
映画スタジオA24とチャーリーxcx(Charli xcx)がタッグを組んだ最新作『the moment/ザ・モーメント』が、6月5日より渋谷ホワイトシネクイントほか全国の劇場にて順次公開されている。2024年に世界的現象となった『Brat』の熱狂を背景に、ポップスターとしての成功、その裏側にある混乱と違和感をモキュメンタリー形式で描き出す本作。チャーリー自身は、なぜいま”Brat”を終わらせたいと語ったのか。
※本記事には映画『the moment/ザ・モーメント』の内容に関する記述が一部含まれます。
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2026年1月、サンダンス映画祭でプレミア上映された映画『the moment』は、A24が手がけるチャーリー主演のモキュメンタリーだ。2024年にアルバム『Brat』をきっかけに巻き起こった熱狂、いわゆる”Brat Summer”を題材にしながら、本作は単なるコンサート映画でも、成功の記録でもない。むしろ、ポップスターとして頂点に立った瞬間の高揚と、その直後に訪れる疲弊、混乱、自己嫌悪、そして次へ進みたいという欲望を、風刺と不穏さを交えて描いている。
上映後のQ&Aで、チャーリーは劇中の自分と現実の自分の違いについて尋ねられると、こう語った。「私は自分のキャラクターとかなり近いところがあるから、引き出せるものはたくさんありました。映画の中のチャーリーほど厄介な人間ではないと思いたいけど、実際のマネージャーたちが会場にいるので、彼らは本当の答えを知っているはず」。冗談めかしながらも、彼女は劇中で描かれる”スパイラル”のような瞬間を、自分自身も経験してきたと認めている。
16歳から音楽業界に身を置いてきたチャーリーは、キャリアの中で何度も極端な浮き沈みを味わってきた。「世界の頂点にいるように感じた時期もあれば、自分が最低の存在に思えた時期もあった」。その経験は、『the moment』に登場するさまざまな人物像に反映されている。本人がどれほど嫌な奴になっても支えてくれる人、アーティストの近くにいること自体を目的に寄ってくる人、「あなたのことは全部わかっている」と言いながら実際には何も理解していない人。チャーリーは、そうした人々に現実の人生で何度も出会ってきたという。
『the moment』が扱うのは、”Brat Summer”の後に何が起きたのか、という問いだ。2024年6月にリリースされたアルバム『Brat』は、チャーリーの代名詞であるクラブ的な熱狂、ハイパーポップの鋭さ、夜遊びの昂揚と翌朝の不安を同時に抱えた作品として大きな反響を呼んだ。やがて、アルバムカバーの蛍光グリーンは街やSNSを埋め尽くし、”brat”という言葉は、ひとつの態度、ムード、あるいはクールであることの証明のように広がっていった。
ここで重要なのが、bratとBratの違いだ。小文字のbratは、チャーリーが『Brat』で提示した感覚そのものに近い。完璧さを拒み、少し乱暴で、少しだらしなく、それでも自分の欲望に忠実でいること。クラブの汗、二日酔いの不安、友情、嫉妬、自己破壊的な衝動まで含めて、そのまま突き進む態度だ。だが、それが大文字のBratになった瞬間、言葉はアルバム名であり、キャンペーン名であり、収益化可能なブランドへと変わる。映画の中でチャーリーがその表記に違和感を示す場面は、まさにこの変質を象徴している。自分の内側から生まれたはずの”brat”が、いつの間にか外側から管理される”Brat”になっていく。そのズレこそが、『the moment』の不穏さの核にある。
”brat”は、ただの流行語ではなかった。きれいに整えられたポップスター像を拒み、少し不完全で、少し攻撃的で、それでも自分のままでいること。その感覚が時代の空気と結びつき、チャーリーは一気に世界的なポップスターの中心へと押し上げられた。人も、商品も、政治的なメッセージでさえも、”brat”と呼ばれることで時代の側にいるように見えた。だが、その言葉が大きくなるほど、本人の手からは離れていく。
成功の記録ではなく、成功から逃れるための映画
実際、『Brat』が世界的現象となった2024年の秋には、ツアーの熱気を記録するコンサート映画の企画も複数持ち込まれていたという。しかし、チャーリーと監督のエイダン・ザミリが選んだのは、成功をそのまま記録する道ではなかった。ザミリによれば、チャーリーはツアーを記録するという発想を、「『Brat』でやろうとしてきたことの反対」だと捉えていた。成功したものを期待通りに商品化するのではなく、むしろコンサート映画という形式そのものをずらし、壊すこと。それこそが、彼女たちにとっての挑戦だった。
