テレビ画面を注視していたかどうかが分かる視聴データを独自に取得・分析するREVISIOでは、6日に放送されたNHK大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』(総合 毎週日曜20:00~ほか)の第14話「蔦重瀬川夫婦道中」の視聴分析をまとめた。
「私は…ほんに幸せな妻にございました!」
最も注目されたのは20時30分で、注目度74.7%。瀬以(小芝風花)と鳥山検校(市原隼人)のラストシーンだ。
「お奉行様。夫に話をいたしましてもよろしいでしょうか」奉行(井上和彦)から鳥山検校が自ら離縁を申し出たと聞かされた瀬以は、奉行の許しを得ると目の前の夫の背中に向かって自身の胸の内を言葉にした。「旦那様…私は決してよい妻ではございませんでした。どこまで行っても女郎癖の抜けぬ振る舞いは、お心を深く傷つけたことと存じます。にもかかわらず、何でも望みを叶えてくださった。今、ここに至っても…」切々と語りかける瀬以に、「そなたの望みは、何であろうと叶えると決めたのは私だ」と、鳥山検校は静かに答えた。
「私は…ほんに幸せな妻にございました!」瀬以は涙を流し頭を下げる。鳥山検校は瀬以に背を向けたまま、そっと優しく微笑んでいた。
「鳥山検校の心情を思うとキュッとなる」
注目された理由は、鳥山検校の見せた男気に視聴者が胸を打たれたと考えられる。
瀬以に対して深い愛憎を抱いていた鳥山検校だが、今回では妻の望みどおり離縁するという決断を下した。裁きを待つ鳥山検校の穏やかな表情が印象的なシーンだった。
SNSでは、「鳥山検校の最後のセリフにお瀬以への愛情が詰まっていましたね」「鳥山検校の心情を思うとキュッとなる」「鳥山検校、ほんとにいい男だった。スパっと引く姿がカッコよかった」と、鳥山検校の瀬以への深い愛に感動した視聴者からのコメントであふれた。
今回、悪質な金貸しによって摘発された検校は、鳥山、名護屋、梅浦、松岡、松浦、相馬、神山、川西の8人。名護屋検校は捕縛後まもなく獄中で死亡したため、他の7人に処分が下された。鳥山検校は、武蔵・山城・摂津・遠江から追放された上、検校も解任されるという、7検校の中で最も重い処分を受けるが、12年後の1791(寛政3)年に赦免され復官が許された。以降の鳥山検校の消息については明らかではない。
時代は下り1871(明治4)年、太政官布告第568号「盲人ノ官職自今被廃候事」で盲人の官職は廃止されることとなり、検校を頂点とした盲人間での階層支配機構は廃絶された。先だって1869(明治2)年に明治政府が「四民平等」を表明し、武士、農民、職人、商人が異なる身分間での婚姻や居住地や職業選択の自由が認められたように、盲人も当道座に縛られることなく職業選択が可能となった。しかし、同時に当道座や検校等の位も撤廃され、公的な特権性を失うことにもなったのだ。鳥山検校と瀬以は、1,400両という大金を投じ夫婦となるも、わずか3年で幕府によって摘発され離縁となった。
そんな2人のエピソードは当時の本や演劇の格好の材料となっている。中でも1778(安永7)年に戯作者・田螺金魚(たにし きんぎょ)の執筆した洒落本『契情買虎之巻(けいせいかいとらのまき)』は大きな話題となった。花魁・瀬川と客である五郷との悲恋を描いた作品で人情本の祖と言われている。のちに十返舎一九が続編を作るほどだったので、その人気ぶりがうかがえる。