劇中では、茉莉のセリフで『銀河鉄道の夜』の引用があった。「けれどもほんとうのさいわいは一体なんだろう」とジョバンニが問い、「僕わからない」とカムパネルラがぼんやり答える。ここで茉莉は、2人が銀河に空いた穴を見て「あんな闇の中だって怖くない。きっとみんなの本当の幸いを探しに行く。どこまでも僕たち一緒に進んでいこう」と話した内容を語る。
実はこの言葉、原作の正確な引用ではない。しかしそれこそが重要だ。この「少し違う」賢治の言葉が、第3話のラストであかりが語るセリフと、驚くほど精確に符合するのだ。「あんな闇の中だって怖くない」は「過去がなくなっても、何がなくなっても、何にも心配いらない」へ。「みんなの本当の幸いを探しに行く」は「自分のまま、明るい方向へ向かえる世界」へ。「どこまでも僕たち一緒に進んでいこう」は「茉莉ちゃんと未来が残るから大丈夫」へと、それぞれ呼応している。
賢治の言葉が茉莉を通してあかりに渡り、あかりの中で血肉となって返ってくる――脚本家・蛭田直美はおそらく意図的に、第3話ラストのあかりのセリフと響き合うよう、賢治の言葉を「翻訳」してみせたのだ。
『銀河鉄道の夜』では、サザンクロスで大半の乗客が降りた後、ジョバンニとカムパネルラが残されて「ほんとうのみんなのさいわい」のために共に歩もうと誓いを交わし、その直後に車窓に現れた石炭袋(絶望・虚無の闇)を見た2人は非常な恐怖に襲われる。
そしてジョバンニは言う。「カムパネルラ、また僕たち2人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行こう。僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺんやいてもかまわない」と。だが『銀河鉄道の夜』は未完であり、同作ではこのジョバンニの宣言の直後に、カムパネルラは消えてしまうのだ。
つまり賢治は「ほんとうの幸い」の答えを最後まで書かなかった。未完のまま死んだ。わからないまま、それでも探しに行くというのが『銀河鉄道の夜』の結論だ。ジョバンニは「みんなの幸いのために自分を百回焼いても構わない」と叫ぶ。これは強い意志・理由・使命感によって生きようとする宣言だ。ある意味、賢治的な「正しい答え」と言える。
しかしあかりのセリフはその先を行っている。使命も夢も家族もお金も、病気も老いも喪失も――何があっても何がなくても、自分のまま明るい方向へ向かえる世界。これは「理由によって生きる」のではなく、「存在することそのものが肯定される世界」の宣言だ。
賢治が問い続けた「ほんとうの幸い」の、現代における一つの到達点と言えないだろうか。
「あなたのために」ではなく「あなたとともに、私も生きたい」
噛み砕いて言えば、『銀河鉄道の夜』に描かれた自己犠牲の美化ではなく、「他者と自分は切り離せない」という、より現代的で誠実な倫理観。「あなたのために」ではなく「あなたとともに、私も生きたい」――この言葉の構造こそ、賢治がたどり着けなかったもう一歩先かもしれない。
そして、あかりが「綺麗事かもしれない」と半ば諦めかけた言葉を、茉莉が「いや、それはキレイな事だ」と現実の言葉として受け取り直す。夢を現実に着地させる――それが選挙参謀・茉莉の役割であり、このドラマそのものの主題宣言のように感じられる。
賢治は「ほんとうの幸いを探しに行く」とジョバンニに誓わせて、答えを書かずに亡くなった。このドラマはその答えを、選挙という現実の舞台で書こうとしているのかもしれない。選挙という舞台を通して、「生きる理由を必要とする人間が、それでも理由なしに生きられる世界を、自分たちの手で作ろうとする物語」が、ここから描かれるのかもしれない。そんな世界を作れる政治家こそが、今の時代には求められているとも言えないだろうか。
惜しくも未完のまま帰らぬ人となった賢治。その賢治の答えを、本作がどのように出してくれるのか──楽しみだ。

