
80年代に一世を風靡したヘアカット100(Haircut 100)が再結成。44年ぶりとなる復活アルバム『Boxing The Compass』が話題を集めている。誰もが驚いたカムバックの舞台裏とは? ちなみに中心人物のニック・ヘイワードは、10月12日(祝)に大阪、10月14日(水)・15日(木)に東京のビルボードライブで来日公演を開催する。
ヘアカット100は、80年代で最も80年代らしいバンドかもしれない。プレッピーなネクタイやニットベストを身にまとった、ティーンエイジャーを卒業したばかりの生意気なイギリス人の少年たち。彼らはウィットとチャームで輝きを放ち、「Love Plus One」(邦題:渚のラブ・プラス・ワン)のようなMTVクラシックを引っ提げてニュー・ウェイヴのヒットパレードを駆け上がった。さらにそこには、ロンドン郊外出身の、黄色い歓声を浴びるにふさわしいティーン・アイドル、シンガーのニック・ヘイワードがいた。1982年、ローリング・ストーン誌は彼らを「ポップス界で最もフレッシュな新しいサウンド」と評した。
彼らはまた、歴史上最も見事にばかばかしいバンド名の一つも持っていた。ヘイワードは今、笑いながらこう語る。「『まあ、もし僕たちが何も成し遂げられなかったとしても、少なくとも良い名前だけは残したな』と思ったのを覚えているよ」
それから何より、ヘイワードのおかげで、彼らはスマートな仕掛けを持っていた。楽曲の力があったからこそ、ヘアカット100は決して忘れ去られることがなかったのだ。「Love Plus One」は極上のロマンスであり、派手なボンゴ、マリンバ、ジャジーなホーン、チャチャ調のギターに乗せて、少年のような憧れをひたすら歌い上げている。バンドは「Favourite Shirts (Boy Meets Girl)」(邦題:好き好きシャーツ)や「Fantastic Day」といったダンスフロアのヒット曲を収録した、1982年の完璧なデビューアルバム『Pelican West』を作り上げるのに十分な期間、活動を共にした。彼らにはスタイルとユーモア、そしてポップ、ファンク、サルサ、ボサノヴァを軽快にミックスした、独自の伝染性のあるサウンドがあった──「Lemon Firebrigade」なんて曲名をつける大胆さをもつ、そんなバンドだった。
そして、何が起きたのか? 80年代だったんだ、覚えているだろう? すべてが狂ってしまった。ヘアカット100は空中分解した。しかし、だからこそ彼らはポップス史における偉大な時代を象徴しているのだ──彼らは、自分たちの短くも眩かった唯一無二の遺産を汚すようなことは一切しなかった。少年たちは皆、それぞれの人生へと歩みを進めた。同年代のほとんどのバンドとは異なり、80年代のノスタルジーに便乗したツアーで小銭を稼ぐようなことは決してしなかった。彼らは最終的に、年月を経て散発的に単発の再結成ギグを数回行なっている。最も印象深いのはVH1の番組『Bands Reunited』の2004年のエピソードだった。しかし、世間に関する限り、ヘアカット100の物語は完全に幕を閉じていた。
ニック・ヘイワードは65歳になった今も少年のような笑みを絶やさず、当時と同じ溢れんばかりの魅力を持っている。彼にはワクワクすべきことがたくさんある。なぜなら、ヘアカット100が40年以上を経て、ついに再びグルーヴしているからだ。80年代ポップス通にとって、それは夢の実現である──これは私たち全員が、決して目にする機会はないだろうと思っていたカムバックなのだ。さらに素晴らしいことに、そこには『Boxing the Compass』という優れたニューアルバムがある。
「再結成する機会はこれまでに何度もあったんだ」とヘイワードは言う。「再結成することはできても、一緒に居続けることができなかった。でも、今回はそうじゃない。もう解散なんてしないよ。解散するには僕たちは歳を取りすぎているからね」
