたことを言ってくれた。「第3巻を書いて、第2巻は金庫にしまっておいたらどう?」ってね(笑)。私は、自分が知っていることを何でも書きたい人間ではない。まあ、いろいろ知ってはいるんだけれど。
─詳しく触れていないことの一つに、2009年のがん闘病があります。人生の中でも大きな出来事だったのではないですか?
人生で最もつらい出来事の一つだった。ただ、それ以上につらかったのは、背中の不調による痛みなんだ。でも、今はそれも乗り越えた。まったく仕事ができない時期が2年あった。やろうとはしたのだけれど、モルヒネを使いながらミュージカルを書くのは、いい考えではないね。
─今はまた、毎日作曲をしているのですか?
ああ、今は次から次へとメロディが浮かんでくる。ただ、どれも、私が本当にやりたいと思っている作品には合わないんだ。だから、孤児院で引き取り手を待っている子どもたちのようなものだね。でも、おそらく今まででいちばんたくさん曲を書いている。周りのみんなをうんざりさせているよ。
─最後に、あと数日で70歳になります。ここまでのお話のように人生を振り返ってみて、その節目をどう受け止めていますか?
いやあ、本当のところ、その誕生日が来なければいいのにと思っているよ。私にとって何を意味するかといえば、誕生パーティーで話すスピーチを考えなければならないということだ。まったく面倒な話だよ。何かいいジョークはないかな。いや、くだらないジョークでもいいんだけれど。一つ、自分ではなかなか面白いと思うものを考えたんだ。「アンドリュー・ロイド・ウェバーは、自分自身の力で今の自分をつくり上げた。ほかの誰も、こんなものをわざわざつくろうとは思わなかったからだ」(笑)。これは結構気に入っている。
<リリース情報>

アンドリュー・ロイド・ウェバー
『The Phantom of the Opera (The Andrew Lloyd Webber 2026 Mix)』
10月9日(金)配信リリース
レーベル:The Other Songs Records Ltd.(LW Entertainment)
『オペラ座の怪人』初演40周年を記念し、1986年録音のオリジナル・ロンドン・キャスト盤を、ロイド・ウェバー自身がリミックス&リマスター。サラ・ブライトマン、マイケル・クロフォードらによる名演に加え、「Andrews Phantom Demo」「Box Five」「Masquerade Original Demo」の未発表音源3曲を収録する。
試聴・予約:https://andrewlloydwebber.orcd.co/phantomoftheopera
※3LP/2CDは11月6日(金)海外発売予定。