第73期王座戦5番勝負は、7日に行われた第4局で藤井聡太王座が勝利、28日予定されている最終局で雌雄を決することとなりました。

さて、2025年10月3日に発売された『将棋世界2025年11月号』(発行=日本将棋連盟、販売=マイナビ出版)では、シンガポールで行われた第73期王座戦五番勝負第1局を現地に赴いた中村太地八段と振り返る記事「短手数だけど、とてつもなく深くて濃密な開幕戦」を掲載しています。本稿では当記事より、一部を抜粋してお送りします。

  • 【写真】日本将棋連盟

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中村太地八段 in シンガポール

今期王座戦五番勝負、開幕戦の舞台は異国・シンガポール。新聞解説で現地に赴いた中村太地八段に、あの日何が起こっていたのかを語っていただきました。海外対局に同行するのは今回が初めてではないという中村八段。当時の伝説のエピソードがあるそうで…。

(以下抜粋)

●今期王座戦五番勝負の開幕戦がシンガポールで行われました。新聞解説で現地に赴かれた中村八段に解説をお願いします。この話がきたときのお気持ちは?

「海外対局は将棋を外国にアピールできるいい機会なので、大きな意義があります。そこに関われるのは本当に光栄だと思いました。今期はタイトルホルダー同士の対戦で、2人あわせて全冠です。すごい番勝負になるんだろうというワクワク感もありました」

●中村八段は2008年の竜王戦第1局のパリ対局に記録係で行かれました。対局前日に感電したという伝説のエピソードがありますよね(笑)。

「そうなんですよ(笑)。前日の設営で高い場所の配線をやってたんです。担当の方が届かなくて、自分は背が高いので届きますよとコンセントを差したらビリビリッときて(笑)。それが結構な衝撃で、人生で初めて感電しました。どうなるのかなと心配だったんですけど、無事でよかったです。今回もそのときもご一緒させていただいた佐藤康光九段がすごく心配してくださって、『もし中村君に何かあったら私が代わりに記録係をやりますから』とおっしゃっていただいて感激しました。さすがに佐藤先生に記録係をさせるわけにはいきませんが(笑)」

●中村八段の立場は新聞解説ですが、観戦記は棋士の野月浩貴八段です。中村さんは具体的に何をされたのでしょうか?

「疑問に思われるところかもしれませんね(笑)。今回は、主催の日本経済新聞社の記者への解説がメインの仕事でした。最近はインターネットの配信なども増えているので、その記事の参考にしていただくために、形勢判断や対局の背景について解説しています。あと現地大盤解説会にも1回登壇しました」

●対局日は9月4日。日本を出発したのは9月1日の深夜だったそうですが?

「2便に分かれていまして、対局者と立会人の佐藤九段は1日の深夜便で、私は2日の朝便で向かいました。対局者は観光があったので、早めに出発したのでしょうね。私は観光には同行せず、2日の夜の食事から合流しました」

●観光のお話などは聞きましたか? ティオン・バル・マーケットやマーライオンなどの観光にいったそうですね。

「はい、伺いました。両対局者ともリラックスされていて、笑顔も多かったと聞きましたし、映像を見ても確かにそう感じました。シンガポールは9月は乾季なので基本は晴れるはずなんですけど、この旅程の間は時々雨も降りました。でもバタッと降って、すぐに止んで晴れていたので、観光のスケジュールにも影響を及ぼすことはなく、全部いい感じで回れたとは聞いています」

●マーライオン像って「世界三大がっかり」と悪口を言われがちですよね(笑)。そんなにしょぼいのでしょうか?

「実は私、大学を卒業してからすぐに友だちとシンガポールに行ったことあるんです。だから今回は15 年ぶりくらいの再訪でした。そのときからマーライオンはがっかりスポットではなかったですよ。マーライオンって1回、場所を移っているんですよね。しかも像自体も大きくなっている。かなり昔はがっかりだったのかもしれませんが、いまは楽しい観光スポットになっています」

●15年ぶりに訪れて、シンガポールの印象は変わりましたか?

「高層ビルがかなり増えて、街の清潔感がさらに増したような気がしました」

●夕食の雰囲気はいかがでしたか?