あらゆる予想を裏切り、ヘアカット100は2024年に42年ぶりとなるツアーへと乗り出した。その年の夏、グラストンベリー・フェスティバルで彼らは大成功を収めた。そして、彼らは本気だった。1982年以来となった初のアメリカ公演は、体験するだけで喜びを感じられるものであり──彼らのサウンドは完全に活力を取り戻していた。昨年9月のニューヨークでのヘッドライニング公演は、大はしゃぎする若いヒップスターの集団も巻き込んだ、世代を超えたダンスの祭典となった(私の前にいたファンは、Sombrに瓜二つだった。)彼らはこの夏にアメリカへ戻り、スクイーズやアダム・アントと共にツアーを行う。
「僕たちはいつもエネルギッシュなことで知られていたよね?」とベーシストのレス・ネメスは言う。「精神的にも、肉体的にも、自分たちはまだそれを持っている。だから、もし人々が静かに座って顎をさすりながら『よし、この連中は何をするつもりだ?』なんて見物しに来るなら──僕たちはただ立ち上がらせるだけさ」
ヘアカット100は、44年の歳月を経て『Pelican West』の真の続編となった『Boxing the Compass』で、再び活力を得たサウンドを聴かせてくれる(ファンは、ヘイワード抜きで突貫で作られ、名ばかりのヘアカット100だった1984年の失敗作『Paint and Paint』を実質的にはカウントしていない)。キャリアで初めて、彼らには本物のマネジメントがついている──ウェット・レッグやマニック・ストリート・プリーチャーズも支えるチームだ。
彼らはまた、BBCで生演奏を行い、ハリー・スタイルズの「As It Was」の見事なカバーを披露した──それは彼らに完璧にフィットし、イギリスのグラム・ポップ・ボーイズの異なる二つの世代を巧みにつないだ。「初期の僕たちはもっとパワー・ポップだったんだ」とギタリストのグラハム・ジョーンズは言う。「だからハリー・スタイルズのカバーは完璧だった。『おや、僕たちのルーツに戻ったぞ』という感じさ」
『Pelican West』と1年限りの栄光
『Pelican West』は今日でも見事に色褪せず、だからこそクラシックであり続けている。ヘイワードはデヴィッド・ボウイやマーク・ボランの系譜を引くソングライターであり、彼特有の風変わりな言葉遊びのセンスを持っていた(彼らの最大のヒット曲には、「ここからどこへ向かう? 恐ろしいことに、湖の方だろうか?」というフックがあった)。彼らはロンドンのうらぶれた場所であるウエスト・ペリカン・ワーフからアルバムのタイトルを取ったが、南国の夏のロマンスの雰囲気を連想させるように言葉をひっくり返した。クラバット(アスコットタイ)やウールのジャンパーを着込み、イギリス人が「サウウェスター」と呼ぶつばの広い防水帽をかぶった彼らは、ポップ界のスターダムに殴り込みをかける1920年代の狂った男子学生のように見えた。
彼らはロンドン郊外のベッケンハムに住む、3人のティーンエイジャーの友人同士としてスタートした。ヘイワード、ネメス、ジョーンズは、パンクロックの爆発に衝撃を受け、1977年に一緒に演奏し始めた。「僕たちは大親友だったんだ」とネメスは言う。「ロンドンのひとつの部屋で一緒に暮らしていた──まるでモンキーズや、メンバーが一緒に暮らしてバンドをやっているあの手のテレビ番組みたいだったよ。ニックと僕はアートスタジオで働いていて、グラハムは写真の現像所で働いていたから、バンドの宣伝やプロモーションはもともとすごく得意だったんだ」
ロンドンは刺激に満ちた場所だった。特に夜はそうだった。「僕たちは、80年代のありとあらゆるクラブへ繰り出していた」とジョーンズは振り返る。「同世代の連中に囲まれて、ロンドンのクラブシーンの中にいた。ロンドンにはスパンダー・バレエがいた。バーミンガムにはデュラン・デュラン。シェフィールドには、ABCやヘヴン17がいた。そのなかでロンドンには、ニュー・ロマンティクスや初期のファンク・バンドを巻き込んだ一大シーンが存在していて、80年代には本物の熱気が渦巻いていた。あのアンダーグラウンドなクラブシーンの一員になれたのは幸運だったよ」
