フジテレビ系ドラマ『もしもこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろう』(毎週水曜22:00~ ※FODで次話先行配信)で、民放GP帯連ドラの脚本を25年ぶりに執筆した三谷幸喜氏。自身の原点とも言える1984年の渋谷を舞台にした作品だが、当時を再現したオープンセットに立った瞬間、三谷青年が「いつかこの話をやるんだ」と誓った瞬間が蘇ったという。
そんな今作が成立した経緯から、物語の根底にある偉大な劇作家の世界観、自身にとって異例の制作スタイル、菅田将暉ら若いキャストたちに感じたこと、さらにはテレビ局や自身が置かれる立場の変化などを語ってくれた――。
GP帯民放連ドラから25年遠ざかった理由
情報解禁と同時に大きな話題を呼んだ今作。注目を集める理由として、三谷氏が25年ぶりにGP帯の民放連ドラの脚本を執筆したことも挙げられる。なぜ、ここまでの年月が空いたのか。
「NHKの大河ドラマや民放のスペシャルドラマをやっていたのですが、連ドラから徐々に離れていって気づいたら25年たっていたという感じです。大河ドラマが続いたら、“NHKの専属”みたいな空気感が漂って、お話が遠のいたのかなとも思います(笑)」
ちなみに、80年代末期から90年代初頭までは“フジテレビ専属”のイメージを持たれ、「他の局からのお話が来なかったんですけどね(笑)」と苦笑いする三谷氏。9月21日に行われた第1話完成披露試写会では、司会のフジ西山喜久恵アナに「おかえりなさい!」と声をかけられ、思わず「ただいま!」と返していた。
また、「当時ご一緒していたプロデューサーの方々がだんだん偉くなって、現場を離れていいったというのもありますね」と、構造的な要素も民放連ドラから距離ができてしまった要因に。そこに勇気を持ってノックしてきたのが、『監察医 朝顔』『PICU 小児集中治療室』などを手がけてきた金城綾香プロデューサー。彼女とストーリーのアイデアを出し合った結果、「1984年の渋谷を舞台にした青春群像劇」にたどり着いた。
「そこで、自分がまた入っていく連ドラの世界というものを改めて見てみると、僕が書いていた頃とはいろんな意味で変わっていて。令和の世界に生きている人々の生々しい生態やセリフや会話を僕が書くというのは、やっぱり少し違う。そう思った時に、歴史劇としての1980年代を描くのが、自分に一番ふさわしい題材ではないかと思って、この物語が始まりました」
誰かが「もしもこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろう」を口にする
自身をモチーフにしたキャラクター(神木隆之介)も存在するが、主人公に据えたのは舞台演出家の久部(菅田将暉)。特定のモデルがいるわけではないが、「僕の中では、早稲田系の演劇人っぽい感じがあります。日芸(※三谷氏の出身校である日本大学芸術学部)ではないです」とイメージを語る。
このキャラクター設計の根幹にあるのは、16世紀末から17世紀初めに活躍した劇作家・シェイクスピアの作品だ。「久部は最初“ハムレット”として登場し、途中で“リチャード三世”となり、最後は“マクベス”になる。シェイクスピアのいろんな登場人物を背負っているイメージですね。彼を劇団から放り出す主宰の黒崎(小澤雄太)との確執は、叔父クローディアスとハムレットの対立がダブる感じです」と打ち明ける。
役名も、久部は「マクベス」、ダンサー・倖田リカ(二階堂ふみ)は『リア王』の「コーデリア」、さらにジャズ喫茶の店員・仮歯(ひょうろく)は『テンペスト』の「キャリバン」といった具合に、シェイクスピア作品の登場人物に由来して命名された。
そもそもなぜシェイクスピアなのか。それは、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(2022年、NHK)の執筆体験が転機になったという。
「『ゴッドファーザー』や『仁義なき戦い』、『アラビアのロレンス』など、僕が見てきて面白いと思った物語のエッセンスを貪欲に詰め込む気持ちで作っていたのですが、その中で最も参考になったのがシェイクスピアの史劇でした。彼の描く世界観が、鎌倉初期とすごく合致していたんです。それに、世の中に今ある物語の“種”の多くは、すでにシェイクスピアが蒔いていたのだと、すごく感じました」
そこで、「一度シェイクスピアにきちんと向き合って、彼がやろうとしていたこと、やりたかったことを現代に置き換えてみたらどんな物語ができるのか」と発想。『もしもこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろう』という長文のタイトルも、由来はシェイクスピアの作品『お気に召すまま』に登場するセリフの一節「人生は舞台、人はみな役者である」だ。
物語が進むと、ある登場人物がこのタイトルを口にして、伏線が回収されるとのこと。「誰が言うのかはまだ教えられませんが、そのセリフに向かって物語が集約していくイメージがあります」と予告した。

