
日本の野球文化を支え、多くの名勝負と記憶を生んだ球場たち。しかし時代の流れとともに姿を消し、今ではもう訪れることのできない場所も少なくない。そこで今回は、日本野球史に深く刻まれながらも、惜しまれつつ消えていった“名球場”を紹介する。
後楽園球場
[caption id="attachment_242175" align="aligncenter" width="530"] 後楽園球場(写真:産経新聞社)[/caption]
所在地:東京都文京区
廃止:1987年
最大収容人数:38,000人前後
■この球場が愛された理由
読売ジャイアンツなどが本拠地とした後楽園球場は、1937年に内野二階建てスタンドを持つ球場として開場。都心の水道橋という絶好の立地もあり、「プロ野球の聖地」として戦後の日本プロ野球文化そのものを象徴した球場とされていた。
丸みを帯びたスタンドと人工芝のコントラストは独特で、“昭和の東京らしい”空気に満ちていた。観客席が密集しているため声援が反響しやすく、トランペット応援の音圧は全国でも屈指。
1970年にスコアボードの電光掲示化、1976年に人工芝の導入を日本の野球場で初めて行うなど、野球場としても日本のプロ野球をリードしてきた。
施設の老朽化により、1987年シーズンをもって閉鎖。隣接する競輪場跡に東京ドームが建設され、球場としての役割を引き継いだ。
■名場面
「V9」と呼ばれる巨人の黄金期、王貞治の「800号、868号」、「天覧試合」、長嶋茂雄の引退セレモニーなど、球史に残る瞬間の多くが後楽園で生まれた。
野球以外でもプロボクシングの世界興行、マイケル・ジャクソンなど世界的アーティストのコンサートも多く、スポーツと文化の中心地としての価値も高かった。
■球場の現在
球場は1987年に閉鎖・解体され、現在は東京ドーム、ホテル、ホールなどの複合施設となっている。
球場自体は姿を消したが、野球殿堂博物館内には当時のスタンドシートやベンチが移設展示されており、当時の雰囲気を味わうことが出来る。
川崎球場
[caption id="attachment_242170" align="aligncenter" width="530"] 川崎球場(写真:産経新聞社)[/caption]
所在地:神奈川県川崎市川崎区
廃止:2014年(野球場として)
最大収容人数:30,000人前後(公称)
■この球場が愛された理由
川崎球場は、大洋ホエールズ、ロッテオリオンズなどの本拠地として、“昭和野球の原風景”をそのまま残す独特の球場だった。
工場地帯にあるため冷え込むナイター、薄暗い照明、観客が少ない試合では選手の声が響く異様な静寂――そのすべてが“川崎らしさ”だった。
ロッテ応援席の熱狂ぶりと、球場全体の寂寞感が奇妙なバランスで混ざり合い、唯一無二の存在感を放った。
昭和の荒々しさ、雑多さ、ドロ臭さを丸ごと抱き込んだ球場として、多くのファンの記憶に刻まれている。
■名場面
この球場を語る上で欠かせないのは、1988年、ロッテvs近鉄のダブルヘッダーで行われた“10.19”だろう。
近鉄が連勝すればパ・リーグ優勝が決定、近鉄が1回でも敗れるか引き分けるかで西武ライオンズの優勝が決定するという状況のもと、近鉄が第2試合で引き分けて西武のリーグ優勝が決定。プロ野球史上最高の激戦として現在も語り継がれる。
また、村田兆治の感動的な復活登板、王貞治の700号ホームラン、張本勲の3000本安打など数々の大記録がこの球場で達成。野球史に深く残る場面の密度は全国の球場でもトップクラスだ。
■球場の現在
跡地は「富士通スタジアム川崎」として全面改修され、アメフト、サッカーの施設や公園など、多目的施設に生まれ変わっている。
入口付近には、かつて日本一の照度を誇った照明塔の電球や基礎の一部がモニュメントとして保存されており、かつての激闘の舞台を静かに伝えている。
大阪球場【大阪スタヂアム】
[caption id="attachment_242171" align="aligncenter" width="530"] 大阪球場(写真:産経新聞社)[/caption]
所在地:大阪府大阪市浪速区
廃止:1988年
最大収容人数:31,000人前後
■この球場が愛された理由
大阪球場は、南海ホークスの本拠地として、昭和の大衆文化と野球が融合した球場。近鉄パールスと大洋松竹ロビンス/洋松ロビンスも一時的に本拠地としていた。
難波の街中に突如として現れる巨大スタジアムという立地が独特で、「昭和の大阪城」とも呼ばれた。
スタンドの傾斜が鋭く、グラウンドとの距離が近かったため、応援団の声がダイレクトに伝わった。試合後にそのまま繁華街へ流れていく動線こそ“大阪の野球文化”そのもの。
関西地区の球場で初めて夜間照明設備を設置し、初のナイター試合も行われた。南海のほか、近鉄、阪神、松竹と関西に居を構える球団が使用した。
また、日本の球場では初めて観客席下に多数のテナントを入居させるスペースを設けるなど、文化的背景も含め、ただの球場ではなく“昭和の物語装置”として愛された。
■名場面
「100万ドルの内野陣」と言われた飯田徳治、岡本伊三美、蔭山和夫、木塚忠助や、名投手として活躍した杉浦忠など南海黄金期の名勝負はもちろん、広島東洋カープの江夏豊の伝説となった「江夏の21球」はこの球場で生まれた。