そして、あのバンド名だ。「自分たちが思いついた中で、最もマヌケな名前さ」とネメスは誇らしげに言う。彼らはMoving England、Blatant Beavers、Napkin Man、Quick Cerealsといった他の名前もあれこれ考えていた。そのなかで、ヘアカット100という名前は刺激的なポップの意思表示だった。ヘイワードが「タコに新しい触手が生えてくるようなものだった」と言うように、その名前はある危機の最中に生まれた──まずドラマーが辞め、それから3人全員がそれぞれの彼女に振られたのだ。「だから僕たちはシングルになり、ドラマーもいない状態だった」とヘイワードは言う。「そして、それが本当に僕たちの尻に火をつけたんだ。名前の変更は、恋愛関係が終わった時の感覚に少し似ている──髪を切るだろう? 特に女性はね。彼女たちに会うと素晴らしい髪型になっていて、『僕と一緒にいる時にどうしてその髪型にしなかったんだ?』と思う。でも彼女は『次のステップに進むために、あなたを人生から切り捨てるためにこの髪型にしたのよ』と言うんだ」
彼らには、それが正しい名前だと分かった。なぜなら、友人たちがそれを嫌がったからだ。「ヘアカット100という名前を仲間内で試してみたんだ。するとほとんどの奴らが『は? なんで?』と言った。あまりにも多くの『なんで』が返ってきたから、そのまま定着したのさ。みんなには不可解に思えたらしい。でも、だからこそ良い名前だったんだ──そこには、ちょっとした『なんで?』という引っかかりがあったからね」
その音楽を聴けば分かる通り、彼らは折衷的な趣味を持っていた──ネメスは実験的なアート・ロックに、ジョーンズはパンクに、ヘイワードはフィーリーズやジョナサン・リッチマン&ザ・モダン・ラヴァーズのようなインディーのジャングル・ポップにのめり込んでいた。「僕たちは兄や姉のレコードコレクションを聴いて育ったんだ」とヘイワードは振り返る。「だから最初はグラムだった。それからパンクが隕石のように衝突してきたから、それが僕たちの大きな影響になった。でもその一方で、いつだってスティーヴィー・ワンダーがいたし、いつだってローリング・ストーンズがいた。パンクが勃興していたけど、アース・ウィンド&ファイアーを聴いては、『うわあ、あんな風に鳴らすなんて不可能だ』と思うんだ。宇宙から来た魔法使いが作ったみたいに聴こえる。一体どうやったら『September』みたいな曲を書き始められるっていうんだ?」
それから彼らは、アメリカ人ドラマーのブレア・カニンガムと出会ったことで自分たちのグルーヴを見出した。彼はメンフィスのセッション・プレイヤーで、10人兄弟全員がドラマーという音楽一家の出身だった。彼の兄であるカールは、スタックス・ソウルの伝説的バンド、バーケイズのメンバーだった(他のバンドメンバーと同様、彼はオーティス・レディングと同じ飛行機事故で悲劇的な死を遂げている)。「メンフィスでは、なんてこった、1週間に2枚もアルバムを作っていたんだ」とカニンガムは言う。「やって来るすべてのバンドがどんなスタイルを求めているか分からないから、とにかくものすごく、ものすごく早く学ぶんだ」。彼はファンクを持ち込み、ヘアカット100を激変させた。「彼の本物感がすべてを変えたんだ」とヘイワードは言う。「ブレアがドラムの前に座った途端、突然僕たちはパンクを超え、ニュー・ウェイヴを超え、すべてを超えていったのさ」