「円卓で中華を食べたのですが、おいしかったです。今回の食事は全部よかったですよ。その日の出来事とか、過去の海外の話などをする感じでした。席は少し離れていましたけど、対局者も同じ円卓でした。対局前に珍しいですよね」

●対局前日は両対局者は日本大使館に出向き、また記者会見も行いましたね。

「私はそれらには同席していなくて、夕方からの前夜祭はご一緒しました。自由時間だったのでいろいろ観光しました。マリーナベイサンズ、ラッフルズホテル。あとは15年前に訪れたフードコートに行って、昔食べたチキンライスを口にしました。記憶ではとてもおいしかったのですが、やはり美味でしたね」

●前夜祭はどんな雰囲気でしたか。

「日本からいらっしゃるファンの方もとても多くて驚きましたし、ありがたくもありました。ツアーに申し込まれた方と自力で来られた方の半々ぐらいだったようですね。日本で会うのもうれしいですが、海外だとその気持ちが深まるというか、絆が生まれる感じでした。現地の方や、お仕事などで赴任されている日本人の方もいらっしゃって幅広い顔ぶれでしたね。日本語と英語の両方でプログラムが進行して、普段の前夜祭とは違う雰囲気でした。とても盛り上がりましたね」

●中村八段は壇上でお話をしましたか?

「同行した棋士一同、佐藤九段、現地大盤解説役の森内俊之九段、野月八段、記録の齊藤優希四段、北尾まどか女流二段、和田はな女流1級でステージに上がって、戦型予想やシンガポールについてのトークをしました。そういえば佐藤九段は32年前に竜王戦でシンガポール対局を経験されているんです。面白かったのは、森内九段との挑戦者決定戦を制して出場を決めたんですけど、佐藤先生はすっかり忘れていたという(笑)。森内先生が前夜祭のトークショーでおっしゃられて、爆笑が起きていました」

●勝った側は忘れるものですか(笑)。

「そんなことをおっしゃってましたね(笑)」

●タイトルホルダー同士が戦うシリーズですが、見どころは?

「とてつもなく精度の高い最先端の将棋を見られる期待があって、すごく楽しみにしていました。戦いの背景としては、両者にとって約1年ぶりのタイトル戦で、藤井王座が唯一負けたタイトル戦の相手が伊藤叡王です。あとは去年の叡王戦のタイトル戦を見ていて思ったのが、巷で言われる藤井曲線が唯一、描けない相手が伊藤叡王です。藤井王座が優勢を築いても伊藤叡王が踏ん張って形勢が混沌としてきて、終盤の競り合いの中で伊藤叡王が抜け出すところが何回か見られた。そういう意味でも特別な戦いです」

(中略)

●一局全体を振り返っての感想は?

「藤井王座の研究の深さと正確な踏み込みが光った一局でした。伊藤叡王からすると、序盤で形勢を損ねたので残念な一局になってしまったのでしょうが、チャンスを見いだす指し方はさすがだなと感じました。形勢を悪くしたときにどう粘るのかは勝率を上げるうえでとても大切ですが、うまく踏み留まられていたと思います。終盤でも、何かあるんじゃないかと期待させるような形を作られて、迫力のある追い込みを見せていました。藤井王座のギリギリのところで踏み込む指し方も印象に残りましたし、第2局以降はさらなる熱戦が繰り広げられるのではないでしょうか」

戦い終えて

●対局翌日はどういうスケジュールだったのですか?

「両対局者は現地の日本人学校に行かれて生徒さんと交流されていたようです。私は朝から早稲田渋谷シンガポール校に伺いました。和田女流1級も早稲田出身なので一緒でした。早稲田系列の学校で、先生方とお話しさせていただいて、生徒の皆さんともお会いすることができました。すごく温かく迎えていただいて、みんなで写真撮影をしました。多分、将棋はそれほど知らないはずですけど、すごく盛り上がってくれて、逆にこちらがびっくりしました。明るくていい雰囲気の生徒さんばかりでしたね。早稲田にシンガポール校があることは知っていたんですけど、まさか自分が伺うことになるとは夢にも思わなかった。今回、実現できてうれしかったです」

●その後はどうされましたか?

「一行と合流して、有名なお店でおいしいチキンライスをいただきました。それから現地の方に将棋を教えるプログラムがありましたね。JSSという組織の主催で、日本大使館に多大なご協力をいただいて実現しました。北尾女流二段が海外普及にも慣れていらっしゃるので、1時間くらい将棋の歴史やルールを講義されて、そのあとに実戦パートとして、みんなで将棋を通したゲームを楽しみました。そのあとは現地のシンガポールの方や日本人の方に3面指しの指導対局を2時間くらいしました。短かったですが対局の内容が何よりすばらしく、充実した日々を過ごすことができました」

(第73期王座戦五番勝負 藤井聡太王座VS伊藤匠叡王 第1局 「短手数だけど、とてつもなく深くて濃密な開幕戦」 解説/中村太地八段 記/大川慎太郎)

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