ザミリは本作について、チャーリーが”Brat Summer”をめぐって「まったく違う選択」をしていたらどうなっていたかを描くものだと説明している。その言葉どおり、『the moment』は現実と虚構の境界を揺らしながら、ポップスターの成功がどのように外部から再設計され、増幅され、時に本人を置き去りにしていくのかを映し出す。
映画は、”Brat Summer”の記憶を呼び起こすようなモンタージュから始まり、やがて2024年9月へと移る。レーベルの重役は、いま起きている現象が金を生み続けているのだから、夏だけで終わらせる必要はないと考える。”Brat Forever”へ。チャーリー自身がどこか気まずさを覚えているにもかかわらず、周囲のビジネスはさらに大きなものへと膨らんでいく。
本作には、ロザンナ・アークエット、アレクサンダー・スカルスガルド、レイチェル・セノット、カイリー・ジェンナーらが登場する。なかでもスカルスガルドが演じる映画監督ヨハネス・ゴドウィンは、業界の自己愛と、創造性の名を借りた支配欲を戯画化した存在として強烈だ。彼はチャーリーのツアーを撮影するために招かれるが、やがてリハーサルや演出に介入しはじめる。最初は小さな提案だったものが、ステージの構造、色、象徴、演出全体へと広がっていく。気づけばチャーリーは、自分のツアーであり、自分の人生であるはずのものを、外側から眺めるしかない存在になっていく。
サンダンスのQ&Aでは、本作を「This Is Spinal Brat」と呼ぶ声もあった。もちろんこれは、ロブ・ライナーによるロック・モキュメンタリーの古典『スパイナル・タップ』を踏まえた表現だ。『the moment』にも、音楽業界の滑稽さを笑い飛ばすモキュメンタリーの系譜がある。ただし、ここで笑われているのはバンドの虚勢だけではない。現代のポップスターを取り巻くレーベル、マネージメント、クリエイティブ・チーム、セレブ文化、ファンとの距離、そしてSNS時代のブランド化された自己そのものだ。
一方で、『the moment』は単なる業界風刺にとどまらない。むしろ核心にあるのは、長い時間をかけて夢見てきたポップスターとしての成功が、ある瞬間から悪夢へと変わっていく感覚だ。自分が作った言葉、自分が広めた色、自分の音楽から生まれたムードが、いつの間にか自分の手を離れ、巨大な商品や記号として増殖していく。その中心にいる本人だけが、もうそこから逃げ出したいと感じている。
チャーリーは上映後、現在の心境をこう語っている。「今の私は、映画の中の私と同じように、本当にBratを終わらせたいと思っている」。それは『Brat』を愛していないという意味ではない。むしろ、彼女にとって『Brat』はあまりにも大きな成功であり、だからこそ、そこに留まり続けることは創作の停滞にもなり得る。「アーティストとしては、自分に挑戦したい。いま浸かっているクリエイティブなスープを完全に変えて、しばらく別のボウルで生きてみたい」。チャーリーらしい奇妙な比喩だが、言っていることは明快だ。彼女は、次の場所へ行きたがっている。
その”次”のひとつが、演技であり映画なのだろう。『the moment』のほかにも、チャーリーはグレッグ・アラキ、キャシー・ヤンらの監督作に関わっている。彼女は、そうした監督たちとの仕事を「まったく別の人生を生きられる」機会として捉えている。ポップスターとしての自分をさらに拡張するというより、一度そこから離れ、別の身体、別の物語、別の視点を借りてみること。『the moment』は、その転換点を示す作品でもある。
重要なのは、本作が”Brat現象の勝利宣言”ではなく、”Brat現象との別れ”として作られていることだ。チャーリーは”brat”を時代の合言葉に変えた。しかし、その言葉があまりに大きくなり、Bratというブランドとして固定されていく今、彼女はそれに飲み込まれる前に、自ら終止符を打とうとしている。
『the moment』というタイトルが示すのは、まさにその瞬間だ。熱狂のただ中で、それが永遠には続かないと知ること。成功のピークで、次の自分へ向かうために過去の自分を突き放すこと。
『the moment』は、チャーリーxcxというアーティストがいま何者であるかを説明する映画ではない。むしろ、彼女が何者であり続けることを拒んでいるのかを描く映画だ。世界中が”Brat”を求めるなかで、本人だけはもう別の場所を見ている。そのズレこそが、この作品の痛みであり、笑いであり、最もチャーリーxcxらしい反抗なのかもしれない。
from Rolling Stone US
https://www.rollingstone.com/tv-movies/tv-movie-features/the-moment-charli-xcx-sundance-1235499910/