ミス日本グランプリ受賞をきっかけに芸能界入りを志した藤原紀香。しかし、父は猛反対だったという。Instagramで明かしたのは、葛藤の日々と父が見せた“ある行動”だった。
藤原は6日、自身のInstagramを更新。「前編」と題した投稿で「天に旅立った父は、絵に描いたような昭和の頑固おやじでした」と書き出し、幼少期の弟、父と撮影した思い出の写真を公開した。
兵庫県西宮市出身の藤原は1991年に第24回ミス日本コンテストで優勝。「母が応募したことをきっかけに、大学在学中にミス日本グランプリを受賞した私にスカウトのお話もいただきましたが、父は芸能界入りに猛反対。東京に出るなどとんでもない――父はまったく話を聞いてくれませんでした」と述懐した。
そして、高校卒業後は親和女子大学文学部英文学科進学。それでも芸能界への思いを断ち切れなかった藤原は、「父に『卒業論文を期限内に提出し、単位を一つも落とさず四年で卒業すること』を条件に、東京と兵庫を新幹線で往復しながら、モデルやイメージガールの仕事を続けたいと懇願しました」と学業を修めることを条件に芸能の仕事をスタートさせたという。
そんな学業と仕事を両立させていた1995年に、阪神・淡路大震災が発生。死生観が大きく変化したことを受け、藤原は「父の反対を押し切って上京を決意しました」と東京に拠点を移した。
だが、オーディションに落ち続けるなど、生活は順風満帆ではなかったそうで、「和歌山出身の母が送ってくれたお米と紀州の梅干し。アパートの1階のお好み焼き屋や焼肉屋の匂いをおかずに白いご飯を食べた日々も、今では大切な思い出です」と下積み時代のエピソードもつづった。
そして、女優として成功をつかんだ後も、「父がまだ心から応援してくれていないのでは」という不安を抱えていたという藤原。しかし、「2000年くらい、500人のファンの皆さんと沖縄へ行くJALのイベントに両親を招いた時のこと。飛行機嫌いの父は震えながらも搭乗し、会場ではファンの皆さんに接するたび、『紀香をよろしくお願いします』と頭を下げてくれていたと、後から母に聞きました」と自身が出演するイベントに訪れた時の父の様子も。在りし日の姿を思い浮かべ、「『500人の皆さんと一緒にジャンボに乗る会なんて、なかなか無いらしいぞ~』と、誇らしそうに話す父の笑顔は、今も心に焼き付いています」と記した。
「後編」と題した投稿では、大学時代の藤原と父の2ショットや満州へ旅立った祖父母の写真を公開。「父方の祖父母は、未来を切り拓こうという夢と希望を胸に、新婚で、和歌山から満州へ 開拓団として渡り、そこで父が誕生しました」と父のルーツにも触れていた。
ファンからは「不器用な愛に泣ける」「お父様とってもハンサム」「子供の頃から脚の長さが規格外」「素敵なパパ」「そんな苦労があったんですね」「愛情深さが伝わる」など、11日までに170件以上のコメント、7万件以上の“いいね”が寄せられている。