彼らがアンダーグラウンドのクラブシーンに留まっていた期間は短かった。「Favourite Shirts (Boy Meets Girl)」が1981年10月にリリースされると、彼らは一夜にして大センセーションを巻き起こした。「Love Plus One」はさらに大きなヒットとなった。突然、彼らは国際的なポップスターになり、夢を生き、女の子たちに通りを追いかけ回されるといった、まさにその通りの生活を送ることになった。ヘイワードは言う。「ビートルズもこんな気分だったに違いないと想像し続けていたよ」
彼らはMTVの黎明期にアメリカをも征服した。「僕たちがアメリカのカルチャーに対して抱いていた愛のインスピレーションのせいで、アメリカの人々に響いたんだと思う」とヘイワードは言う。「70年代を通じて、僕は鏡に映る自分を見てこう言っていたのを覚えている。『よし、自分がここにいて、それから『黒いジャガー』がいる。『黒いジャガー』は本当にクールで、女性たちを魅了しているのに、僕はそうじゃない。僕は男の子か何かに見える。どうすればいいんだ?』だから、アメリカにはすべてがあるように見えたんだ」
絶頂期は1982年5月、ロサンゼルスのロキシーでの大規模なショウで訪れた。それはヘイワードの21歳の誕生日だった。「僕たちのレーベルのトップであるクライヴ・デイヴィスがギグに来てくれたんだ」と彼は振り返る。「彼はキャリアを生み出すことも、潰すこともできる人物だった。彼は、イギリス版クライブ・デイヴィスのような存在だったサイモン・ポッツと一緒にそこにいたんだ」
それは戴冠式の瞬間だった。「クライブは僕に、櫛の形をしたとても大きなバースデーケーキをプレゼントしてくれた。それはまるで『よし、今日で21歳だ。君もこれで一人前の男だ』と言われているようだった。圧倒されたけれど、あれは完璧な瞬間だった。サーフィンをしていて波に乗っている時、まさにその真ん中にいる時のように、すべてが静まり返る波の中の至福の瞬間だ。完璧な波の中にいるんだ。そんな風に感じられた。『この瞬間をそのまま留めておけないだろうか?』波が覆い被さってくる。僕は波の中を進んでいて、波の終わりに光が見える。でも僕はただその瞬間にいて、おそらく二度とこれほど完璧な瞬間は訪れないだろう。波は崩れる。この瞬間を飲み込んでしまうだろう」
残念なことに、波は本当に崩れてしまった。「僕たちはミュージシャンとして優秀だったけど、ビジネスマンとしては酷かった」とヘイワードは言う。「マネージャーが辞めてしまい、その後にバス一杯分の人間が押し寄せてきた──僕たちは彼らが誰なのかさえ知らなかったんだ」。マネージャーを失ったバンドは、プレッシャーの中で対立する派閥へと分裂していった。音楽業界がメンタルヘルスと真剣に取り組み始める何十年も前の時代に、ヘイワードは精神的に崩壊して入院した。ヘアカット100はバラバラになった。「たった1年だったんだ」と彼は思いを巡らせる。「1年だけ咲いて、そのあと枯れてしまう花のようだった。カゲロウなら1日だ。僕たちは1年カゲロウのようなものだったのさ」
ビートルズに刺激された再結成
ヘイワードは、ラウンジ調のヒット・バラード「Whistle Down the Wind」を収録した1984年の『North of a Miracle』(邦題:風のミラクル)でソロキャリアをスタートさせた。彼の1993年のイギリスでのヒット曲「Kite」はアメリカのモダンロック・ラジオでもクロスオーバーし、1998年の珠玉の作『The Apple Bed』ではよりフォーク寄りになったあと、素晴らしい2017年のソングサイクル『Woodland Echoes』でソロとしての絶頂期を迎えた。「僕はジョナサン・リッチマンのように、ひとつのことを本当にうまくこなし、それを貫き通すアーティストに憧れているんだ」と彼は言う。「僕もそうしたいけれど、できないんだ。気が散ってしまうからね」