また、ジャイアント馬場、アントニオ猪木らのプロレス興行や、世界的歌手のコンサートなど、野球以外でも伝説のイベントが多く、ここで語られる思い出は多種多様で濃密だ。
■球場の現在
跡地は「なんばパークス」として再開発され、緑の多い複合施設へと変貌した。
施設内には当時のホームベースとピッチャープレートが再現されたメモリアル施設が残されており、大阪球場の“文化的な匂い”は今もファンの語り草として生き続けている。
西宮球場
[caption id="attachment_242172" align="aligncenter" width="530"] 西宮球場(写真:産経新聞社)[/caption]
所在地:兵庫県西宮市
廃止:2002年
最大収容人数:35,000人前後
■この球場が愛された理由
西宮球場は阪急ブレーブスの黄金期を象徴する、美しく静謐な球場だった。
シカゴのリグレー・フィールドなど当時のMLBの諸球場を参考に設計され、日本球場初の二階席スタンドと内外野総天然芝のグラウンドを持つ野球場として1937年5月1日に開場。
スタンドは鉄傘付き二階席の他にも、当時としては異例の背付き椅子を備えた内野席、観覧席の傾斜角度をどこから見ても本塁に合わせるなどの様々な試みが行われた。
野球以外でも競輪場、アメフト、コンサートなど様々なイベントで使用され、“多角経営”の先駆けとなった。
■名場面
山田久志の力強い投球、福本豊の神掛かりな走塁など、阪急のスター選手が生み出した名プレーは枚挙に暇がない。
日本シリーズの激戦でも多くの歴史的瞬間が生まれ、球史に残る試合が多い球場だった。
■球場の現在
跡地は阪急西宮ガーデンズ本館が建てられており、施設内には阪急ブレーブスの展示スペース、ホームベースのモニュメントなどが残されている。
地域のランドマークとして人々に親しまれ、映像や写真の美しさから“もう一度行きたい球場”として名前が上がり続けている。
平和台球場
[caption id="attachment_242173" align="aligncenter" width="530"] 平和台球場(写真:産経新聞社)[/caption]
所在地:福岡県福岡市中央区(舞鶴公園内)
廃止:1997年
最大収容人数:34,000人前後
■この球場が愛された理由
西鉄ライオンズや福岡ダイエーホークス等、数々のプロ野球団が本拠地として構えた平和台球場。
福岡城三の丸跡にあった球技場跡に建設され、外野席の向こうには石垣と緑が広がる独特の景観。打球音や歓声が強烈に響き、選手とファンが一体になる熱量が魅力だった。
昭和特有の“手作り感”、“荒々しさ”が残り、他球場にはない温かさがあった。
■名場面
稲尾和久や、中西太、豊田泰光らのスター選手を擁し、3年連続の日本一に輝くなど西鉄の黄金期を築いた。
中西は本球場のバックスクリーンをはるかに越える推定飛距離160メートルの本塁打を記録。逆転の西鉄と呼ばれた名勝負の数々もこの球場で生まれた。
■球場の現在
跡地は舞鶴公園の広場として整備。公園の敷地内には現在、軟式野球専用の「舞鶴公園野球場」がある。
外野付近の地形や石垣がわずかに面影を伝え、案内板が“ここに九州野球の聖地があった”ことを物語っている。
藤井寺球場
[caption id="attachment_242174" align="aligncenter" width="530"] 藤井寺球場(写真:産経新聞社)[/caption]
所在地:大阪府藤井寺市
廃止:2005年
最大収容人数:32,000人前後
■この球場が愛された理由
藤井寺球場は、近鉄バファローズの歴史とともに歩んだ“浪花の野球文化”の象徴だった。
西洋風の巨大な「鉄傘(大屋根)」を持つ独特の景観は「ヨーロッパのお城のようだ」と近辺の人たちを驚かせた。
日本では珍しい直線的な外野フェンスを持つフィールド形状であったが、1953年にスタンドとの間に円弧状のラッキーゾーンを設けたために一般的な扇状となり、両翼は公称91mに縮小された。
また、周囲は住宅地のため、トランペットや太鼓といった鳴り物での応援は禁止。そのためスタンドで応援団が必死に手拍子で観客に応援を呼びかける姿もみられた。
一方で、照明設備を備えていない本球場ではナイター開催が不可能であり、近鉄は平日の公式戦を大阪球場、日生球場で開催。1997年に大阪ドームが完成し、チームの本拠地は移転となった。
■名場面
藤井寺球場といえば、近鉄黄金期を支えた「いてまえ打線」の記憶が深い。同球団はチーム本塁打数200本以上を3度記録するなど、球界屈指の強力打線として名を残した。
1984年にエース・鈴木啓示が300勝を達成、1989年にはラルフ・ブライアントらの活躍によりリーグ優勝を飾るなど名勝負が繰り広げられた。
同球場唯一の開催となった1989年の日本シリーズでは、3連勝で王手をかけながらもその後4連敗を喫し、日本一を逃すという劇的な展開の舞台となった。
■球場の現在
藤井寺球場の跡地には現在、私立小中学校などが建設。
学校の正門東側には藤井寺球場記念モニュメント「白球の夢」が設置されている。
【了】