三谷幸喜のオリジナル脚本で、1984年の渋谷「八分坂」という商店街を舞台にした群像劇のフジテレビ系ドラマ『もしもこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろう』(毎週水曜22:00~ ※TVer、FOD、Netflixで配信)の第8話が、19日に放送。今回は重要人物・トロを演じた生田斗真の魅力と、シェイクスピア世界から見るトロの役割から、今後の展開を分析したい。

  • 生田斗真 (C)フジテレビ

    生田斗真 (C)フジテレビ

【第8話あらすじ】撃退されたトロがまさかの役者志望に

WS劇場では、演出家・久部三成(菅田将暉)によるシェイクスピア劇『冬物語』が上演されている。芝居を見ながら必死にメモを取っているのは八分神社の巫女・江頭樹里(浜辺美波)。隣に座っている神主の父・論平(坂東彌十郎)から「芝居に集中できねえだろ」と突っ込まれるが、「カットできるところをチェックしているの」と聞く耳を持たない。

久部に惹かれ始めている樹里は久部のためなら何でもやる覚悟だ。すでに台本はかなりブラッシュアップされており、客席に座るおばば(菊地凛子)は「私の出番も全カット」と嫌み節を言う。

是尾礼三郎(浅野和之)とケントちゃん(松田慎也)が舞台上で芝居していると、突如、客席から「下手くそ!」とヤジが飛んでくる。客席で叫んでいるのはリカ(二階堂ふみ)の元情夫・トロ(生田斗真)。

トロは自身の身のためにリカを新宿の店へ120万円で売り飛ばそうとしていた。これを論平は、家宝の七福神(120万円相当)を渡し、阻止しようとする。一方の久部は樹里から「少しはかっこいいところを見せれば」と言われ、すでに久部劇場の俳優となった警察官・大瀬六郎(戸塚純貴)の拳銃でトロを退散させようとする。だが、それは大瀬が毛脛モネ(秋元才加)の息子・朝雄(佐藤大空)のために作ったおもちゃだった。

それでも、久部の迫真の迫り方にトロはびびってしまう。「これが芝居の力だ」と告げる久部。そしてある日、久部の因縁の劇場「天上天下」のオーディションに出ているのは…そのトロだった。

どんどん三谷幸喜に見えてくる神木隆之介

テンポ良し、やり取り良し、人間関係の面白さ良し。第8話はまさに「最終章に入る直前のジャンプ台」として、あっという間にストーリーを見終われる優秀回であったと思う。さらには、「WS劇場の閉鎖」の予感も匂わせ、中盤最後のカタルシス回であると同時に、新たな伏線が張られた展開でもあった。

気になるのは、久部、リカ、樹里、これに蓬莱も交えた恋(?)の四角関係だ。これをラブストーリー風ではなく、あくまでも会話劇で見せていくのはさすが三谷幸喜脚本であり、視聴者の「ラブ」への余計な感情線が削られるように設計。物語と世界観そのものに没頭できるよう描かれており、ノイズになるどころか、人間関係のユーモラスさに味付けの要素として扱っているのが素晴らしい。

誰と誰が結ばれても、なんだかハッピーな気分になれそうで、推せる。個人的には久部×樹里のカップリングが微笑ましい。リカへ執着する久部、その久部へ恋心を抑えながらも控えめに背中を押し、カッコよさを見せてほしいと言うあのセリフ、その後の表情にもキュンとする。もちろん、リカが久部になびく展開も見てみたいが…。

気のせいかもしれないが、神木扮する三谷幸喜の分身・蓬莱が、どんどん本当に三谷幸喜に見えくるのが、ちょっと楽しい。この現象はすでに数話前から見えていたが、次回に三谷氏が主催し、三谷氏の原点ともいえる劇団「東京サンシャインボーイズ」の重鎮・小林隆が、ある劇団員を逮捕するためにWS劇場に来る刑事役で登場するので、そのメタ的な展開もとても待ち遠しく思う。

そして今回の見どころはなんといっても、トロだ。ここに来てトロが、まとまりかけた八分坂の面々にヒビを入れていく。トロを演じる生田のチンピラ的芝居も、ちょうどこの物語の舞台である1984年ぐらいから始まったビデオオリジナル映画(Vシネマ的なもの)の演技の雰囲気を漂わせており、あの時代を感じさせた。そこからの逆転劇では、生田らしい迫真の心理描写も使った芝居が見られるなど、本来の芝居力を発揮。豪華キャスト陣はだてじゃない。やはり三谷作品は、力のある役者が最適解だ。

  • (左から)神木隆之介、菅田将暉 (C)フジテレビ

    (左から)神木隆之介、菅田将暉 (C)フジテレビ

生田斗真が持つ“目”によるキャラの見せ方技法

生田斗真は昨今、特に見逃せない俳優の1人となってきた。特に“抑えた芝居”が特徴的になってきており、例えば、デビュー映画『人間失格』(10年)において、監督の荒戸源次郎氏は「50年に一人の逸材」と称している。

彼自身、当時のインタビューで「役に入る時は“自分を騙す”」と語っており、いわゆる“憑依型俳優”の部類に入っている。目力は彼の最大の魅力であり、時に「死んだ目」のような芝居をすることもあれば、美しさや色気を醸し出す道具として使っている節も見られる。“目”の力、その使い方が素晴らしいのだ。

『もしがく』でも最初の何者か分からないときは、“目”の表情を消していた。リカと接するときには“色気”。今話では“冷たくて死んだような何をしでかすか分からない目”も見られた。

そんな彼の芝居が開花したのは、生田本人によると、「舞台との出逢い」で、舞台で役者としての使命に目覚めた。自己満足より、その作品を面白くする装置として自分を定義すること──。生田の初舞台は1997年の『Stand by Me』であり、そこから歌舞伎にも興味を持ち、歌舞伎からも芝居の要素を学んでいるとも話していた。

だが彼とのインタビュー現場はとてもくだけた雰囲気。優しい空気が漂い、演技派俳優特有の“圧”を感じさせない気づかいが印象に残っている。

もちろん、メディア露出用にそうしている面もあるのではないかと感じたが、『俺の話は長い』(19年、日本テレビ)で取材した際、生田が演じた主人公・岸辺満は、周囲の人々いわく「普段の生田そのものすぎる」のだそう。だからどこか“どこにでもいそうな一般の青年”であり、その“素”が垣間見られたからかもしれない。