「OMOFES」は榎木田氏が統括となり、部署の垣根を越えた若手社員を中心に実行委員会を組織。「横軸がしっかりつながると積極的な社員がたくさん出てきて、そこに結果が出るとみんながグンと成長してくれるのをすごく感じたので、本当に統括冥利に尽きます」と手応えを感じたが、これは自身が総合プロデューサーを務めた開局50周年プロジェクトの経験が生きたという。

「50周年の時は、社の中において横軸で取り組んでいくというのが、その世代にとって初めてのことだったので、なかなか慣れない部分がありました。その時のレガシーで『OMOFES』ができて、『&Labo』が生まれて、その発起になぜかいつも私がいさせていただいたので、改革の象徴として社長という大役をお任せいただいたのかなと思っています」

そうした期待を背負っていることから、「改革の足を止めることは、してはいけない」としつつも、「所信表明でお話ししたのは、今の業務のタスクをしっかり棚卸しすることも大事な作業だということ。新たな人材確保は会社の役割ですが、荷物を吟味するのは皆さんにお願いするので、その両軸で新しい挑戦に進んでいければ」と意識を共有した。

社内のオフィスは、管理系から報道フロアまで“大部屋”でコミュニケーションが取りやすい環境だが、社長室は別の階にあるため、「とにかく慣れないですし、人の声が聞こえないと不安になります」という状況。そこで、「せっかく広い社長室を用意いただいたので、これを有効に使わない手はないと思いまして、若い社員もここでミーティングや意見交換ができるような形でみんなが遊びに来やすいように、ちょっと女子的な色味も入れながらイメチェンしています(笑)」とリニューアルを進めている。

  • 開局50周年ドラマ『ひまわりっ~健一レジェンド~』に出演した(左から)高橋克典、平祐奈、井上祐貴

60周年へ全国発信に意欲「コンテンツ戦略しか生き残る道はない」

開局50周年で初めて自社制作したドラマ『ひまわりっ』は宮崎で高視聴率を記録したほか、「東京ドラマアウォード2020」のローカル・ドラマ賞を受賞するなど高く評価された。この経験を踏まえ、次の60周年(2030年)に向けて、「また全国に発信できる何かが作れればいいなと思っています。様々なプラットフォームの中で目立って、拾っていただけるようなコンテンツを作っていきたいです」と意欲。「我々には、コンテンツ戦略しか生き残る道はないと思いますが、同じものを作ってもきっとダメで、次に向けて自分たちが進化するものを探し求めていく旅が、ずっと続くのかなと思っています」と前を見据える。

テレビ局が厳しい時代を迎える中で、「これからを生きていく20代、30代、そして40代の皆さんのために我々がやらなければいけないのは、覚悟を持ってレールを敷いてあげることだと思うんです。もちろんそのレールを使わず、新しいレールを作ってもらって全然構わないのですが、みんなが走る場を提供していくのが、今を生きる我々の役割だと思っています」と力強く語った。

UMKが開局した年に宮崎に生まれ、宮崎大学を卒業して入社した榎木田氏。小学生の時にアナウンサーになりたいと志望したが、アナウンススクールに通う余裕がなかったため、NHKのニュースを録画し、森田美由紀キャスターの読んだ原稿を書き起こし、映像に合わせて自分で読むという独学のトレーニングを、高校から大学まで7年間続け、その努力が実って地元局で念願のアナウンサーになった。

この経験を、「始めたらとことんやり通すことは、将来の自分を必ず助けてくれます。それと、自分がやりたいことは言葉にすると言霊が生まれるから、必ず伝わります」と講演などで発信しているそうで、「長年“伝える”という仕事をやってきましたが、これからはUMKが発信するメッセージをしっかり伝えていきたいと思います」と、アナウンサーとしての原点を社長業でも発揮していきたい考えだ。

●榎木田朱美
1970年生まれ、宮崎県出身。宮崎大学教育学部卒業後、92年テレビ宮崎にアナウンサーとして入社。18年にアナウンス部長兼50周年事業・コンテンツ開発準備室部長となり、開局50周年プロジェクトの総合プロデューサーを務める。その後、編成業務局長、メディア推進局長、取締役報道制作局長、取締役コンテンツプロデュース局長を歴任し、25年6月に社長に就任した。