ペナルティ・ワッキーらしさ感じるエピソードも
劇場の置き手紙、ファンレターと、手紙の話が偶然続いたが、まちゃまちゃがどんな人かよく分かるエピソードではないだろうか。この取材中も、小学生の頃に『エンタの神様』を観ていた世代の記者である私に対して、ずっと丁寧に接してくれた。それでいて、地元のイケてる先輩が気さくにしゃべってくれる、あのカッコいい感じ。そんな人だから、関係性のある先輩芸人もとても素敵なのである。
「ルミネに劇場ができて最初の頃は、7丁目劇場でネタをやらせていただいてたので、私も普通に出番をもらってたんです。でも、芸人の数が増えてきたんでって、またゴングショー形式のオーディション組に落とされて」
「今そんなことやったら、お客さんも『可哀想すぎるだろ!』って言ってくれるかもしれないですけど、1週目勝ったらギャラが100円のメダルとか(笑)。バトルを何週か勝ち抜いたらレギュラーで舞台に立てるし、そのメダルが増えてきたら、当時、渋谷にあったシアターDでイベントができたんですよ。そのイベントタイトルが『僕たちお笑い幼稚園やってます』で、当時私のほかにパンクブーブー、まだ違うコンビ名だったものいい、そこから、ノブコブとかも来るのかな? 記憶曖昧ですけど(笑)。私たちはまだ幼稚園なの? お笑い大学に行けるまでいつまでかかるんだよ! みたいな(笑)」
「そんなゴングショーに参加してる時に、私が元々吉本に入るきっかけになったオーディションのMCだったペナルティさんが、劇場のモニターで、私がそのゴングショーのメンバーの中で並んでるのを偶然見たみたいで。そのあとに脇田さん(※ワッキー)が『なんでお前がゴングショー出ないといけないんだよ! ふざけんなよ!』みたいにブチギレて。私も『大丈夫です、もう今日勝って上がるんで』とは言うんですけど、その列の中には先輩とかもいるので、気まずいなと思っていて」
「結局、その日のゴングショーで勝ち上がることができたんですね。そしたら、私は舞台上にいるので見てなかったんですけど、楽屋にいた、今、沼津で大活躍の富士彦さんがモニターを見てた脇田さんの様子を笑いながら教えてくれたんです。合格した瞬間「よっしゃー!」って大喜びしてたって。で、私が戻ってきたら、『当たり前だよ! まちゃが1からやらなきゃいけないなんて考えられねえよ!』って、手を広げて待ってくれていて」
「本当にまれですけど、そういう素敵な瞬間があるから、どうにか歯を食いしばって頑張れたんですよね。比喩表現ではなく、私は物理的にも奥歯がいつ取れるか分からないくらいグラグラしてるんで(笑)」
カッコいい……。そう口をついて出たが、その後日談がまたお笑いファンの自分にはたまらなかった。
「その後に脇田さんと『M-1甲子園』っていうイベントの予選でMCをさせていただいて、めちゃくちゃうれしかったですよ。あの頃の自分に教えてやりたい出来事の中の1つで、もう本当に決まった時からうれしいし、移動する飛行機の中でもうれしい。イベント中は完全に脇田さんが仕切ってくれると思ってたら、『俺はふざけてるから、まちゃが仕切りやって』と。『ふざけるってなんですか!』とは言うんですけど、それはそれでまたうれしかったです。脇田さんがふざけられるくらいに信頼してもらってるかなって」
「それで、イベントに参加してた高校生の子たちにも、『私が吉本に入るきっかけになったペナルティのワッキーさんと今こうして一緒にMCできて、今日すげえうれしいから、皆さんにもこんなことがきっと起こると思うから、ぜひお笑いを続けてください』と伝えたんです」
「そしたら、その帰りですよ。脇田さんが『あれだな、お母さんたちキレイだったよな』と言ってきて……。私が『なんなんですか! 私が今日どれだけ楽しみに来たと思ってんですか! あの頃の私が……』と言ったら、脇田さんは軽い感じで『あの頃、お前高校生だったもんな』って言うから、『だったもんな、じゃないんですよ!』と声を張り上げましたよ。脇田さんらしいっちゃらしいんですけどね(笑)」
まちゃまちゃ
1976年5月7日生まれ。千葉県君津市出身。地元千葉のPARCOで開催されていたお笑いオーディションを経て、芸人デビュー。お笑い番組『エンタの神様』(日本テレビ系)出演をきっかけにブレイクを果たした。今年5月7日、芸歴30周年と当日迎える50歳の誕生日を記念したライブ『まちゃまちゃ30年祭&生誕祭「独身披露宴」』を、東京・Zepp Shinjukuで開催。このライブには氣志團・ギターウルフ・怒髪天・ピーズ・ニューロティカと豪華なアーティストたちがゲスト出演する。