バンドの面々もそれぞれ活動を続けていた。「過去数年間、僕たちはみんな様々な異なる方向へ進んでいたんだ」とジョーンズは言う。「その中間の時期、レスはリック・アストリーと一緒に色々なことをやったり、ちょっとした俳優の仕事をしたりしていて、僕はボーイ・ワンダーというバンドをやっていた」ネメスはこう振り返る。「僕にとってリック・アストリーのツアーは、バンドにいることの退屈な部分をすべて排除した、良い部分のすべてだった。基本的には何時にステージに上がるかだけを指示されて、あとはリックがポップスターとしての仕事をすべてこなさなければならなかったからね」しかし彼らは皆、ヘアカット100として持っていた魔法を渇望していた。「セッションの仕事もしたけれど、他の人のためにアイデアを出すのはあまり得意じゃなかった。ヘアカットの中にいる時が、一番、本当に居心地が良かったんだ」
しかし、どれほど熱狂的なファンであっても、彼らが「Dynamite」や「Vanishing Point」「The Unloving Plum」といった名曲を引っ提げ、『Boxing the Compass』ほど自信に満ちたアルバムで戻ってくるとは予測できなかっただろう。「願わくば、これからももっとたくさん出したいね」とヘイワードは言う。彼らはすでに次のアルバムに向けて興奮している。ネメスが言うには、「一番良い意味で、ヘアカットも少し大人になる時期が来たんだと思う。だから次のアルバムを本当に楽しみにしているし、願わくばもう少し実験的なものにしたいね」。これをしてこなかったすべての年月を嘆く代わりに、彼らはついに収まるべきところに収まったことをただ喜んでいる。「すべてが自然と僕たちのもとにやってきたんだ」とネメスは認める。「まるで宇宙が『すべてをオーガナイズしよう。君たちはただ姿を現し続ければいい』と言ってくれたかのようだった」
「僕たちは一緒にいると、本当に好奇心旺盛で熱狂的になれるんだ」とヘイワードは言う。「[2021年に]ビートルズのドキュメンタリー『Get Back』を観ていた時、僕たちはみんな無職だった。突然、『僕たちはこれからどうするんだ?』という感じだった。だから僕たちはみんな『Get Back』を観ながら、『うわあ』と思っていたんだ。彼らが楽曲をまるで食べ物のように扱ったり、シャチがアザラシと遊ぶように扱ったりして──とにかく一緒に演奏している姿を見てね。バンドをやっている人間なら誰でもきっと、『僕たちもあれをやる! これこそが自分たちのやりたいことだ!』と言っていたはずさ。観ていてすごく感情を揺さぶられたよ。無意識のうちに、『もし僕たちのバンドにまたチャンスがあるなら、次は絶対に一緒に居続けたい』と思ったんだ」
それでも、彼らが何十年も前に作った音楽が色褪せることは決してなかった──時間が経つにつれて、より多くの人々が「Love Plus One」を発見し続けている。「それが音楽の素晴らしさだよね?」とヘイワードは言う。「永遠に咲く花だろう? 僕がビートルズを発見した時、彼らは解散して10年が経っていたけど、音楽にはそれほどの力があるんだ。僕たちが花開いていたのは1年だけだったかもしれないけれど、花はまだそこに咲いている。その種を蒔き、その花を咲かせたのだから、人々はそれを永遠に楽しむことができるんだ」
From Rolling Stone US.

ニック・ヘイワード来日公演
2026年10月12日(祝)ビルボードライブ大阪
開場15:00 開演16:00 / 開場18:00 開演19:00
チケット:
BOXシート ¥28,900- (ペア販売)
S指定席 ¥13,900-
R指定席 ¥12,800-
カジュアル ¥12,300-(1ドリンク付)
2026年10月14日(水)・15日(木)ビルボードライブ東京
開場16:30 開演17:30 / 開場19:30 開演20:30
チケット:
DXシートDUO ¥31,200-(ペア販売)
DUOシート ¥30,100-(ペア販売)
DXシート カウンター ¥15,600-
S指定席 ¥14,500-
R指定席 ¥13,400-
カジュアルシート ¥12,900-(1ドリンク付)