テレビ画面を注視していたかどうかが分かる視聴データを独自に取得・分析するREVISIOでは、1月25日に放送されたNHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』(総合 毎週日曜20:00~ ほか)の第4話「桶狭間!」の視聴分析をまとめた。
亡骸に向かってやり場のない怒りをぶつける藤吉郎
最も注目されたのは20時24分で、注目度77.4%。城戸小左衛門(加地将樹)が敵の矢に射抜かれるシーンだ。
簗田政綱(金子岳憲)からの報告で、今川義元(大鶴義丹)の本陣の位置と兵力が判明すると、織田信長(小栗旬)は雨に紛れて進軍を開始する。激しい雨が軍勢の足音を消す。雨が上がると、義元のもとに信長軍襲来の報せが届いた。浅野長勝(宮川一朗太)の率いる弓隊と鉄砲隊が攻撃を開始し、信長の号令と法螺貝を合図に織田軍が突撃を始める。奇襲は成功したが、数で勝る今川軍を攻めあぐねる織田軍。しかし小左衛門の猛攻によって今川軍の一角が崩れ、戦況は混戦にもつれ込んだ。
小一郎(仲野太賀)と藤吉郎(池松壮亮)も奮戦するが、小一郎は敵にとどめを刺せず窮地に陥り、藤吉郎に救われる。ふと藤吉郎が目を上げると、鬼気迫る勢いで槍を振るう小左衛門が目に入る。足元に転がる弓を拾い矢をつがえる藤吉郎。藤吉郎は小左衛門を射ようとするが、小一郎は彼が今失われるべき存在ではないと兄を制した。今、小左衛門を失うのは織田軍にとって痛手なのだ。藤吉郎に小一郎は死ぬのも殺すのも怖いと心情を吐露すると、「いつかあいつより偉くなってあごで使ってやるとするか」と藤吉郎はほほ笑みかける。
しかしそんな兄弟にむかって敵兵が襲いかかってくる。その瞬間、槍が敵兵を貫いた。なんと槍を投げたのは小左衛門だった。小左衛門は兄弟を救ったわけではなく、目障りな2人を混乱に乗じて殺そうとしたのだ。さらに挑発してくる小左衛門だが、突如その背に矢が突き刺さった。襲い掛かる敵兵を切り捨てるも小左衛門はそのまま力尽きた。あまりにも突然の出来事に小一郎と藤吉郎はぼう然とすることしかできない。
その頃、義元の本陣には毛利新介(永田崇人)と服部小平太(角屋直)率いる一団が攻めかかっていた。小左衛門の亡骸に向かってやり場のない怒りをぶつける藤吉郎。その時、辺りから勝どきが聞こえた。新介が見事、義元を討ち取ったのだ。
「そうじゃ、わしらの勝ちじゃ! 信長様は勝ったのじゃ!」はしゃぎまわる藤吉郎と放心する小一郎。辛くも兄弟は生き残り、信長は歴史的な大勝利を収めた。
リアルな戦場の様子にコメント多数
注目された理由は、小左衛門のあっけない最期に、視聴者の注目が集まったと考えられる。
ついに桶狭間の戦いが始まった。信長は、小一郎のとんびがいつもより低いところを飛んでいるので雨が降る、という言葉から奇襲を決断し、鉄砲を濡れないように包んだ。結果、奇襲は成功する。敵味方入り乱れる中、藤吉郎は小左衛門の命を狙うが、小左衛門も同じことを考えていた。対立する兄弟と小左衛門だったが、予想外の結末を迎える。期せずして復讐を果たした兄弟だが、その心境は複雑だった。
SNSでは「実際、どんな強い武将でも結構流れ矢とかにやられたらしいよね」「城戸は結局本当に兄弟狙ったのか、助けたのか微妙なままあっさり死んだのが無情だな」「正直、小左衛門の言ってることもわかるけど、結局は死んだから負けだよね」と、リアルな戦場の様子にコメントが集まった。
今川義元は今川家第十一代当主だが、先代は実母兄・今川氏輝。兄弟の父である第九代当主・今川氏親の死に伴い、弱冠14歳で当主となったため母・寿桂尼が後見人となった。母に実権を握られていた氏輝だが、駿河へ進軍してきた武田信玄の父・武田信虎と戦い、さらに領地の検地を進めるなど優れた才覚を発揮し始める。しかし突然1536(天文5)年に弟である今川彦五郎と同日に死去する。疫病や毒殺、自殺など様々な死因が疑われているが、今なお明らかになっていない。当主である氏輝とその後継者と目された彦五郎の死によって義元と残ったもう1人の兄・玄広恵探の間で家督を争う花倉の乱が起きた。この戦いは大河ドラマ『風林火山』で詳しく描かれている。恵探を退けた義元がその後、約20年にわたって今川家当主として君臨することになった。
今川義元を演じた大鶴義丹はケイパークに所属する東京都出身の57歳。大河ドラマは『豊臣兄弟!』が初出演だ。俳優としてもドラマ・映画・舞台に幅広く出演するだけでなく、大学在学中に小説『スプラッシュ』ですばる文学賞を受賞し、作家としてデビュー、さらに映画監督としても活動し、『キリン』『裸のいとこ』など6作品を劇場公開している。
大鶴の出身地である東京都杉並区には今川家の菩提寺である観泉寺がある。義元の曾孫である今川直房が1645(正保2)年に観音寺を下井草から上井草へ移し、寺号を観泉寺へ改めた。さらに1662(寛文2)年に市谷田町の万昌院にあった祖父・今川氏真の墓を観泉寺へ改葬し、今川家の菩提寺とした。直房は江戸幕府に仕え、公式な儀礼・典礼・朝廷対応を担当する高家を務め、第三代将軍・徳川家光から現在の杉並区今川にあたる井草村周辺を知行地として与えられる。さらに今川家で唯一、左近衛少将に任じられた。


