【鎌倉 観光スポットレポ】高野台供養塔 - 大船の激戦に散った武士た…

大高坂(※おおこうざか:大船高校へ向かう坂道の通称)を上る途中に、石碑が建っています。その碑面には高野台供養塔(たかのだいくようとう)と刻まれていますが、こちらはどんな経緯で建立され、誰を供養しているのでしょうか。

今回は多聞院(大船)の住職様からお話をうかがったり、郷土資料を紐解いたりして、取材調査の結果をまとめました。こちらの記事が、鎌倉にまつわる先人たちを偲ぶよすがとなれば幸いです。

高野台供養塔の歴史

こちらの高野台供養塔は1989年(平成元年)8月に建立された、比較的新しい供養塔です。北鎌倉台土地区画整理組合が施主となり、大船の多聞院の住職が法要を営んでいます。

当時の住宅開発に際して、あちこちで五輪塔が発見され、これらを合祀するために建立されたそうです。これらの五輪塔は境内の片隅にまとめられ、供養塔と一緒に祀られてきました。

同組合がまとめた『大船の歴史』によると、五輪塔は1333年(元弘3年)に鎌倉幕府が新田義貞(にった よしさだ)らに攻め滅ぼされた際、討死した鎌倉武士たちを供養するためのものと伝えられています。

また、地元の名士として知られる甘糟(あまがす)氏の祖先は戦国武将として活躍し、1526年(大永6年)に房総半島から里見(さとみ)氏の軍勢が鎌倉や大船へ攻め込んできた際、戸部川(柏尾川)のほとりで撃退したことがありました。

この大永鎌倉合戦(鶴岡八幡宮の戦い)で討死した甘糟氏の勇士らや、ほか大船地域における各合戦で討死した武士たちも、こちらの供養塔に祀られていると言います。

供養塔の裏面には「各戦場の諸武士之霊」と刻まれ、時代や敵味方を問わず、武士たちの御霊が供養されてきました。現代も丁重に管理されており、定期的に新しい卒塔婆(そとうば)が立てられていたり、道行く人々が手を合わせたりしています。

高野台供養塔ギャラリー

墨跡も冴え冴えとした卒塔婆。上の梵字にはどういう意味があるのでしょうか。お盆の時期には施餓鬼供養(せがきくよう)を執り行っているようです。

境内の奥にまとめて祀られている五輪塔群。永年の風雪に角がとれて、丸々としたシルエットが可愛いです。よく見ると、それぞれの五輪塔にお花が供えてあり、今も人々から愛されていることが伝わりました。

高野台供養塔から望む大船の市街地。向こうの山に大船観音が拝めます。天候次第では富士山を拝めるチャンスもあるので、探してみましょう。

大高坂をふもとから見上げたところ。カーブの先に高野台供養塔が鎮座しています。

この坂を、よく高校生や地元民が自転車を必死にこいで上っていく姿を見かけますが、内心で応援せずにはいられません。反対に自転車で一気に下ってくるときの表情は、みんな清々しく輝いています。

まとめ

今回は、鎌倉市高野に鎮座する高野台供養塔を紹介しました。かつてこの大船の地で、武士たちによる死闘が繰り広げられた歴史を現代に伝えています。

六国見山森林公園や高野の切通を訪れる際、お時間が許すならしばし立ち止まり、彼らの遺勲を偲ぶひとときを持ってみてはいかがでしょうか。

高野台供養塔

参拝時間

24時間(墓所であり、また暗いため、夜間の参拝はおすすめしません)

バリアフリー

車椅子でも参拝可能(ただし一番奥へ行くには幅の狭い石段があります)

アクセス

所在地:神奈川県鎌倉市高野1-1

大船駅からバス「大船高校」バス停から徒歩5分(450m)

駐車場:なし(公共交通機関のご利用がおすすめです)

連絡先

管理元寺院:大船多聞院

電話:0467-46-3591

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